第31話


 王宮のはずれ。

 小さな村はずれの小道を抜けた先、

 しんとした森の入り口にふたりは立っていた。


 古びた柵を越えると、そこから先は、誰も手を入れていない、まるで時が眠るような静けさ。

 木々は高く、葉擦れの音は囁くようで、鳥たちの声すら遠慮深い。


「……ここなら、邪魔は入らないわね」


 ティナがつぶやいた。

 その声は、どこか懐かしさを帯びていた。

 まるで幼いころ、祖母と歩いた裏山の思い出に触れたような、やわらかな響き。


 ユリウスは、しばし目を閉じ、森の匂いを吸い込んだ。

 風に揺れる草の甘やかな匂い、湿った土の懐かしい手触り――

 それは、剣と血の気配から遠く離れた、もう一つの生の匂いだった。


「……ここにしよう。村とも、完全に断たれていないが……ほどよく孤独だ」


「うん。あたし、この場所、好き」


 ティナは小さな足音を響かせ、丘の上に駆けのぼる。

 そこからは、かすかに村の屋根が見え、夕暮れの金色の光が点々と灯りはじめていた。


 彼女の背中を見ながら、ユリウスはゆっくりと荷を下ろす。

 重い布袋の中には、鍋と道具、そして彼女に手渡すべき本。


 陽が沈みきる前に、ふたりは森の端に小さな焚き火をつけた。

 炎の揺らぎは、語られぬ思いをそっとなぞるように、淡く静かに舞う。


 ユリウスは懐から一冊の古びた本を取り出す。

 それは、かつてグレースが王から背を向けた理由が記された、ただひとつの証だった。


「ティナ、これを――お前に渡しておく。……読むかどうかは、任せる

 ガイルが王宮からくすねた。抜け目ないやつだからな」


「......何も言わずに出てきたからきっとガイル怒ってるね」


「それはどうだろうな」


 彼女は火を見つめたまま、静かに受け取った。

 その指先が微かに震えていたのは、冷えのせいか、それとも――



 ユリウスは炎に手をかざし、もうひとつの紙片を取り出した。

 それは、彼自身の身元と、王家の血を記した古文書。


「……もう、いい。これは要らない」


 ぱさ、と風に揺れた文が、炎へと落ちた。

 火はそれを呑みこみ、文字はすぐに赤に焼け、やがて黒く、灰となった。


「真実はもう、灰の中だ。……これでいいんだ」


 ティナは言葉を返さず、ただ隣に寄り添った。

 その温もりが、どんな言葉よりも、ユリウスの心を満たしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る