第18話 投獄



「見世物になれ、ということですね?」




 賊の出現を耳にして、クルードが取った策は、妻を牢に入れること。民の留飲を下げるためとはいえ非道なやり方に、ショーンは激しく首を振った。


 しかしリュネットが述べたのは、拒否でもなく、懇願でもなく、冷静な理解。自分の胸に手を当て、毅然と述べるリュネットに、クルードは重々しく頭を垂れる。

  




「……………………………………すまない」

「いいえ、それが最善でしょう」

「リュネット様……!?」



 悲壮どころか冷静に受け止め促した彼女に、ショーンが驚き顔を向ける。

 しかし彼女は平静なのだ。

 凛と背を伸ばし、両手を揃えて口を開くと、





「恐らく城内は、わたくしを連れて来たクルード様に不満を持っている者・クルード様の判断に不安を抱いている者・そして日和見のどれかに分かれているはずです」



 述べるリュネットの声には、一切の迷いがない。


 むしろ、その瞳は冷静に、かつ狡猾にモノを運ぶ色を宿している。

 不安の色は消え去り、宿る輝きは、まるで戦場で策を巡らせる司令官のような鋭さで──



 そんな彼女にクルードは瞳の力を取り戻し、ショーンは少しばかり慄いた。




 彼女は言う。

 深い紫色の瞳に、したたかな戦略の色を乗せて。




「わたくしを牢に入れることで、『伯爵は恋人に誑かされているわけではない』・『恋人相手でも毅然と判断する頼れる城主』と感じる者が出るはず。城内の空気は分散するでしょう」

「「…………」」


 聞く二人が思い出すのは・出会った時のリュネットだ。

 あの時もこうして、淡々と、そして水を得た魚のように論理を重ねた。

 こちらに来て成りを潜めていたように見えたが──それは、健在だった。

 彼女は変わらぬ口調で述べる。

 


「中にはそれすら穿った見方をする者もいるでしょうが、極めて少数。必要なのは、冷血な決断力と、有無を言わさぬ実行力です」

「…………」



 リュネットの言葉に、クルードは短く息を吐いた。



 ──本当に、この女は賢い。

 それが寂しさにもなり得るのだが、今はただ頼もしい。



 ここで、悲しいと泣かれてみろ。

 酷い、と傷つき首を振られてみろ。

 

 やりきれない。



 そんな思いを胸の奥に。

 クルードはニヤリと笑い彼女に返す。



「…………リュネット。おまえ自らそれを言うとは」

「あら、ふふふ。ご存じでしょう?」

「──ああ。俺が惚れた『聡い女だ』」




 冗談めかして返すリュネットの微笑に、クルードは挑戦的な笑みで返した。



 救われた。

 救われたが複雑だ。



 見せかけとはいえ、惚れた女を投獄しなければならない。

 身の安全や警備の視点から考えても投獄は最適な手段だが、心が進まないのは確かなのである。



 しかしやるしかない。



 そう腹に決め、腕を組んだままため息をついた時。

 視界の隅に動く影ひとつ。

 ひらりと動くドレスの裾に導かれ目をあげれば、見透かしたような、リュネットの淡い微笑みがあった。




「ええ。わたくしは大人しく、牢に籠ります。クルード様? その時はどうか、加減なさらないよう」

「……「それも」言うのか。……まったく、簡単に言ってくれる」




 くぎを刺すように述べる彼女に、クルードは苦々しく呟いた。



 まったく、惚れた女とはいえ、末恐ろしいやつである。

 ここ数日の騒ぎに加え、追い打ちをかけるようなこの一件。

 さすがに心を傷め狼狽するかと思いきや、彼女はどこまでも冷静だった。



 その強さが危うくも感じるが、何があろうとも動じず、逆境においても策を巡らせ自らを武器とするその姿勢は、敬意と同時に愛おしくも感じられてしまうのだ。





「……おまえという女は、本当に侮れん」


 

 苦笑いで呟いて、脳の裏で『相当だな』と呟く。

 

 彼女が脅威に感じたのはこれで2度目だ。

 それを愛しく感じるなど、あの時は無かった。



 心の底から好きなのだ。

 「脅威」も、愛らしいと感じてしまうぐらい。



 そんな女がここまで覚悟を決めている。



 ならばこちらも、万全を期して事を運ばなければならない。

 手を緩めることは許されない。



 ぐっと唇に力を込めて。


 次の一手をどう打つか考えを巡らせるクルードの隣で、沈黙していたショーンが声を上げた。





「──しかしクルード様、いつまでも閉じ込めてなどおけませんよね?」

「無論だ。いつまでも奴らに踊らされてたまるか」



 問いかけに短く答えた。

 いつまでもこの茶番に付き合うつもりはない。



「賊を一匹捕らえたと聞く。洗いざらい吐かせる。平行し噂を封じ、リュネットの潔白をみなに知らしめる方法を考える」

「……それならきっと、大丈夫ですわ」




 リュネットの声は穏やかでありながら、どこか確信を帯びていた。


 『何がどう大丈夫なのだ』

 クルードがそう聞く前に、彼女は凛とした声で云い放つ。






「────発芽の時です」

「……リュネット? ……うん? なんだ?」



 述べたその意図が読めず、顔を向けるクルードに、リュネットは覚悟の瞳を向けると、




「クルード様。街に下る際は、どうかわたくしの似顔絵をお持ちください。……きっと、力になってくれるでしょう」

「……似顔絵?」




 意表を突かれたクルードは、思わず聞き返す。



 一体、似顔絵が何の役に立つ?


  頭の中で疑念が渦を巻く。

 だが、リュネットは動じることなく、まるで確信を持っているかのように手を重ね、静かに瞳を閉じて述べるのである。




「──天におわしますカルデウスよ、我にご加護を与えたまえ」




 その凛とした声は静かに部屋の空気を換えた。




 張りつめていた空気は僅かに和らぎ、澄み渡るようで──

 クルードとショーンが思わず顔を見合わせ頷いた。





 ここが潮目だ。

 そう、確信しながら。









 ヒトはみな、見たいように見、言いたいように言い、聞きたいように聞く。

 真実などはどうでもよく、自分の感性・快楽に忠実に、その物事を捉える。


 ヒトは哀れで矮小なのだ。




 リュネットの投獄から二日が経った。



 街には「先の盗賊騒ぎの黒幕、リュネットを投獄した」という布告がなされて一日。プレニウス城内は、針のむしろと化していた。



 遠くから聞こえてくる囁き、噂、嘲笑、憶測。

 それらは毒のようにじわじわと、クルードの神経を蝕み、逆撫でていく。




 「捕らえた賊は「リュネットに聞け」、そればかりらしいぞ」

 「クルードさまは騙されているのよ」

 「さっさと処断すればいいのに」



 「でも、昨日も来たらしいじゃん、賊」

 「リュネット様を助けに来るわけでもないのね」

 「リュネット様自体が騙されてる説ある?」



 「何も投獄することないのに……」

 「私は彼女、何もしてないと思うのよ」

 「近寄りがたい空気はあるけど、庭のクロッカスを丁寧に花摘みしていたわ」

 「庭師がリュネットさんに褒められて嬉しかったって言ってたなあ」



 「我が城主は正常だった」

 「阿呆じゃなくてよかった。女に溺れてなどいなかった」

 「慧眼のクルードは健在だった!」




 ヒトはみな、見たいように見、言いたいように言い、聞きたいように聞く。



 自分の感性・信念に忠実に、その物事を捉える。



 リュネットの潔白を確信しているからこそ、クルードにとっては、耳に入るすべての声が癇に障っていた。





 ──なぜ、誰も事実を見ようとしない?

 無責任な憶測で誰かを貶め、いい気になっている彼らが心底忌々しい。



 冷静を保とうとしても胸中で燃える怒りが簡単には収まらない。

 それでも表には出さない。


 武力に出たら「制裁」だ。

 権力奮えば「暴君」だ。


 そうあってはならない。

 プレニウス領を護らねばならないのだ。




 それがたとえ、愛する人をを攻撃する毒だとしても。




 何を言われようと何を囁かれようと、毅然とした態度を貫くしかない。


 


 彼女が牢で過ごす夜。


 クルードは城内の警備状況を再確認し、指示を出し続けた。

 賊を捕らえたとの報告はあったが、まだ気を緩められる状況ではない。

 リュネットを守るために、そしてこの陰謀を暴くために、すべての手を尽くす──。



 夜が明けるまでの数時間、気を抜くことなく考え続けた。

 そして迎えた翌朝。



 いつもと違うざわめきが城内を走り抜けたのである。





「クルード様! 民が門の前に集まっています!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る