壱抄◆松に鶴の恩返し

似たもの同士


「なァ……本当にこんなところに札があんのかよ?」


 山道を歩きながら息も絶え絶え雨竜が問えば、


「ある。あっち」


 迷いなく先を行く白雪が答える。

 こんなやり取りを、二人はかれこれ小一時間ほど繰り返していた。


 場所は、町の端にある山道から少し登ったところ。

 見る者が見れば、道脇のあちこちに山菜が自生しているのがわかる豊かな山だ。

 白雪曰く、この先に札の気配があるそうで。平坦な道と変わらぬ足取りでずんずん進んで行くものだから、雨竜は着いて行くので精一杯だった。

 特別体が衰えているつもりはなかったが、考えを改めるべきか。雨竜が現実逃避に自己認識を改めかけたとき。前方から言い争いの声がした。


「いた」

「あっ、オイ!」


 たった二文字残して、白雪は足を早めて突き進んでしまった。

 進行方向から聞こえてくるのは、間違いようもなく怒鳴り合う男の声だ。興奮した男たちのあいだに割って入って、白雪がなにか出来るとも思えない。

 雨竜は先ほどから限界を訴えている膝に鞭打って、先を急いだ。


 が、すぐに後悔した。


(…………地獄絵図かよ)


 声の主がいたのは、小さな泉がある少し開けた空間だった。

 他に、登山にしては軽装が過ぎる白い着物姿の女と、猟師らしき男が二人。片方は女を庇うようにして立っており、もう片方は白雪を人質に取っている。

 四半刻すらも経っていないこのあいだに、いったいなにがあったというのか。

 サッと身を隠したおかげで激高する男たちには気づかれていないようだが、ひとり隠れ続けたところで事態が好転するとも思えない。


「テメエ! コイツがどうなってもいいのか!? それともテメエも女にしか興味がねえってか!? ぎゃはははっ!」

「下劣な……! 彼女をお前に渡して、その人が助かる保証が何処にある!」


 雨竜はいま、白雪を人質に取っている男の背後にいる。白雪のあとを追ってきたのだから当然だ。前方には、怪我をして蹲っている女と、正義感はあるようだが随分と朴訥そうに見える男。此方側にいる男は、獣鉈を構えているので猟師かと思ったが、どちらかというと賊のようだ。

 それが証拠に、先ほどから興奮した様子で「女を寄越せ!」「それは俺が見つけた商品うりもんだ!」と柄悪く喚いている。


(変だな……)


 暫く様子を見ていたが、どうも手前側の男が雨竜を気にする素振りを見せない。

 背後に気を取られたら女に逃げられるからとも考えたが、背後から白雪が来たのに連れの存在を確かめようともせず、ほんの一瞬すら意識をやらずに前ばかり見て延々喚き続けているのは、さすがに不自然だ。

 雨竜は息を飲み、足元の乾いた土を握り込んで息を吸った。


「オイ!」

「なっ!? もう一人いやがっ――――わぶっ!?」


 驚愕の表情で振り返った男の顔に、思い切り土を投げつけた。

 刃先が白雪から逸れた隙に男の膝を蹴って仰向けに倒し、ついでに男が放り出した獣鉈を、白雪が仕返しとばかりに泉へ投げ入れた。おとぎ話なら泉の女神が出てきて金の鉈でもくれるところだが、生憎此処には不在のようだ。


「っ、クソッ! テメエら、逃げんじゃ……」

「お二方、此方です!」


 もう一人の男が、雨竜たちに向けて叫ぶ。男を転ばせた隙に女を抱え上げており、叫ぶや否や山の奥へ向けて駆け出した。その足取りに迷いはなく、彼にとって野山は庭も同然なのだろうと思わせた。


「行くぞ」

「うん」


 白雪の手首を掴み、雨竜も男のあとを追う。

 死ぬほど疲れていたはずなのだが、妙な高揚感があるお陰で何とか男を見失わずに着いて行くことが出来た。


 男が誘導した先は、猟師たちが使う山小屋だった。

 土間と簡素な板間、二畳ほどの畳があるだけで、暮らすための家ではない。土間の天井には細い縄が張られていて、毛皮や薬草の類が乾いた状態で吊されている。


「此処まで来れば暫くは大丈夫でしょう。お二人とも、助かりました」


 男は女を畳の上に下ろすと、雨竜たちに向けて深々と頭を下げた。


「礼はいらねェ。俺も突っ走ったこの馬鹿を回収しに来ただけだしなァ。それより、そっちの姉ちゃんは大丈夫なのかよ」

「は……はい。お助けくださり、ありがとうございました」


 雨竜が視線をやれば、女は両手をついて深々と頭を下げた。

 彼女は白雪のように人間離れした容姿をしているわけではない。一つに結った長い黒髪も、未だ恐怖と不安に揺れる黒い瞳も、細く頼りない体も、繊細そうな指先も。何処を見ても人間にしか見えない。


「松に鶴。戻って」


 だが白雪は女をじっと見つめ、場の空気も会話の流れも読まずに言いきった。

 それに驚いたのは、雨竜だけではなかった。猟師の男もまた、この人は突然なにを言い出すのかと言いたげな顔で白雪を見ている。

 それはそうだろう。雨竜も全く同じ気持ちだ。あまりに単刀直入過ぎる。


「わ、私は……」


 女は悲愴な表情になったかと思うと、良いも悪いも言わずに俯いてしまった。ただ退屈を強制させられる箱に戻りたくないだけなのか、事情があるのか。話を聞かないことにはわからないが、果たして話してもらえるかどうか。


「あの、あなた方は、此方の女性がどちらからいらしたかご存知なんですか?」

「知ってる。蝋梅神社の倉から逃げ……」

「だーもう! お前はポンポン言いすぎなんだよ!」


 雨竜は白雪の背中を叩き、無配慮に滑り落ちる彼の言葉をせき止めた。だが、少々遅かった。男は怪訝な表情で「倉だって……?」と呟いており、雨竜たちに『か弱い女を倉に閉じ込めていた蛮族』の疑惑がかけられつつある。

 嘘を吐くことに慣れていない雨竜には、此処から上手く挽回する案など生まれようはずもなく。


「あー……つまり、その姉ちゃんは人間じゃねェんだよ」


 悩んだ挙げ句に口から出ていたのは、白雪よりひどい一言だった。



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