賭博師雨竜の返済札集め

宵宮祀花

序抄◆全ての始まり

札付きの悪

 行き交う人々で賑わう大路を歩きながら、雨竜は盛大に溜息を吐いて見せた。長い尻尾髪が獣の尾のように揺れ、かろうじて元は松葉色だっただろうと窺える着古した着物の背中を往復している。足元は素足に草履で、その草履も随分くたびれていた。

 ひょろりとした印象の長身と、粗野だが決して醜悪ではない見目、目つきの悪さが容貌を荒っぽく見せているが、しかしのような鋭い気配はない。

 どこにでもいる渡世人で、だからこそ昼間からその辺をふらついていても誰も彼を気に留めることはなかった。


「探せったって、花火みてェに飛び散ったもんをどう探せってんだ」


 辺りを見回すが、探し物らしき影はひとかけらも見えやしない。

 道の両脇には店が建ち並び、呼び込みの声が威勢良く飛び交っている。建物は木と紙と瓦で出来た平屋が殆どで、高い建物はそれだけ権力も高い人間が住んでいると、誰に教わるでもなく根ノ國に住む者なら皆が知っている。

 現在地から見える範囲に存在するお高い建物は、賭場の胴元でもある神使が住んでいるお社くらいのものだ。


「大丈夫。俺が知ってる。近付けばわかる」


 ぼやく雨竜の隣で、白髪の青年が呟く。

 伏し目がちの瞳はごく薄い水色をしており、肌も雪のように白い。それが、美女の玉肌を褒めるような比喩などではなく、本当に真っ白な色をしているのだ。雨竜より幾分か身長が高いものの、その色彩や表情が彼の存在を儚く見せている。


「そういやァ、ンなこと言ってたなァ。白札の能力だっけ? 大したもんだ。お前が残ってなかったらどうなってたか」


 皮肉を八割含ませて吐き出した雨竜の言葉を、白髪の青年は素直なはにかみ笑いで受け取った。

 そういえばコイツはこういうヤツだったなと、また一つ溜息を追加する。


 抑も雨竜が当て所なく探し物をする羽目になったのは、不運と自業自得が重なった結果であった。


 * * *


 白い月が地上を見下ろしていた、明るい夜のこと。

 酒場から帰る途中で、雨竜は賭場方面から人の気配がすることに気付いた。賭場と言っても、表向きは神社として運営している場所。こんな真夜中に堂々と騒いでは、役人に目をつけてくださいと言っているようなものだ。

 いったいこの刻限に、社でなにがあったというのか。

 僅かな好奇心が酒気に後押しされ、雨竜はひと気のあるほうを目指した。


「…………ても……、……ない……」

「……どれ…………って言っ…………!」


 やがて、コソコソと言い争うような話し声が聞こえてきて、気配の主が視認出来るところまで来た。どうやら二人組の若い泥棒が、恐れ多くも社の倉へ忍び込んだようだった。


「おいお前ら、そこでなにして……」

「ッ!?」


 雨竜が思わず声をかけると、二人組はビクッと肩を跳ね上がらせ、弾かれるように駆け去っていった。そのとき背負っていた風呂敷から小さな箱が落下したが、二人は気付かなかったか拾う余裕がなかったか、そのまま闇に消えてしまった。

 周囲に人影はなく、声もしない。あるのは夜道に投げ出された小さな箱が一つ。

 取り残された雨竜は、仕方なく箱を拾い上げた。


「へえ……コイツはまた見事な……」


 その箱は、雨竜の片手にも容易に収まる大きさの木箱だった。蓋には美しい天上の鳥が、本体には色鮮やかな花々が、それぞれ彫られている。花はいまにも香りそうなほど瑞々しく、鳥は羽ばたきの音さえ聞こえてきそうなほど精巧で、大して目利きも教養も無い雨竜にもこれは見事だとわかる。

 鍵の類はなく、寄木細工でもない。先ほど落ちたときに開かなかったのが奇跡だと思うほど、簡単に開けられる作りだ。


「売れば酒代の足しくらいにはなるかね」


 などと零しながら蓋を開けた、そのときだった。


「うわ!?」


 箱の中から白い光が真上に飛び上がり、上空でパッと四方八方へ散ったのだ。

 それはさながら、打ち上げ花火の如くであった。しかし、よもやこんな小さな箱が花火入れだったとは思えず、雨竜は呆然と佇むことしか出来ない。

 光は夜空で散ったのを最後に影も形もなく、大きな音がしたわけでもない。なにが入っていたのかもわからず、手元にあるのは空箱だけ。


「何なんだ……」


 すっかり酔いも醒め、帰ろうかと足を引いたとき、雨竜のものとは別の足音が遠く路地の先から聞こえた。慌てたような声と、やけにバタバタ忙しない足音。どうやら逃げる期を逃したようだと気付いたときにはもう遅かった。


「こっちだ!」

「いたぞ! アイツだ!!」


 逃げも隠れも出来ないままに威勢のいい声が近付いてきて、雨竜はあっという間に取り囲まれてしまった。見れば、賭場の関係者であることを示す札が帯から下がっており、やはりというか当然というか、先ほどの盗人は追われていたようだ。

 誰も彼も刀や十手を構えており、素手に小さな木箱しか持っていない雨竜には不利どころではない状況だ。


「な、何だよテメエら……」

「畏れを知らぬ盗人め! 神妙に致せ!」

「はァ!?」


 驚く雨竜を男たちは手際よく拘束し、力強く両腕を掴んだ。まるで役人の下へ出頭させられる罪人の如き扱いだ。


「……お、おい! 離せッ! 何なんだよテメエら!」

「うるさい! 堂々と盗品を手にしながら盗人でないとは言わせんぞ!」


 其処でようやく、雨竜は逃げた泥棒と勘違いされているのだと気付いたが、手中に盗品と思しき木箱がある以上、激昂している男たちになにを言っても無駄だろうとも察し、ふて腐れながらも連行された。

 せめて彼らに指示を出した人間は、話を聞く頭があればいいと思いながら。


「神使様、引っ捕らえました!」


 連れて行かれた先は、案の定社の奥であった。

 無理矢理膝をつかせられ、膝小僧が擦り剥けた感触に眉を寄せる。


 賭場として使っている建物の更に奥まった場所にあるそれは、一見すると他愛ない雑物が詰まった物置なのだが、床板の一部が階段となっていた。地下にいくつか牢と尋問室があり、借金が嵩んだ者や胴元に仇をなした者が連れて行かれるところだと、噂に聞いたことがあった。

 まさか実在するとは思っていなかったが、神を祀る一方で賭場を開いているような輩なのだから、都合が悪い人間を『収納する』場所くらいはあるだろうなと、雨竜は妙に冷静な感想を抱いていた。


「ああ、ご苦労だったね」


 神使様と呼ばれた男が、ゆるりと振り返る。

 燭台の上でゆらめく炎が、剥き出しの土壁や牢屋、それらとはだいぶ不釣り合いな美しい着物を着た男を橙に浮かび上がらせる。男の艶めく長い黒髪も、夜闇のような黒い瞳も、夕陽に似た炎の色がぼんやり染めていた。


「へ、へへ、それじゃあ、お咎めは……」


 男たちが胡麻を擂った瞬間、雨竜を捕らえていた二人の男が背後に吹き飛んだ。


「ぐあっ!」

「ぎゃっ!?」


 神使の男は地面に転がった男たちに冷たい目を向け、わざとらしく嘆息する。


「私は二人組の泥棒だと言ったはずだが?」

「う、ぐ……ひ、一人は、逃げたあとのようで……」

「……外には、そいつひとり、しか……ぐああっ!」


 言い訳を並べた男たちが、更に苦しげな悲鳴を上げた。まるで見えない力に上から抑えつけられているかのように、地面にべったり張り付いたまま叫んでいる。


「だいたい、あれだけ盗まれておきながら別人を連れ帰り、挙げ句に盗品はまんまと持ち去られて、何故許されるなどと思い上がった」

「う……ぐ、ギ…………」


 ナニカに押し潰されている男たちは最早言語を紡ぐことすら出来ない様子で、ただひたすら意味を成さない呻き声だけを漏らしている。気のせいでなければ男の体からギシリ、ミシリと、嫌な音が聞こえてくる。


 ふ、と。冷たい目が男たちから逸れて雨竜へと向いた。


「……お前、映成札を解放したのか」


 自分もあの男たちのように問答無用で盗人として押し潰されるのだばかりと思っていた雨竜は、拍子抜けした顔で神使を見上げた。


「は、花札? って、博打に使うあれのことか……?」

「いいや」


 神使の男は小さく首を振り、傍らの書棚から一冊の管理帳簿を取り出した。そして頁の後ろ付近を開くと、雨竜に見せた。


「文字は読めるか」

「あ、ああ……それなりには……」


 学校には通っていなかったが、博打を打つのに文盲では話にならない。読めもせぬ契約書を渡されて、署名させられては敵わないからだ。それゆえ読める文字に偏りはあるものの、雨竜は育ちの悪さにしては全くの無知ではなかった。

 かといって、人並みの教養があるわけではないのだが。


「これが……この箱ってことか?」


 見せられた帳簿には『映成札はなふだ』とある。

 読みは先ほど聞いたとおりだろうが、賭場で聞く花札とは違うものなのだろうか。言われて箱を見れば、花札と同じ大きさではあるのだが。


「これは、我々が管理していた貴重な妖札でな。人の心を映して成るゆえ、映成札と呼ばれている。願望、欲望……様々な心の色を読み取って映し、人の形を取り、人に紛れる」


 妖がいること自体には驚かなかったが、これほど身近に存在していたとは思わず、雨竜は盗人として捕らえられた立場であるのも忘れて聞き入った。


「一度“成った”ものは願いを叶えるまで戻らぬ。戻る意識もない。そこで、だ」


 ついと視線が注がれ、雨竜は目を丸くした。

 神使の男はにんまりと目を細め、袖口から扇子を覗かせると、雨竜の顎に添えた。

 仰のいた雨竜の視界いっぱいに、神使の端正な顔が映る。凡そ其処いらではお目にかかれない、美そのものと言っても過言ではない整った顔立ちをしている。香の類は詳しくないが、近付くと微かに清潔感のあるスッキリとした香りがする。


「お前が回収しておいで。盗んだのはお前じゃないとわかっているが、それを開けて札を解放したのはお前だ。開けずに社へ戻せば良かったものを、そうしなかった……その償いはすべきだろう?」

「ぐっ……わ、悪かったよ……」

「随分素直だこと。まあ、口だけの謝罪など受け取るつもりないがね。それで済めば役人もなにもいらぬのだから」


 真剣で体の表面をチクチクと切り刻むかのような、正論の嵐だった。何故か雨竜が話すまでもなく泥棒の嫌疑は晴れていたが、やったことも同時にバレていたのだ。

 男たちを吹き飛ばしたような神通力めいたものが他にもあるのか、それとも優秀な部下や監視者がいて、全て見ていたのか。

 いずれにせよ、断る選択肢は雨竜に残されていなかった。


「か、回収ったって、どうすりゃいいんだよ……」


 先ほど外で見た光景を思い出し、雨竜は低く零した。

 これまで神だの妖だのといった類とは無縁の生活をしてきた雨竜にとって、奇妙な札の行き先などわかるはずもない。ましてや人と成った札を箱に詰め戻す手段など、思いつきもしなかった。


「どうやらその箱には最後の一枚が残っているようだ。まずはそれを起こせ」

「いや、だから、どうやって……」


 心底憐れなものを見るような、あまりにも出来の悪い生徒を見るような目で冷たく見下ろされ、雨竜はぐっと息を詰まらせた。しかし、わからないものはわからない。叩けど揺すれど案が出てくるわけもない。

 神使は大仰に溜息を吐くと、扇子の先で箱を差した。


「箱に残った札を手に取り、名を呼べ。頭に浮かんだ言葉がそれの名だ」

「残った札?」


 あれほど派手に打ち上がって飛び散ったのにそんなものあっただろうかと、雨竜が改めて箱を覗けば、確かに一枚だけ底に残っていた。真っ白だったものだから底板と見間違っていたのだ。

 なにも描かれていない、真っ白な映成札――――紅い縁取りだけのそれは、一点のシミもなく何処までも純白だった。

 指先で恐る恐る取り出し、札を見る。すると雨竜の頭に、一つの言葉が浮かんだ。


「……白雪」


 雨竜が名を口にした瞬間、札が飛び散ったときと同じような光が目の前に迸った。目を開けていられないほどの光に思わず瞼を閉じ、顔を背ける。

 やがて光が収まったのを瞼越しに確かめると、そろそろ目を開けた。


「……あれ? 外? なんで?」


 雨竜の目の前、神使とのあいだにいたのは、妙にぼんやりした男だった。

 白い髪、白い肌、白い着物を着た、薄い水色の瞳を持った男。血色という概念すら存在しないような透き通った白が、人の形をしている。


「白札。映成札の封印が解けてしまった。其処の男と回収してきてくれ」

「……ん、わかった」


 白い手が伸びてきて、雨竜の腕を掴み、真上へ引き上げる。たたらを踏んで立った雨竜を眠たげな目で見つめたかと思えば、ことりと首を傾げた。


「名前は?」

「え、あ、ああ……雨竜だけど」

「うりゅー」


 どうにも発音が可笑しかったような気がしたが、長居したい場所でもないので特に追求することなく「行くぞ」と踵を返した。なにせ探す対象は手のひらに収まるほど小さな札だ。何処へ飛び散ったかも知れないそれを、町中歩き回って見つけなければならない。

 自業自得とは言え、全く以て気の遠くなる話だ。


「ああ、そうそう。仕事には報酬が必要だね」


 去ろうとした背に突然そんな言葉を投げかけられ、雨竜は思わず振り向いた。


「あン? なに言ってんだ、俺がしたことの始末じゃねェのかよ」

「ふふふ。でも、盗まれたこと自体は此方の落ち度だから。……ねえ?」


 ねえ、と言ったときに視線が雨竜から逸れた気がしたが、視線の先を確かめる気になれず、取り敢えず「それで?」と促した。


「お前、随分と賭場うちで借金をしているようじゃあないか。もし札を全て集めることが出来たら、それを帳消しにしてあげよう」

「はァ!? 帳消しって、百貫はあるんだぞ!? ンなもん、いくら何でも……」

「出来るよ。私がたった一言、帳消しにすると言えばいいだけなのだから。もちろん私の言うことを信じなくてもいい。お前のやることは変わらないのだからねえ」


 それはそうだ。と、雨竜は浅く息を吐いた。


「まあ、いずれにせよ集め終わればわかることだ。さあ、そろそろ行きなさい」

「おう。……行くぞ」


 去り際、地下の隅で転がっている男たちがいつの間にやら静かになっていたことに気付いた雨竜だったが、触らぬ神に何とやらだと見なかったふりで外に出た。


 だから、聞こえなかった。

 雨竜が去って行くその背中に呟いた「賭博師には向かない素直な子だね」という、楽しげに笑う神使の声が。


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