黄色の谷 世界の縁
森戸 麻子
一章
1.祭りと異人
祭りは七年続いたので、ロクにとっては物心ついたときから祭りをしているのが平常で、それ以外の時代を知らなかった。石畳の通りに並ぶ屋台と幟、その合間をうねりながら流れる人混みは異人が多かった。頭に角がついたものや背中に羽がついたもの、身体が半透明なもの、異様に小さいもの大きいもの、それに彼らが連れる家畜や使役魔だ。通りは常に色とりどりで、ごちゃごちゃで、ありとあらゆる音とにおいに満ちていた。
祭りが終わって人混みが消え、屋台と幟が片付き、がらんどうの石畳が残されたとき、ロクはこの世が終わってしまったのだと思った。屋台から食べ物が盗めないとなると、明日から何を食べれば良いのだろうか。
それからはひもじい日々が続いた。色々なものに追い回されることが多くなった。ロクは言葉を知らなかったし、この世の道理というものを何一つ教わってこなかったので、彼らがなぜ自分を追ってくるのかも皆目わからなかった。ロクにとってこの世は常にシンプルだった。あらゆるものは、食えるか食えないかの区別だけ。そして人間や動物については、自分を追ってくるか来ないかだけだった。話しかけてくるものはいなかった。皆、ロクに対して何か言うとしたら、怒鳴るか騒ぐかしかなかった。だから犬の吠え声や鳥の囀りと同じで、彼らの声も無意味な騒音だと思って聞き流していた。
最初に話しかけてきたのがその男だったので、ロクは単純にその男を親だと思った。あるいは主人、王、この世の道理と価値を創り出して自分に与えた存在、神だと考えた。
ロクという名前を授けたのもその男だ。男は多くの魔法使いと同じく、利き手の五本の指にひとつずつ魔法を持っていたので、そこに加わる六番目の手札という意味でロクという名前を付けた。
ロクにとってずっと不思議だったのは、男が明らかに異人であるのに、そのことに気付くものが一人もいないことだった。
この疑問を最初に話した相手は、イズミという屋敷住まいの少年だった。ロクが言葉を話せるようになってから優に五年は過ぎた頃だ。その頃はまだ、祭りの名残が残る中流の町に住んでいて、その一帯は半分が菜畑で半分が住宅と商店だった。ロクの暮らしは路上で盗み食いをしていた頃とは見違えるようになり、言葉も覚えたが、相変わらず世界はシンプルで明快だった。
「あの人は違うよ、異人じゃない」
ロクの疑問に、イズミは自信を持って答えた。
「異人と常人のいちばんの違いって分かるか? 角や翼のあるなしじゃない。ぱっと見はまったく常人と違わない異人も沢山いるんだ。本当の違いは眼だよ。彼らは虹彩が虹色に透き通っている。だから目を傷めやすくて、強い光を直視できないんだ。うちに来た客人が異人かどうか分からないとき、僕はね、いつもランプの側に座る。しばらく眺めていて、一度もこちらを見ない奴は異人だよ。彼らには僕が真昼の太陽の真横に座っているくらいに感じるんだ」
しかし、かく言うイズミも異人の類縁であり、目は弱かった。彼の言い分によれば、幼い時に「好奇心が強すぎて」太陽を直視したせいとのことだったが、それ以外にも彼の身体には不具合が多かった。イズミは他の同年代の少年と比べてかなり小さかったし、まったく走れなかったし、いつも口と鼻の半分以上が塞がったような鼻声で、滑舌も怪しかった。ロクが自分の抱える長年の謎を彼に話すことができたのは、他の連中と違って、イズミは話しかけても逃げ出さなかったからだ。そして大体のところ、彼は逃げないという決断をしたわけではなく、思うように動けないせいで話し相手を選べないだけだった。
イズミの定位置は町の中に幾つかあったが、屋敷を囲む垣根のわずかに途切れた隙間もその一つだった。この隙間はイズミの住まう屋敷の裏門側、つまりロクの家の斜向かいにあった。
イズミが異人の見分け方を説明したのは初夏のことで、垣根の
イズミの手が急に強張って止まったので、ロクも彼の目線を追って顔を上げた。
ロクの家から、つまりロクに言葉と暮らしを与えた魔法使いの家から、当の魔法使いが数名の部下を引き連れて出てくるところだった。彼はその頃は
「出掛けるのか」ロクが道の向こうから声を掛けると、崔は一瞬だけ目を向けて頷いた。
そこへ丁度割り込むように、犬型の使役魔が引く車が土埃を蹴立てて到着した。崔は部下達と共に乗り込み、車は通りをするすると遠ざかった。
「ほら、あの人の眼は黒いだろう」イズミはうまく呂律の回っていない口調で、やや得意げに言った。「あれは異人の眼じゃないよ。異人はもっと、においも違うしな」
ロクは無言で考えていた。確かに崔はイズミの考える「異人」ではないのかもしれない。しかし、崔がこの谷の出身者でないことは、ロクにとっては明白なことだった。眼の色や身体の形は、まったく問題ではなかった。崔という男は何かが完全に違っていて、ただそれが何なのか、ロクは説明できなかった。
説明する必要がないくらい、分かりきったことだったからだ。
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