第3話「なぜ生まれた」と問う夜

 乾いた音が喉元までせり上がるなか、ジョウがすかさずミスミの手を抑える。


「待て、ミスミ!」


 その声に、空気が裂けた。

 廃道の先、崩れた瓦礫の陰。咆哮を上げるでもなく、ただかすかにうねるような気配とともに、異形の影が姿を現す。細くしなやかな四肢。蛇のようにうねる筋繊維。全身を包む甲殻には、まだらに苔のような緑がこびりついている。スラッシャー型――高速接近と斬撃特化の、小型ブリーダント。


 ミスミの眼が鋭く光る。即座に銃口を向け直そうとするが、――そのときだった。

 ルクスが、ゆっくりと立ち上がる。

 ジョウの後ろから進み出て、スラッシャー型の方へ、一歩。さらにもう一歩。


「ルクス、戻れ!」


 ジョウの制止も聞かず、ルクスはそのまま歩を進める。右手を、そっと前に伸ばす。小さな口が、何かを呟いた。それは、声にならない“音”。誰の耳にも届かないような、空気の震え。

 だが、ブリーダントは反応した。甲殻がざわめくように振動し、うなるはずの四肢が、地に沈むように力を失っていく。まるで、何かを聴いたかのように。


「……何を、してやがる」


 ミスミの声が低く唸る。恐怖とも嫌悪ともつかぬ、感情のざらつきが滲む。

 ルクスは、それでも歩みを止めない。指先が、ブリーダントの額へと触れようとした、その瞬間――銃声が響いた。

 弾丸は、ルクスの手のすぐ脇をかすめ、地面の岩を砕く。


「やめろ!!」


 ミスミが吠えるように叫ぶ。銃口はルクスのほうへ――ではなく、その背後に向けられていた。

 しかし、ブリーダントは反応せず、ただ、静かに、静かに……その場に伏せた。

 ルクスが振り返る。怯えているわけではなかった。ただ、静かに、ミスミを見つめている。

 その灰色の目に、ミスミは息を呑む。


「お前……いまのは……何だ……?」


 言葉は宙に浮いたまま、落ちてこなかった。

 ジョウが、そっとルクスの肩に手を置く。


「ルクスは、敵に向かって発声しただけだ」

「それが問題だって言ってんだよ!」


 ミスミの怒声が通路に反響する。

 ジョウはあえて沈黙し、代わりにロルフが前に出た。


「記録は残ってる。彼の声と、ブリーダントの反応。ログにしておくべきだ」


 ロルフは端末を取り出し、冷静に操作を始めた。録音されたルクスの発声と、その直後に沈黙するスラッシャー型の映像。それらを短く編集し、別ファイルとして本部宛てに送信する。


(交信の可能性――否定できない。上層部は、これを見れば動く)


 ロルフはそう思いながら、端末の送信ボタンに指を添えた。

【交信反応ログ1】と名付けられたそのファイルは、沈黙のなか、回線を通って送られていく。


 一方、ルクスは何も知らず、ただ小さく立ち尽くしていた。その表情には恐怖も困惑もない。ただ、誰にも理解されぬ“何か”とのつながりを探るように、遠くを見つめている。


 ミスミはその姿から目を逸らし、拳を強く握った。


「……俺は、こいつを信じられねえ」

「ミスミ……」

「連れてくのは構わねぇ。命令だろ? でもな、いざってときは……俺が撃つ。ためらわねぇ」


 言葉は冷たかったが、背を向けたその手は、かすかに震えていた。

 それを見つめながら、ジョウは呟く。


「……そうやって背負ってくんだな、全部」


 この日、ルクスの「声」は、たしかにブリーダントに届いていた。だが、それが何を意味するのか。誰もまだ、答えを持ってはいなかった。


* * * * *


 異形の個体が沈黙してから数分後。ルクスはその場に静かに立ち尽くしていた。


「……こいつ、動かねぇな」


 ミスミが吐き捨てるように言う。伏せたまま反応を見せないスラッシャー型ブリーダント。触手のような四肢は地面に沈み、ぴくりとも動かない。


 ロルフが慎重に接近し、端末を翳す。反応は限りなく低く、敵意の兆候は見られなかった。


「生体反応はごく微弱。……いま攻撃してこないなら、動かさないほうがいい。調査班に回収させよう」


 そう言って端末にメモを記録するロルフに、ミスミが苛立ちを隠さず言った。


「まさか、本部に“飼い慣らされた化け物”でも見せたいのかよ」


 ロルフは小さく息をついた。


「可能性の話をしているだけだ、ミスミ。今は、退く判断も必要だ」


 風が吹き、沈黙の森を抜ける。誰も、異形の眠りに踏み込もうとはしなかった。

 ──そのまま小隊は撤退。沈静化した個体は現地に残され、後日の回収が予定された。


 ニールに戻ったのは、それからおよそ2日後だった。


「……また、出るんだって?」


 医療棟でルクスを見ていたジョウが、包帯の交換をしながらミスミに問う。ミスミは壁にもたれたまま、わずかにうなずく。


「新種の痕跡がある。フロレア型の変異種だとさ。調査対象に選ばれた。……ルクスも一緒に、な」


 その言葉に、ジョウの手が止まる。


「本気か。……いや、上の判断か」

「ロルフが命令書を持ってきた。どうやら、初めから“次”を見越してたらしい」


 重い沈黙が降りる。ルクスはベッドの上、静かに目を閉じていた。


* * * * *


 ふたたびの出撃。ミスミ、ジョウ、ロルフ、そしてルクス。灰色のトラックが荒野を走り抜ける。車内に会話はなかった。ルクスがかすかに身を寄せると、ミスミは露骨に身を引いた。


「やめろ。距離を保て」

「ミスミ……」


 ジョウが宥めようとするが、ミスミは目を合わせない。


「悪いな、ジョウ。俺はまだ……こいつを“味方”だなんて思えねぇ」


 その言葉にルクスが反応を見せたが、声は発さなかった。ジョウはかすかに首を振り、話題を切り上げた。


 現地に到着する。広がるのは、ねじれた木々と黒く濁った土壌。空気に、どこか重苦しい違和感が漂っている。


「……これは……」


 ロルフが調査用ゴーグルを装着し、周囲を確認する。


「植物の異常繁殖……? いや、構造が違う。胞子か……?」


 踏みしめた地面の隙間から、ふわりと白い微粒子が舞い上がる。微細な胞子のようなものが空気中に漂い、視界がかすんだ。


 ルクスが歩を進め、枯れた枝に手を伸ばす。


 その瞬間、ミスミが叫ぶ。


「触るな!」


 銃を抜く動作が早かった。ジョウがすぐさま身体を割り込ませて制止する。


「落ち着けって!」


「ふざけんな……何考えてるかわかんねぇ奴が、何で俺の目の前で平然と歩いてんだよ!」


 ルクスはただ、静かに、ミスミのほうを見ていた。

 そのときだった。風に混じって、かすかな腐臭が漂ってくる。


「……あれを見ろ」


 ロルフが指差した先、朽ちた木の根元に何かが倒れている。


 近づくと、それは人間の遺体だった。全身が胞子に覆われ、皮膚はところどころ植物に侵食されていた。


「腐食性……か? 空気感染……?」

「……またか。どこまで歪めば気が済むんだ、こいつらは」


 その言葉が空気に溶けていくなか、空から小さな滴が落ちる。

 ぽつ、と。濡れた葉に、水が弾ける音。


「ちくしょう……降ってきやがった」


 ミスミが眉をひそめて空を見上げる。鈍色の雲が空一面に広がり、雨は次第に粒を増していく。やがて地面を濡らすその雨は、空気に漂う“胞子”らしき気配をわずかに巻き込みながら、静かに浸食を始めていた。


* * * * *


 雨が、降り出していた。最初は霧のように淡く、やがて地面を打つほどに強くなる。装備の外殻には細かな泡が生じ、かすかに煙が立ちのぼった。


「腐食してる……!」


 ロルフが警告するように叫ぶ。


 視界を覆う白濁した霧。そのなかから、不意に姿を現す影があった。植物の蔓のようにうねる手足、骨格をねじった異形。腐食性胞子に適応した、新たな変異種――フロレア型ブリーダントだった。


「くそ、来やがったか!」


 ミスミが即座に銃を構える。弾丸が肉を裂き、腐臭が漂う。しかし雨のなかでは感覚も鈍り、機械の反応も鈍い。

 ロルフが側面から迫る触手に気づくのが一瞬遅れる。


「ロルフ、下がれッ!」


 ミスミの叫びと同時に、ブリーダントの一撃がロルフの左脇腹を打ち抜いた。装甲が裂け、血が滲む。


 ジョウがすぐに駆け寄り、ルクスを抱えて後退する。ミスミは残弾を撃ち尽くして個体を退かせると、ロルフを背負って撤退を指示した。


 雨のなか、小隊はなんとか廃屋のようなシェルターに辿り着く。シェルターの内部は湿った空気に包まれていた。外はまだ雨。鉄板の天井を叩く音が、ひたすらに静寂を打ち抜いている。


 壁にもたれ、ロルフがうめいた。装甲越しに侵食してきた胞子が皮膚に火傷のような傷を刻み、彼の呼吸は浅くなっている。


「傷は……浅いけど、油断できない。感染の兆候も見ておかないと」


 ジョウが応急処置を施しながら、ルクスに視線をやった。

 そのルクスが――ふらりとロルフのそばに歩み寄っていく。濡れた足音が、かすかに響いた。


「……?」


 そして、彼はゆっくりと口を開き、“ある言葉”を、雨音に混じるように、小さく紡ぎ始める。


* * * * *


「おい、何を――」


 ミスミが制止するより早く、ルクスはロルフの膝元にしゃがみこんだ。小さな手が、そっと彼の腕を包み込む。


「……いたく、なくなれ。あめ、やんだら、きっと、なおるよ」


 その声に、一同が目を見張った。


「……え?」


 ミスミの声が震える。まるで、それは――


(ヨーコ……?)


 過去の記憶が、雨音と重なる。任務に出る直前、微笑む彼女が言っていた。


『おまじないみたいなもんだよ。怪我しても、元気になれって言ってもらえるだけで、少し救われることってあるから』


「なんで、お前が……」


 ミスミの拳が震える。怒りとも、困惑ともつかない感情が胸を満たしていく。


「……ふざけんなよ。お前……何なんだよ……っ」


 ルクスは黙ったまま、ミスミを見上げた。感情を持たないはずのその眼が、かすかに揺れていた。


「心が……あるのか?」


 ジョウがぽつりと呟く。ロルフも、傷の痛みに耐えながら、同じものを見ていた。

 ミスミは、もう抑えきれなかった。


「答えろよ……なんで、お前なんかが、生まれた……!」


* * * * *


 シェルターの奥、崩れた壁の影。ルクスはロルフの傍らに、静かに座り込んでいる。ロルフの左脇腹は応急処置を施され、包帯が血で滲む。ミスミは一歩距離を置き、壁際に背をもたせかけたまま、言葉を飲み込んでいた。


「なあ……なんでだよ」


 誰に向けてでもなくこぼれた問いにルクスが顔を上げ、まっすぐにミスミを見つめている。濁りのない灰色。その奥に揺れていたのは、恐怖でも困惑でもなかった。


「どうして、お前が……生きてる? 生まれてきた……」


 喉が焼けるように痛む。ミスミはそのまま膝に手をつき、俯いた。


 ジョウが、そっとミスミの肩に手を置く。


「ミスミ……」

「放っとけ」

「……お前の気持ち、分かるよ。けど……」

「分かるわけねぇだろ!」


 ミスミの叫びが、シェルターの内部に反響した直後。外から、ざっ、と何かが動く気配がした。

 ミスミが即座に銃を構える。ロルフも立ち上がって、痛みに顔をしかめながら、腰のナイフに手をかけた。


「来るぞ……!」


 ミスミが呟く。


 天井の通気口からかすかに空気が揺れ、ついに、入り口の扉がわずかに軋んだ。薄闇の中に現れたのは、小型のブリーダント――スラッシャー型。


「くそっ、なんで今……!」


 ジョウが身構えたそのとき、ルクスが立ち上がる。


「おい、やめろ……! ルクス! 下がれ!」


 ジョウが叫ぶが、ルクスは一歩、また一歩と進み出る。雨に濡れた衣服がきしむ音が、緊張の空気に溶ける。ブリーダントがわずかに身を引くように、ぴたりと動きを止めた。


 ルクスが、かすかに口を開く。だがそれは、言葉ではなかった。人の耳には届かない――けれど、たしかに“届く”何か。震えるような、空気のゆらぎ。

 スラッシャー型が、一歩退いた。甲殻の振動が収まり、そのまま背を向けるようにして通気口の中へと消えていく。


「……信じらんねぇ……」


 ミスミの声が、かすれた。

 ルクスはその場に立ち尽くしていたが、次の瞬間、ふらりと体を傾け――そのまま、崩れ落ちた。


「ルクス!」


 ジョウがすぐさま駆け寄り、抱き起こす。額に手を当てると、明らかに熱があった。

 ロルフも顔をしかめる。


「過剰な神経負荷……いや、脳への逆流信号の可能性もある」


 ルクスの表情は穏やかだった。ただ、眠るように呼吸をしている。

 ミスミは遠巻きにそれを見つめ、拳を握りしめる。


「……結局、何者なんだよ。お前は……」


 だが、その言葉にも、返事はなかった。


* * * * *


 ニールへの帰還は静かだった。

 幌付きトラックの荷台、ルクスは簡易ベッドに寝かされ、ジョウが傍らに付き添っている。薄く閉じた目元には疲労の色が濃く、額には熱の余韻が残っていた。


「……無事、戻れたな」


 ロルフがぼそりと呟く。運転席のミスミは、応えなかった。ただ、ルクスのほうへ向けられた視線だけが、以前より幾分、長くそこにあった。


 ――医療棟の検査室。白い光の下で、ロルフが端末に向かって言葉を走らせる。


『前頭葉の活動に不規則な変動あり。とくに交信直後に確認された脳波パターンは、一般的な言語形成とは異なる……これは“言葉”じゃない。が、一定の周波数と規則性を持っている』


 隣で聴いていたミスミが顔をしかめる。


「……つまり、なんなんだよ、それ」

「“音声”じゃなくても、“意味”を伝える方法はある。これが、ブリーダントとの対話の鍵かもしれない」


 ロルフは画面を指差す。波形が揺れるグラフに、“非言語信号”という表示が点滅していた。


「いずれにせよ、ルクスの体内では通常の神経伝達と別の系統が働いている。それはブリーダントの反応と、確実に関係しているはずだ」


 ミスミは、返事をしなかった。代わりに目を細め、観察室のガラス越しにルクスを見やった。

 少年はベッドの上、静かに目を閉じている。呼吸は落ち着いており、まるで何事もなかったかのようだった。


(本当に、お前は……人間なのか)


 問いかけは喉まで上がってきたが、声にはならなかった。


「ミスミ。君はどう思う?」


 ロルフの問いに、ミスミはわずかに顔を背けた。


「……俺は、答えを出すには、まだ早すぎると思ってる」


 それが本音だった。怒りも、戸惑いも、もはや形を成してはいない。ただ、言葉にならない感情が、胸の奥に重くのしかかっていた。


 沈黙のなか、モニターの信号がふたたび脈動を始める。波形が一瞬だけ跳ねた。

 ルクスの脳は、何かを聴いていた。いや、“応えて”いたのかもしれない。

 だがその“言葉”を、人間はまだ理解できないままだ。

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