第27話 超越



 かつて繁栄を誇った港町、《ポートラザルク》。


 今やその姿は、リーネの故郷レガルディアと同じく、静寂と瓦礫に支配された“死の街”へと成り果てていた。


 ヒナタたち一行は、かつて港へと続いていたであろう石畳の道をゆっくりと進む。両脇には崩れた建物の残骸が折り重なり、強風のたびに砂塵が舞い上がる。


 やがて、街の中心部へと辿り着いた。


 そこに建っていたのは、ひときわ大きな建造物。

 今もなお威容を保つその外観には、かつての栄華の片鱗が感じられたが――やはり、あちこちに亀裂や崩落の跡が見て取れた。


「……ここで間違いないか? エイド」


 ヒナタが声を潜めて尋ねると、彼の傍らに浮かぶ淡い光――ステータス画面が即座に応答する。


『はい。対象者はこの建物内に滞在していると、以前設置されていた追跡装置の記録が示しています』


 その静かな声に小さく頷いたヒナタは、皆に軽く合図を送り、正面扉の前へと歩み寄った。


 寂れた街に佇む大きな廃墟。

 だが――それでも礼節は欠かせない。


 ヒナタは鉄製のノッカーに手を伸ばし、「コン、コン」と控えめに叩いた。


 重く乾いた音が静寂に響いた数秒後――


 ギィ……。


 ゆっくりと、扉が内側からわずかに開いた。



 扉の奥に立っていたのは、女性の姿をした“魔物”だった。


 その面影は、人間だった頃の記憶を留めたまま変質してしまった存在――かつてリーネと出会った街にも、多く彷徨っていた、人型の魔物たちと酷似していた。


「突然の訪問、申し訳ありません。《ヴェル・ネオセリス》さんでいらっしゃいますか?」


 ヒナタが慎重に言葉を選びながら問いかける。

 警戒を強める仲間たちの中で、彼もまた反射的に身構えていたが――魔物の女性は、ただじっとこちらを観察するように立ち尽くしているだけだった。


 敵意はない。そう感じたヒナタたちは、わずかに緊張を緩めた。


 しばらくの沈黙の後、女性の唇がゆっくりと動いた。


「はい。こちらは……ヴェル様のお屋敷に、ございます」


 機械のように硬い、どこか不自然な発音。

 流暢とは言えなかったが、意味はきちんと伝わってくる。


 少なくとも――彼女が“ヴェル本人”ではないことは確かだった。


「俺はヒナタといいます。ヴェルさんにお目通りをお願いしたくて、ここまで参りました」


 そう名乗りを上げると、女性は静かに扉を開ききり、無言のまま一行に“中へ入れ”と促す仕草を見せた。


「……入っていいってこと、かな?」


 リーネが不安そうにヒナタを見上げる。

 ヒナタは小さく頷き、ふわりと浮遊しながら進み出す。



 扉の奥に広がっていたのは、かつての栄華を物語るような――それでいて、どこか物寂しさを湛えた豪奢な空間だった。


 吹き抜けのエントランスホール。二階建ての造りで、正面には左右対称の大階段が緩やかなカーブを描きながら上階へと続いている。左右から昇った階段は、二階の中央でひとつに交わっていた。


 天井には大きなシャンデリアが吊るされ、その真下には木箱のような台座、そしてその上に置かれた大きな陶壺――だがどこか、妙な違和感があった。


 床には赤を基調とした立派な絨毯が広がっている。左右には長く伸びる廊下が続き、その先は視界の奥へと消えていた。外から見た建物の規模からすれば、それぞれの廊下の先にはいくつもの部屋が連なっているのだろう。


 しかし――


 一目で気づくのは、“崩れ”だった。


 階段の手すりは一部が崩れ、奥に見える窓ガラスは細かいヒビで覆われていた。シャンデリアの灯りは消えたまま、絨毯は所々擦り切れ、壺は側面が大きく割れている。


 光はあった。地下都市の光源と似た、宙に浮かぶ球状の光が室内を照らしているため、暗さは感じない。

 だが――だからこそ、照らされた傷跡の数々が否応なく目に入ってしまう。


 まるで時間が止まり、ただ朽ちるのを待っている空間。

 それでも、ここがかつて“誰かの住処”であったことは、確かな痕跡として残っていた。


 廃墟でありながら、未だに“家”としての輪郭を保っている――そんな、奇妙な空気に包まれた館だった。



「――ヴェル様はこちらに」


 エントランスの荘厳な光景に目を奪われていた一行は、赤い瞳を持つ魔物の言葉によって現実へと引き戻された。


「ありがとうございます。案内、助かります」


 ヒナタが軽く頭を下げて礼を述べると、その後ろをリーネたちが静かに続く。


 建物の中は、驚くほど静かだった。

 すれ違う者の姿はなく、耳をすませても話し声や生活音の類はまるで聞こえてこない。


 足音だけが廊下に響き、重くなっていく沈黙が、ヒナタの胸に不安をわずかに滲ませた。


(……本当に、ここに“いる”んだよな)


 エイドの情報が正しいと信じてはいる。

 だが、それすら疑いたくなるほど、館全体には静謐すぎる空気が漂っていた。


 やがて、案内の魔物がある部屋の前で立ち止まる。


「――ヴェル様。お連れいたしました」


 女性の口から発せられたその言葉に、すぐさま扉の奥から声が返ってきた。


「お入りになって」


 落ち着いた、しかし芯のある女性の声だった。


 女性が扉をゆっくりと開ける。引き戸が音もなく滑り、開ききったところで一行に中へ入るよう促される。


 その先に広がっていたのは、品の良い応接室だった。


 年季こそ感じるが、整えられた空間。

 長方形のテーブルを中心に、木製の椅子が丁寧に並べられている。

 その奥、椅子に静かに座っていた女性が、ヒナタたちを穏やかな瞳で見つめていた。


「あなたが……ヒナタさんね?」


 椅子から立ち上がりながら、静かな微笑とともに彼女は言った。


「ようこそ。私がヴェルです。

 皆さんもどうぞ、お掛けになって」


 その声に導かれるように、ヒナタたちはそれぞれ椅子を引き、席についた。


 クロノは軽やかに椅子へ飛び乗り、背筋をぴんと伸ばしてお座りの姿勢を取る。


 一方、キュルッチとガルドは椅子に座ることなく、無言でそれぞれの椅子の背後に立ったまま待機した。

 その姿はまるで、主君を見守る騎士のようであり、警戒と敬意が同居する立ち振る舞いだった。


「ごめんなさいね。皆様に合う椅子をご用意できなくて……」


 柔らかな声が、場の空気を和らげた。


 その声の主――ヴェルは、ゆったりと自らの椅子へ腰を下ろした。


 腰まで流れる髪は、黒にかすかに青を溶かしたような深い色合いで、光を受けて静かに揺れる。

 その顔立ちは、あまりにも整っていた。けれど、それは人形のような無機質な美しさではない。むしろ、微笑んだときの目元や、声に滲む余韻のひとつひとつに、長い年月を経てなお失われぬ“人間らしさ”があった。


 肌は透き通るように白く、それでいて病的な印象はない。

 その姿だけを見れば、リーネと同じ――まるで完全な人間だった。


 けれど、その空気は、確かに“違う”。


 ただそこに座っているだけで空間に重みが生まれるような、静かなる威圧感。

 それはかつて対面した魔王ファルとは異なる、“深く静かな力”を内包した存在――それが、ヴェルだった。


 彼女が座るテーブルと椅子もまた、長い年月を耐えてきたもののように見えた。

 木材の艶は失われかけているが、手入れは行き届いている。所々に小さな歪みや傷はあれど、それでもなお“残そう”という意志が感じられる品々だった。


(百年を超えても、これだけ形を保っているなんて……)


 ヒナタはふと、心の中で感嘆の息を漏らす。


「いえ、急な訪問にも関わらず、お時間を頂きありがとうございます」


 丁寧に頭を下げたヒナタに、ヴェルは小さく口元を綻ばせ、くすりと微笑んだ。


「まぁ、そんなに畏まらないで。……ふふっ、こう見えても、誰かとお話しするのはずいぶんと久しぶりなのよ?」


 その声には、どこか寂しさすら含まれていた。

 だが同時に、それを悟らせまいとする上品な強さもあった。


「だから――こうしてお客様を迎えられるのが、とても嬉しいの。ほんとに、ね」


 たおやかな仕草で髪を耳にかけながら、ヴェルは優雅に微笑む。


 ヴェルの穏やかな言葉に、椅子に座っていたヒナタがふわりと体を浮かせた。

 物理干渉モードを維持したまま、無理に身体を折り曲げて座っていた彼は、小さく息を吐きながら空中に退避する。


「そう言ってもらえると助かります。正直……この身体で椅子に座るのは、なかなかに骨が折れるので」


 幽体であるヒナタは、物理干渉を維持することで地面や椅子に触れることはできるが、その構造はあくまで“浮遊する霊的な存在”に過ぎない。

 胸と腰のあたりを不自然に折り曲げて無理やり座る格好を取っていた彼の姿は、どこか窮屈そうで、テーブルの上に顔が出てこないほどだった。


 ヴェルは、またしてもくすりと笑った。

 その笑みにはからかいではなく、むしろ慈しみに近い何かが含まれていた。


 そして、穏やかに対話を切り出す。


「それで――どうしてここが分かったのかしら?」


 問いかけたその声には、柔らかさと鋭さが同居していた。

 まるで、その答えの“誠実さ”だけを試しているかのように。


 ヒナタは、少し頷く。

 ヴェルが自分の名前を知っていたことにも、さして驚きはなかった。

 きっと《超越者血統トランセリス》か、それに準ずる能力によって――もしくはスキルの何かによって、すでに情報を得ていたのだろう。


 だからこそ、下手に嘘をつく必要はないと判断した。


 ――いや、正確には、そもそも“嘘をつく”という選択肢が、彼の中には存在しなかった。



「とある施設で、血統スキルを持つ者たちを追跡しているものを見つけました。

 それを辿って、ここへ来たんです」


 言葉は簡潔だが、曇りはない。

 ヒナタは真っ直ぐにヴェルを見つめたまま、続けた。


 自分が異世界から転移してきたこと。

 そこで幽霊のような存在となり、魔物として生きる道を選んだこと。

 数多の出会いと戦いの中で、仲間たちと少しずつ進んできた軌跡を――

 一つひとつ、言葉を選びながら、丁寧に語っていく。


 クロノとリーネとの出会い。

 キュルッチとの交流。

 ガルドが仲間に加わったときのこと。


 それぞれの名前を口にするたび、ヒナタの視線が仲間たちへと向けられる。

 彼らもまた、誇らしげに、あるいは照れ隠し気味に、静かにその言葉を受け止めていた。



 ヴェルの質問の中には、ときおり核心を突くようなものが混じっていた。

 だがヒナタは、一切の動揺も見せずに答え続けていた。


「なるほど……ということは、貴方が見たという装置や、あの異質な建物は――以前の世界で、既に見慣れたものであった、ということですね?」


 それは、皆で力を合わせて飛び越えた“壁”――

 その内側にあった、スーパーマーケットにも似た奇妙な研究施設について説明し終えた直後のことだった。


 ヴェルの声には、明らかに興味が滲んでいた。


「はい。あの構造と設備を見たとき、すぐに“ああ、これは向こうの世界の技術だ”と分かりました。正直、この世界の街並みと照らし合わせると……あの施設だけが、あまりにも異質だったんです」


 ヒナタの言葉に、ヴェルは静かに頷く。


 そして、今度は彼女の側から口を開いた。


「……あの場所。私の知る限りでは、この世界が瘴気に覆われ始めた頃から、あの“壁”と建物は存在していました」


 それは、彼女が百年を超えて記憶し続けてきた光景だった。


「ですが……残念ながら、私たちは“中に入る”ことすら叶わなかったのです」


 その声には、わずかな悔しさが混じっていた。


 あの鉄の扉を開ける手段は、かつてのヴェルたちには存在しなかった。

 しかし長い年月で天井が崩壊した後、中へ入ろうとしたのだとか。


「以前、一度だけ。空を飛べる《血統スキル》の持ち主に頼んで、壁の内側を覗いてもらったことがありました」


 けれど、その人物が戻ってきたときには――


「“白い建物の内部には、入ることができなかった”……そう報告されました」


 建物の扉は閉ざされ、何かしらの拒絶に近い力が、内部への侵入を阻んでいたのだ。


 ヒナタは黙って頷いた。


 あの建物が、この世界に“異物”として存在していること。

 そして、自分だけが中に入れ、装置を作動させたこと――それが、どれだけ異常であったかを今さらながら痛感していた。


 ヴェルは小さく息をつき、やや諦めを帯びた調子で言葉を締めくくった。


「もちろん、仮に中に入れたとしても……私たちでは、そのような機械に何かできたとは到底思えませんけれどね」


 そう言って、彼女は微かに唇を緩めた。

 それは皮肉ではなく、むしろ事実を淡々と受け入れている者の、静かな笑みだった。



 やがて話題は、つい先日海辺で遭遇した――“黒い球体の魔物”との戦闘へと移っていった。


 蠢く海藻に包まれたあの異形の存在。精神を侵食するような戦いは、これまでに経験したどの戦闘とも異質だった。


 ヒナタがその詳細を語り終えると、ヴェルの表情がわずかに曇る。


「……蠢く海藻を纏った、黒い球体……ですか」


 その声には、聞き慣れない何かに対する違和感と、警戒がにじんでいた。


 ヒナタは尋ねる。


「このあたりでは、よく出現する魔物なんでしょうか?」


 だが、ヴェルはすぐに首を横に振った。


「いえ。そのような存在は、少なくとも私の知る限りでは見たことがありません」


 言葉を切り、彼女は少し思案するように目を伏せて続ける。


「……おそらく、それは自然発生した魔物ではなく。誰かの手によって“意図的に送り込まれた”存在でしょうね」


 ヴェルはそう断言した。


 そして、ふと目を上げた彼女の視線が、まっすぐにヒナタを見据える。


「もっとも、“黒き球体”が魔物である以上、予知で視た“未知の侵略者”とは別の存在と見てよいでしょう」


 侵略者――その言葉の重さに、ヒナタは内心わずかに息を詰めた。



 そして、誰が何の目的で、あんな魔物を――あんな“精神に干渉する”化け物を送り込んできたのか。


 だが今はまだ、その真相にはたどり着けない。


 ヒナタはひとまず、戦闘の経緯を最後まで語り終え、この街へと辿り着いたことを改めて伝えた。


 するとヴェルは静かに頷き、小さく言葉を添える。


「……その“黒い魔物”については、私にも心当たりがございます。はっきりと断言はできませんが、何かわかり次第お伝えいたしましょう」


 穏やかな口調ながら、どこか芯のある声だった。


 こうして、ヒナタが旅の中で得た情報や経験――今の時点で伝えられることは、すべて伝え終えた。


 するとヴェルは優しく微笑み、テーブルの上に両手を重ねて問いかける。


「では今度は――あなたの番です。ヒナタさん、何か私に聞きたいことはありますか?」


 その穏やかな問いに、ヒナタは一度息を整え、次なる問いを頭の中に整理する。


 ――自分たちが生きていく、この世界について。

 まだ知らぬ真実を求めて、ヒナタは静かに口を開いた。





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