構式
第17話 共存
ヒナタたち一行は、森へ向かって一直線に進んでいた。
例の魔獣の群れであるフェングレイたちと接触し、人間への襲撃をやめさせなければならない。
場合によっては戦闘になるかもしれない。
ヒナタの表情は曇り、緊張感が滲んでいた。
そんなヒナタを心配そうに見つめ、リーネがそっと声をかける。
「ヒナタ……やっぱり、異世界から来たこと……言わない方が良かったんじゃないかな?
そのことで悩んでるの?」
的外れな問いかけではあったが、リーネのその優しさは、ヒナタにとって純粋に心を温めるものだった。
「ううん。そのことは、別に問題じゃないよ。仮に奇異な目で見られていたとしても……この世界じゃ、俺たちの後をつけることはできないからね」
ヒナタは淡々と、しかしどこか達観したように言う。
実際、彼の言う通りだった。
瘴気に覆われた地上を、人間が移動し続けることは不可能に等しい。
誰かが尾行してくる心配など、そもそも存在しない世界だったのだ。
だから、悲観する必要もない――はずだった。
「それじゃ……何に悩んでるの?
ごめんね、ヒナタが憑依していない間の会話、私には全然理解できなくて……」
リーネは、少しでも力になれないかと、不安そうにヒナタへ問いかけた。
「……森の魔獣たちに、クロノやリーネのときと同じように経験値を分け与えたこと。
それが原因で、たくさんの人が亡くなったってカルネアで聞いたろ?そのせいで……俺のせいで、こうなってしまったんだって、後悔してたんだ」
あのとき、もっと先を予測できていれば。
――経験値を分け与えるなんて、しなかった。
いや、分けたとしても、人間に危害を加えないようにと伝えておけば、こんなことにはならなかったかもしれない。
ヒナタは、心の中で自問自答を繰り返しながら、亡くなった人々や、その遺された家族たちのことを思い、胸を痛めていた。
そして、ほんの少し――地球に残してきた、陽凪の家族のことも、思い出していたのだった。
「……起きてしまったことは、もうしょうがないんだから。
今できることを全力でやろう?それに、これからヒナタがやろうとしてることはいい事なんだから……きっと、神様だって許してくれるよ」
リーネの優しい言葉が、沈んでいたヒナタの心をそっと支えた。
そうしてヒナタたちは、決意を胸に森へと向かっていった。
森へ着く頃には、すっかり夜も更けていた。
クロノも大きな欠伸を繰り返し、瞼が重たそうだ。
ヒナタたちは、今夜はここで野宿することに決めた。
どうせ、フェングレイの魔獣たちも今頃は夢の中だろう。
そうして、森の手前で夜を明かしたのであった。
翌朝。
一行は静かに森の中へと足を踏み入れた。
ヒナタはすぐにスキル《
あのときの群れの長――彼に、コンタクトを試みたのだ。
しばらくすると、こちらの呼びかけに応答があった。
「会いたい」という意志と、ヒナタたちの現在地を伝えると、すぐに向かうとの返事。
ヒナタたちはその場で待機することにした。
やがて――
森の奥から、フェングレイの群れが姿を現した。
全部で二十頭ほど。
彼らはヒナタたちを囲むように円を描き、低く身を構える。
リーネは、最初こそ緊張のあまり体をこわばらせていたが、その群れがヒナタに向かって前足を投げ出し、伏せの姿勢を取るのを見たとき、そっと肩の力を抜いた。
フェングレイたちは、明確な服従の意志を示していたのだった。
「お久しぶりでございます、ヒナタ様」
森の奥から歩み出てきたのは、以前にも話したことのある、年老いたフェングレイの長だった。
その落ち着いた声は、群れ全体の緊張感を一気に緩めるような、不思議な力を持っていた。
「急に呼び出してごめんね! 今日はちょっとお願いがあって来たんだ」
ヒナタは丁寧に説明を始めた。
この森の近くにカルネア王国という国があり、その国の人々が森の恵みを受けて生きていること。
だが、急に強くなったフェングレイの群れが森を荒らすようになったことで、人々の生活に深刻な支障が出ていることを伝えた。
「……お前たちが悪気があってやったわけじゃないのは、ちゃんとわかってる。
だからお願いだ。今後は、人間たちを襲わないでいてくれないか?」
しばしの沈黙。
やがて、年老いた長は深々と頭を垂れ、ゆっくりと答えた。
「承知いたしました、ヒナタ様。今後、我らは人類に手を出さぬと、ここに誓いましょう」
その声は、森全体に響き渡るような、厳かで重たい響きを持っていた。
ただ一つ、ヒナタにはどうしても気がかりなことがあったので、付け加えることにした。
「もし、逆にお前たちが襲われたときは――逃げてくれよ?
この森で覇権を取れるほどのお前らなら、逃げるくらい簡単だろう?」
年老いた長は深く頷き、落ち着いた声で答えた。
「はい、ヒナタ様。問題ございませぬ」
こうして、説得は無事に終わったのだった。
その後、長がふとクロノを一瞥し、ヒナタに尋ねる。
「ところで……うちのクロノは、ヒナタ様に迷惑などおかけしてはおりませぬか?」
ヒナタは幽霊ながらも器用に表情をほぐし、柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「そんなことないさ! むしろ、助けてもらってるのは俺のほうだよ。」
その言葉に、長はとても嬉しそうに目を細め、クロノに向かって微笑む。
「今後もしっかりやりなされ」
そして、ヒナタがもう一つ気になっていたことを尋ねた。
「そういえばお前たち、この森での暮らし自体は問題ないのか?
人間たちも採取に来ると聞いてたけど、住みにくくなったりしてないか?」
長は穏やかに笑みを浮かべ、毅然と答える。
「はい、問題ございませぬ。せっかくヒナタ様から力を授けていただきましたゆえ、
いつヒナタ様がこの森にお戻りになられても安心していただけるよう、
私どもが治安をまとめ、暮らしを守ってまいりました」
その言葉を聞いたヒナタは、念のためきっぱりと言い添えておくことにした。
「俺の心配はいいからさ。これからは自分たちが食べる分以外の狩りはしないように。
むしろ人間が他の魔物に襲われてたら、可能な範囲で助けてやってくれ。
で、助け終わったらすぐに逃げろ。それでいいから」
年老いた長は真剣な表情で、深く頷いてくれた。
さて、これで説得は完了だ。
後はアレンたち――王国側の人々に、この結果を報告しなければならない。
つい昨日、涙の別れを交わしたばかりの一行だったが、再び足をカルネア王国へと向けることになったのだった。
—————————————————————
無事に森の群れの鎮圧を報告し終えたヒナタたち一行は、次なる目的地を決めるため、カルネア王国の真上に広がる地上で話し合いをしていた。
ヒナタは地図を見ながら口を開く。
「未踏の地って、エイドでもマッピングできないんだ。
だからさ、次は森のほうじゃなくて、反対側に進んでみようと思うんだけど……どうだろう?」
クロノは、リーネに水筒の水を飲ませてもらいながら、元気よく尻尾を振り、了承の意を示した。ちなみにこの水筒、先ほど街へ戻った際に新たに購入したものである。尤もお金は持っていなかったため、アレンから支給してもらったのだが……。
それとついでにリーネの服も新調してもらったのだ。ボロボロのままだと可哀想だからな。今は女性冒険者のような格好をしている。
そのリーネもまた、進行方向については異論がなかった。
『ヒナタ様。そちらのほうに、山脈が見えていませんか?』
エイドが問いかける。
ヒナタは顔を上げ、視線を遠くへ投げた。確かに、はるか彼方に連なる山々の稜線が見える。だが、想像以上に距離がありそうだった。
「……見えるけど、歩いて行くにはめちゃくちゃ遠そうだな」
苦笑しながら呟くヒナタ。
だがこの世界には、車のような便利な乗り物は存在しない。
歩くしかないのだ。しかも、リーネもいる分、スピードは限られる。
「ヒナタ? 私、見た目はこんなだけど……走るくらいはできるよ?」
リーネはくすっと笑い、軽く膝を屈伸させてみせた。
すると、すかさずエイドが声を挟む。
『ヒナタ様。リーネ様はレベルアップにより、体力面でも大幅に強化されています。さらに、その身体にヒナタ様が憑依し、全速力で走った場合――おそらく、クロノ様よりも速く走れる可能性があります』
「……な、なんだって!?」
ヒナタは思わず二度聞きそうになった。
四足歩行で、しかもレベル100を超えるクロノは、今や時速80キロほどで駆ける化け物だ。
それより速い人間? 反則ではなかろうか。
試しに、リーネ単体で全速力で走ってもらった。
結果――幽霊状態のヒナタより速かった。
いや、正確に言えば、ヒナタの浮遊速度はそこまで速くないのだ。せいぜい、自転車の速度に毛が生えたくらいである。しかもママチャリね。
次に、ヒナタはリーネに憑依してみた。
このあたりは平地が続き、走るには絶好の場所だ。試しにクロノと競争してみることにした。
「行くぞ、クロノ! 本気で走ってみろ!」
「こっちこそ負けないぞ、ヒナタ!」
互いに気合を入れ、全力で走り出す。
勝負の結果――ほぼ互角だった。
生身の体でこんな速度を出すのは、正直ヒナタ自身が恐怖を覚えるほどだった。息を呑むようなスピード感。足元を駆け抜ける風の抵抗。
だが確かに、クロノと肩を並べて走れる力が、今のリーネには備わっていた。
さらに、もう一つ大きな発見があった。
それは、リーネに憑依している間、クロノの言葉がリーネ自身にも理解できるということだった。
リーネは頭の中でヒナタへと語りかけた。
(……ヒナタが憑依してると、私……クロノの声が分かる!)
驚きつつも嬉しそうに笑った。
憑依されることで、止まっていた心臓が動き、失っていた体温が戻り、仲間たちとの会話までできるようになる。
(ヒナタのMPが続く限り、ずっと憑依しててくれていいよ)
そう言うリーネ。ヒナタの胸に温かい感情が広がった。
こうして――思わぬ形で高速移動手段を手に入れた一行は、遠くに連なる山脈を目指し、全速力で駆け出していった。
四時間ほど駆け続けただろうか。
ついにヒナタのMPが尽き、一行は立ち止まった。クロノはさすがに息を切らしてはいたが、まだまだ走れそうな様子だ。
一方、リーネの身体は――おそらく“死んでいる”がゆえだろうか、筋肉の疲労や繊維の損傷といった症状が見られず、こちらもまだ問題なく動けそうだった。
だが、ここで一同は小休憩を挟むことにした。
ヒナタやリーネには食事や水分補給の必要はないが、クロノには必要だ。食事、給水、排泄。そうした生きている者のための時間が、確かに必要だった。
ヒナタは周囲を見回す。
本当に、何もない。見渡す限りの更地。
砂漠ではないが、土が痩せ、生命の気配が薄い荒れた土地だった。
地面には、ところどころ申し訳程度の木々が生えているが、高さは人間の大人ほどしかなく、葉もまばらにしかついていない。
まるで――生命の欠片がかろうじて残った、そんな場所だった。
「リーネ、昔から……この世界は、こんな感じの風景だったの?」
ヒナタがふと問いかける。
「ん? こんな感じって……こういう、何もない感じってこと?」
ヒナタは頷いた。
「うん。これだけ広大な、何もない土地が広がってるのが、俺にはちょっと馴染みがなくてさ」
彼の生まれ育った日本は、緑に囲まれた場所だった。
こうした風景――荒涼とした、生命の気配の薄い大地――は、海外に行けば存在したかもしれないが、それだってヒナタにとっては写真やテレビでしか見たことのない光景だった。
「うん……たぶん、昔から大体こんな感じだったと思う」
リーネは少し考え込むように言葉を継ぐ。
「私、リヴァルタの街で生まれて、それまで外に旅したことはなかったけど……でも、旅の吟遊詩人や行商人の人たちの話を聞く限り、どこも似たような景色が続いてるんじゃないかって思う」
そうなのか――ヒナタはそれ以上、深く考えなかった。
けれど今、自分が見ているこの風景が、なぜかとても尊いもののように思えて仕方がなかった。
人類にまだ汚されていない、大地そのものの姿。
動物たちが自由に生き、自然と共に在るサバンナを眺めるような、そんな穏やかで優しい気持ちが胸に広がっていく。
ふと横を見ると、どこから見つけてきたのか――クロノが何かをもぐもぐと頬張っている。
ヒナタは思わず笑みを浮かべる。
自分のMPが完全に回復するには、半日は休まなければならない。
だから、しばらくは憑依なしで進むしかない。
それでも、まだ日は高い。
「クロノ、食べ終わったら、もうひと走りするか」
ヒナタはそう言って、仲間たちに笑顔を向けるのだった。
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