第15話 正体
ザイルだった。
ほんの十数日ぶりの再会――しかし、ヒナタにとっても、ザイルにとっても、それは驚くほど長い年月を経たかのような、懐かしさに満ちた再会だった。
――そう。ザイルは気づいていた。
目の前に座る“リーネ”の中に、ヒナタがいることを。
すると、後ろに控えていたグラーデンが一歩前に出て、声を上げた。
「……ダリオ大隊長。急な訪問で済まない。我々も、この場に同席させてもらえないだろうか」
丁寧でありながらも、芯のある口調だった。
ダリオ大隊長は一瞬目を見開き、少し驚いた表情を浮かべた。
だがすぐに表情を引き締め、真摯な声で応える。
「……しかし、この者の素性はいまだ明らかになっておりません。ゆえに、少しばかりお時間をいただけないでしょうか」
――それは、形式的な言い回しでありつつも、確かな誠意が感じられる返答だった。
捕獲の任務を担ったのは、深域調査ユニオンである。
その責任と立場を考えれば、ダリオの主張は極めて正当であった。
だが、アレンもすぐに声を重ねた。
「……悪いようにはしない。
恐らくだが、我々が追っている“例のゴースト”とも無関係ではない気がするんだ」
――傭兵ギルドと商業ギルド、二つのギルドのマスターからの懇願。
その重みを、いくらユニオンの大隊長とはいえ、無視することはできなかった。
ダリオは小さく溜め息をつき、頷く。
そして二人に席を示し、静かに促した。
「……分かりました。お座りください」
二人が所定の席についたところで、ダリオはふと視線を向けた。
その先には、ザイル。
「――ところで、その青年は?」
控えめだが確かな問いかけだった。
「ああ、うちの者だ」
アレンがすぐに答える。
「彼も同席させてやってほしい。……大切な証人なんだ」
ダリオはザイルをじっと見つめ、真剣な眼差しで頷く。
「……分かりました。君も座りたまえ」
そうして、ザイルもそっと椅子に腰を下ろした。
「……途中からですまない」
グラーデンが穏やかな笑みを見せ、口を開いた。
「私はグラーデン。商業ギルドの責任者だ」
「……傭兵ギルドマスターのアレンだ。よろしく」
アレンも短く名乗る。
二人の自己紹介を受け、リーネ(ヒナタ)は少し戸惑いながらも、静かに口を開いた。
「……リーネです」
その声には、わずかな緊張と、どこか覚悟の色がにじんでいた。
すると――
ザイルがテーブル越しに身を乗り出し、リーネをじっと見つめて問いかけた。
「……ヒナタ、じゃないのか? いや……ヒナタ、なんだろ?」
泣き笑いのような表情だった。
こみ上げる感情を必死に抑えながら、それでも確信を込めた声で問いかける。
――仕草とわずかな所作。
それらを覚えていたザイルにとって、たとえどんな姿に変わろうとも、ヒナタを見分けるのは容易だったのだ。
その言葉を聞いたとき、ヒナタは――観念した。
……いや、正確には、最初から覚悟はできていた。
憑依を解き、頭を下げる決意は、既に胸の内に固めていた。
たとえ、ギルドの責任者がさらに一人、二人と増えたとしても。
この気持ちが揺らぐことは、決してなかった。
「……すみません。全部、話します。まずは――この“仮の姿”から“本体”を出しますが……驚かないでください。
こちらから危害を加えることは絶対にありません。ですから……どうか、飛びかかったりしないでください……」
ヒナタは、静かに、しかししっかりとした声でそう告げた。
そして――リーネの身体から、ふわりと“何か”が抜け出していく。
リーネの頭の上から、黒い煙のようなものが立ち上り、それはやがて人型を象る“幽霊”の形を成した。
「「「――なっ……!?」」」
その場の全員が、驚愕の声を上げた。
一部の隊員たちは即座に武器に手を伸ばし、戦闘態勢を取ろうと身構える。
しかし――
その“ゴースト”が、落ち着いた声で語りかけた瞬間。
場の空気が、わずかに揺らいだ。
「落ち着いてください! 俺が……俺がヒナタです!さっき……そこのザイルが呼びかけた“相手”が――俺なんです!」
必死の声。
命乞いとも取れるその切実さが、“魔物”という姿形であっても、人々の警戒心をわずかに解いた。
緊張に包まれた室内に、静かな空白が流れ込む。
――その小さな隙間を、ヒナタの言葉が繋いでいくようだった。
そして、ヒナタは――すべてを語り始めた。
まず、自分が異世界……この世界とは別の場所から来たこと。
次に、ザイルに助けられ、この街の泉の神殿で“魔物”となったこと。
そして、クロノとの出会い。リーネとの出会い。
さらに、先ほどの受け答えは“リーネ”に関するものであり、決して“ヒナタ”自身のものではなかったことを、深く謝罪した。
最後に――森で騒がれているフェングレイの群れについて。
それは、自分が“彼らに強さを分けてしまった”せいだということ。
けれど、いつでも彼らを止めることが可能であることも、きちんと伝えた。
ひとつひとつ、丁寧に。
ヒナタは、言葉を選びながら話し終えた。
語り終わった後――幽霊の姿のまま、ヒナタは深く、深く頭を垂れた。
「……まさか、こんなことになるなんて、思ってもいませんでした」
その声には、後悔と決意が入り混じっていた。
「でも……俺は人類の味方です。地上での生活を取り戻すために、これからも旅を続けるつもりです」
そう、真っ直ぐに――静かに語り締めた。
ただ、ひとつだけ。
“ステータス”のこと。
“経験値を分け与えられる”ということ。
その二つだけは、口にしなかった。
――話したところで、信じてもらえるとは限らない。
――実演するにしても、目の前の人達に経験値を渡せる保証はない。
ヒナタは、そう考えた末に――それだけは、胸の内に留めたのだった。
リーネは、隣で「何が何だか分からない」といった顔で、ただキョトンと目を丸くしていた。
黙ってヒナタの話を聞いていた大隊長たちは、心の奥に、探索班に死をもたらした“元凶”を前にした怒りを確かに抱いていた。
だがそれでも――目の前にいる幽霊を信じてみよう、という気持ちが、静かに胸に芽生えていた。
そんな空気の中で、グラーデンがゆっくりと口を開いた。
「……その“別の世界”から来たというのは、なぜそう断言できる? この世界の“別の場所”という可能性はないのか?」
問いかけに、ヒナタは一呼吸置き、力強く頷いた。
「はい。俺の元いた世界では、“瘴気”のようなものは発生していません。
それに、惑星のほぼすべての国が交流しています。
自分の暮らしていた場所以外でも、瘴気の被害が出ていないことは、間違いなく言い切れます」
ヒナタの言葉に、グラーデンは一瞬だけ目を伏せ、短く答えた。
「……そうか」
次に、アレンが問いかけた。
「……フェングレイの群れを大人しくさせられると言ったが。奴らは――人の言葉を理解できるのか?」
ヒナタは頷き、小さく息を吐いて答えた。
「はい。少なくとも、俺自身は彼らの言葉を認識できて、会話することができます」
その一言で答えるに留めた。
――これがスキルによるものだ、とはあえて言わなかった。
こちらがどんな能力を持っているか、正直に語る義務はないと判断したのだ。
ステータススキルや翻訳スキルを伏せた理由には、いくつもの想いがあった。
ひとつは、もしこの場で拘束され、今後“人類強化のための存在”として利用される未来があったなら。
――経験値を集め続け、延々と人類に分け与えるだけの生活。
そんな暮らしは、絶対に嫌だった。
自分ひとりなら逃げられるとしても、もしリーネやザイルが人質に取られたら……従わざるを得なくなる。
もうひとつは、翻訳スキルや《
――もしも「すべての魔獣や魔物を従えろ」と命じられても、それは無理だ。
人型の魔物とは言葉が通じなかった。
魔獣であっても、言葉が通じたからといって必ず良好な関係を築けるわけではない。
ブラッドベアのように、対話すら成立しない存在もいた。
そして何より――
ヒナタは、“冒険”がしたかった。
目的は人類のためでも、その過程に“自分の楽しさ”がなければ、意味がない。
拘束され、自由を奪われる人生だけは、心からごめんだった。
……それに、嘘をついたわけじゃない。
“言わなかった”だけだ。
それなら良心は、そう大きく痛まない――ヒナタは、そう思えた。
その後も、ヒナタは多くの質問を浴びせられた。
けれど、できる限り、正直に、誠実に――答えていった。
そう――ヒナタは、“自分が異世界から来た”ということを、正直に話してしまっていた。
(……ああ、俺、馬鹿だな)
ふと、ヒナタは思い返す。
現代の地球にいた頃、夢中で読んでいた異世界転生もののライトノベル。
あの物語の主人公たちは、なぜ“自分が異世界から来た”ことを隠していたのだろう。
――そうだ、異端視されるのを恐れて。
いや、信じてもらえないだろうと思って。
だから“言わない”選択をしていたんだっけか。
そう考えると、馬鹿正直に全てを打ち明けてしまった自分が、途端に情けなく思えてくる。
(俺、やっちゃったかな)
心の奥で、じわりと後悔が広がる。
けれど。
そんなヒナタの自責をよそに。
場の空気が、再び重たく、張り詰めたものに変わっていく。
今、ここから。
彼らの“処遇”について、議論が始まろうとしていた。
――そのとき。
アレンが、静かに、だが驚くべき言葉を口にしたのだった。
「……済まないが、皆、席を外してくれんか」
アレンが後ろを振り返り、控えていた隊員たちに向かって静かに告げた。
「アレン殿! ここにいるのは我がユニオンの隊員ですぞ! いくらギルドマスターとはいえ――」
ダリオが抗議の声を上げかけた瞬間、アレンが右手をすっと上げ、その言葉を遮った。
「……ダリオ大隊長。済まないが、イゼルを呼んではもらえないだろうか」
その名が出た途端、ダリオは一瞬、言葉を失った。
――深域調査ユニオンの最高責任者、イゼル・ファルシオン。
その名を、軽々しく口にはできない。
「ここから先の話は……ダリオ大隊長、あなたですら席を外していただいた方がいい内容かもしれない」
アレンの声は穏やかだったが、底にある覚悟がにじんでいた。
「だが……このユニオン本部で、その場を設けようとするほど、私も無謀ではない。だからこそ……イゼルを呼んでほしいんだ」
ダリオは眉をひそめたが、やがて渋い顔のまま、ゆっくりと立ち上がった。
「……わかりました。イゼル様をお呼びしてまいります」
そのまま足を向ける。
――ユニオンの最高責任者の呼び出し。
それを、隊員に頼めるものではない。
ダリオは自ら、部屋を出ていった。
扉が静かに閉じる。
重たい沈黙が室内を包む。
ザイルは落ち着かない様子で、アレンを見、ヒナタを見、またアレンを見――視線を宙に泳がせていた。
その顔には、どうしていいかわからない迷いがにじむ。
――その姿はまるで、迷子になった子供のようだった。
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