第31話 絶望の瘴気
落下した氷塊が容赦なくミズチを圧し潰した。
衝撃で大地が震動し、風が吹き荒れる中、気を緩めることなく標的の姿を探す。
息絶えていれば良いが、相手は幻影都市の軍八百名を以てしても討ち果たすことができなかった災害だ。
油断はできない。
「―――息がある! 次の策だ!!」
誰よりも早く察知したビャクヤが声を張り上げる。
直後、直立していた氷塊が音を立てて崩れ落ち、中から咆哮を上げながらミズチが再び姿を現した。
「分かってはいたが……」
ミズチの姿を見て思わず、そんな弱音が零れ出る。
渾身の一撃だった。手応えもあった。
それなのに大きな損傷なく、再び姿を見せたミズチという怪物に圧倒されそうになる。
「ごしゅじん……?」
己の力不足に歯噛みしていると、背中のティナが心配そうな声を上げた。
「大丈夫だ。まだ勝てる」
それはティナを安心させる為の言葉であり、自分を安心させる為に出た言葉でもあった。
「グアァァ―――!!」
怒りに満ちた咆哮が響く。
直後、ミズチは荒れ狂うように口から横薙ぎに水流を放出した。
「…………ッ!」
外周の木々までも一掃する程の水流をすんでの所で躱し、ミズチへと目を向ける。
すると、再び駆けだしていたビャクヤの影が揺らめいた。
「孤影流・古式―――『閃影』」
ビャクヤの刀がミズチの顎を弾き、掃射を強制的に終了させる。
すぐさま援護に入らなくては。そう思い、術式を組むが、
「なんだ……?」
一瞬、激しい違和感に襲われる。
周囲のマナが不協和音を奏でるかのような、猛烈な気持ち悪さ。
その感覚の正体。それは……、
「瘴気か!」
思考が違和感の原因に辿り着き、声を上げる。
事前に聞いていたミズチの持つ最悪の武器。
「やられた……」
気付けば上に弾かれたミズチの口は上を向いたまま、放出するものを水流から瘴気へと変化させていた。
毒々しい色をした煙が辺りを満たしていく。
「これが瘴気……」
まるで水中に居るのかと錯覚するほどに身体が重く感じる。
そんな状況の中、少ししてビャクヤが戻って来た。
「急げ。対抗策が終わるまでの時間は稼ぐ」
「わかった」
ビャクヤの言葉を聞き、すぐさま術式を組もうとするが、
「聞いてた通りだな」
常に共にあったはずのマナが暴れ、術式を乱していく。
思い通りにいかない魔術に苦い顔をしながらも、使い慣れた術式を地面へと刻み込む。
「これならどうだ」
刻み込んだ術式であれば外界の影響を受けにくい。
「風よ。我が力となりて彼の障害を討ち払え!
詠唱が終わり、大気が振動する。
そうして吹き始めた風は滞留していた瘴気を乗せ、勢いよく湖の外へと運び出していく。……はずだった。
「―――!!」
ミズチの咆哮と共に突如として地面から湧き出した水が、湖の外周を覆う壁となって風の行く手を阻んだ。
「なっ……」
まさかの出来事に驚きが隠せない。
甘く見ていた訳ではない。ないが、ここまで知能が備わっていると思わなかっただけに、衝撃は大きい。
「どうする…………考えろ…………考えろ!」
ビャクヤの刃が振るわれる音とミズチが尾と前脚で大地を揺らす音を耳に、思考を加速させていく。
暴旋風の威力を高めて強引に水の壁を突破するか?
水の壁を突き破る程の威力を出した所で、恐らくすぐに壁が再生するから効果は薄いだろう。
なら水を凍らせるか? それでは壁が厚くなるだけだ。
何か他に手はないのか。他に何か……、
「ごしゅじん、ごしゅじん。水がぶわってなっててきれい!」
焦りに支配されかけている中、背中からそんな呑気な声が聞こえ、思考が途切れる。
「ごめん。今はそれどころじゃ……」
そこまで言って水の壁を見て、気づく。
「そうか。そこが開いてるじゃないか!」
閉塞感すらあるこの湖の中で唯一、開いた外界との接続部分。
片手を掲げ、魔法陣に触れたままの手を通して天へと術式を唱える。
「風よ。我が力となりて彼の障害を討ち払え!
詠唱に呼応し、大気が震え、風が吹き荒び、周囲の瘴気を乗せ上空へと気流を発生させる。
そうして瘴気が晴れ、身体が軽くなっていくのを実感する。
「こっちは終わった!」
瘴気の影響で防戦一方となっていたビャクヤへと、完了した旨を伝える。
すると、
「大義であった! 後は余に任せろ」
役割を全うしたことにビャクヤが労いの言葉を口にし、刀を中段に構え直した。
「孤影流・古式」
時が急激に遅くなったと錯覚するほどに、緩慢な動きでビャクヤは腰を落として制止する。
ただならぬ気配に暴れていたミズチが咆哮を上げ、その場で回転するようにして尻尾を叩きつける。
地面を抉る程の衝撃が大地を揺らし、土煙が巻き起こった。
刹那、
「―――奥義『
居るはずのない反対側、ミズチを挟んだ対極の場所で付着した血を払いながらビャクヤはそう口にした。
そんな有り得ない光景に態勢を整えようとしたのかミズチは腰を上げるも、尻尾はその意志から離れるように地に落ち、鈍い音を響かせた。
「―――!!」
そこでようやく肉体が斬られたことに気づいたのか、ミズチの至る所から肉が裂けていく。
「脚ぐらいは斬り落とせたと思ったが、やはり
深々と刻み込まれた切り傷を見て、ビャクヤがそんな感想を漏らす。
「今、なにがあったの?」
「……分からない」
外野から見ていたはずなのに、視認することすらできなかった。
まるで転移したのかと錯覚するほどの早業。
そんな一閃を受けてダメージが入らない訳もなく、ミズチは初めて地に膝を着いた。
「いける……!」
ようやく得た好感触に微かな希望が視えた。
「このまま畳みかけるぞ!」
「あぁ!」
起き上がったミズチの踏みつけを躱しながら再び駆けだしたビャクヤの声に応え、新しく術式を展開していく。
「我が意に―――」
「―――グァガァァ!!」
全てを掻き消す程の咆哮が響き、一帯を囲んでいた水の壁が不規則に揺れ出した。
すると薄れていた空の色が黒く染まり始め、再び雨粒が降り注ぐ。
「何度やろうと―――」
そう口にしながら、術式を組み替えているとミズチは地面に吹き付けるように瘴気を吐き出し始めた。
「嘘だろ……」
乱れる術式は魔術師を、悪くなる視界と倦怠感は剣士を苦しめる。
そして何より、降り注ぐ大雨は天へと上げた瘴気を下へと押し返す。
「少し時間が掛かるぞ! 耐えてくれ!!」
「承知した」
降り注ぐ雨を先に解決すべく、地面に魔法陣を刻み込んでいくが。
「―――!!」
「………ッ!」
何度目かの咆哮の後、厭な衝撃音と遅れて遠くから衝突音が聞こえ顔を上げる。
「……なっ」
そこにはミズチの前で勢いよく噴き出す水の柱と、閉じかけた水壁の先で倒木に
「ビャクヤ!」
思わず名を呼ぶも、彼がそれに応えることはなく無情にも水の幕は閉じた。
「もっと早く起動できていれば……」
結果は変わっていただろうか。
そんな意味のない思考に終止符を打つように、ミズチの眼光がこちらを捉えた。
「…………」
ビャクヤが戦えなければこちらに勝ち目はない。
ならこれ以上の危険を冒さず逃げるべきか。
水の壁に囲まれたここから魔術を使わず、どうやって?
思考は逃走へと切り替わり、視界に映る全ての情報から生存への道筋を探していく。
そうして一つ、不可解なものを見つけた。
「なんだあの噴水……」
ミズチの脇に噴き出した水の柱。
そんなものがなぜ……。
そこまで考えてようやくビャクヤが凌ぎ切れなかった理由に思い至る。
不意の水の柱によって攻撃を受け流しきれなかったのだろうと。
だとすれば次は―――、
「ティナ! 離れろ!!」
緊急脱出用の風魔術が起動し、ティナの身体が背中から勢いよく放たれる。
直後、足元の地面が裂け噴き上がる水の柱が身体を押し上げ、勢いよく宙へと放り投げた。
「くっ……」
視界が回り、浮遊感が全身を襲う。
打ち付けるような水の痛みに堪え、来る着地へと備えようと湖全体を視界に納めた瞬間、最悪な物を目にする。
こちらを見上げ、大きく開かれたミズチの口からは淡い光が煌めいていた。
「くそ……」
宙に瘴気はない。魔術は間に合うか。
考えるよりも先に手を動かせ。
急げ、急げ―――、
「―――」
視界が淡い光に包まれた。
刹那、かつてない程の大きな衝撃が全身を襲った。
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