第5話 サボりの代償
「ウォルトさん、少しよろしいですか?」
制作に取りかかってから丸二日。
睡眠時間を削り、限界ギリギリの状態でも、手を止めることはなく無心で魔法陣を書き写し続けていた。
「……ウォルトさん? 聞こえてますか?」
「……あぁ、悪い。何か用か?」
既に思考は回らず、ぼんやりした頭でメリアの声に応じる。
「お疲れのようですね。――あ、手は止めないで聞いてください」
中断も許されぬ環境に思わず涙が零れそうになながらも、メリアの話に耳を傾ける。
「無事に販売させて頂ける店を確保することができました」
「……流石だな」
たった二日で販売先を確保してくるとは。
信じられないほどの仕事ぶりだ。
「いえ、結構時間が掛かってしまいました」
「そうか?」
「はい。十軒以上回ったのですが、見る目のある店は一つだけでした」
メリアが珍しく毒を含ませる。
無理もない。人形は生活必需品ではなく、用途も曖昧。
得体のしれない娯楽品を進んで取り扱おうという人の方が珍しい。
「そんなもんだろう。寧ろよくその一件が見つかったな」
「はい。その点に関しては幸運でした。大通りの外れに位地する小さな店で、立地に難はありますが。店主の目は確かですし、大きな問題にはならないと考えています」
溢れ出る絶対の自信。
メリアがここまで言うのなら、心配はいらないだろう。
「なら安心だな」
「はい。あとはウォルトさん次第です」
「……ああ、そうだな」
メリアの期待が重い。
だが彼女は、最善を尽くした。
ならば、自分も出来る限り応えなくてはならない。
「よし」
気を入れ直し、再び魔法陣の書き写しに没頭していく。
--- ---
「……終わった」
最後の一枚を積み上げられた魔法陣の束に重ね、ようやく作業が終わったことを実感する。
製作開始から三日目の昼。限界を越えた頭を無理やり持ち上げ、書き写した皮紙を手にメリアの元へと向かう。
「これで……最後のはずだ」
記憶が正しければ、これで三十枚。既に納品済みの分と合わせて、間違いはない。
人形の調整をしていたメリアに、それを差し出す。
「はい、確認しました。これで終わりですね。お疲れ様でした」
手早く品を確かめたメリアが、労いの言葉をくれる。
「ああ……メリアも、お疲れさま」
「はい。あとは私が仕上げておきますので――」
その声が、遠くなる。音が、霞んでいく。
「―――」
何かを言っている。心配そうな顔。だが、それすらも現実感がなかった。
次の瞬間、視界がふっと揺れ、体が浮くような感覚が訪れる。
「あ――……」
声が漏れた。けれど、それは言葉にはならなかった。
限界を迎えた身体が、自らの意思を手放す瞬間だった。
「ウォルトさん!?」
メリアの声が響いたのを最後に、意識は闇へと沈んでいった。
--- ---
「ん、んん……」
そんな声を漏らしながら伸びをすると、意識が覚醒していく。
柔らかなベッドの感触。久しぶりのまとまった睡眠。
疲れ切っていた身体が癒され、気分も悪くない。
頭もすっきりとして、思考は靄が晴れたように冴えていた。
心地よい余韻に浸りつつ身体を起こすと――
「あ、起きた!!」
嬉しさと驚きの入り混じった声が部屋に響く。
「ごしゅじん! おはよう!!」
「ああ。おはよう。メリアは?」
部屋を見回しても彼女の姿はない。
「おでかけ!」
「そっか、お出かけか」
例の店に向かったのか、それとも別の用事か。どちらにせよ、今この場にメリアはいない。
つまり、久々にぽっかり空いた自由な時間だ。
「やっと読める……!」
この機を逃してなるものか。
一秒でも無駄にしないよう、勢いよくベッドから飛び起きる。
「ごしゅじん! ぼさぼさ!!」
「そうだなぁ」
寝癖のついた頭に手をやりつつ、机の横に掛けていた革袋から黒い魔術書を取り出す。
今日こそ、謎を解く。そう意気込んで表紙をめくった、その瞬間。
「……なんだこれ?」
一枚の紙が、ふわりと机の上に落ちた。
挟まっていたらしいその紙を拾い、開いて中身を確認する。
筆跡はメリアのもの。間違いない。
中に書かれていたのは、次の
「あー、休暇が欲しい……」
心の底から湧き出た本音が、思わず口を突いて出る。
「…………」
……少しぐらい、サボってもいいのでは?
メリアが戻ってきた直前に起きたように装えば、問題はないはずだ。
可能性を真面目に検討する。
第一にメリアはこの場にいない。わざわざ置き手紙を残していったことからして、戻ってくるまでにはそれなりに時間がかかると見ていい。
問題は、いつ出て行ったか。もしすでにかなり経っているなら、サボれる時間は短い。バレた時のリスクも跳ね上がる。
「ティナ、メリアはいつ出かけた?」
「さっき! 一緒にごはん食べてから行ったよ!」
「そっか!! ご飯は美味しかったか?」
「うん! すごくおいしかった!!」
ティナの満足げな笑顔に、確信を得る。
問題なし。いける。サボれる。
他に障害は――ない。
誰だろうと、この探求を止めることなどできはしない。許せ、メリア。
そう心の中で呟きながら、魔術書を再び開いた。
--- ---
「……ふむ……」
一つ一つの術式が複合することで、未知の術式になることは魔術の世界では珍しくない。
だが、ここまで複雑で、他の文献と照らし合わせてもまったく見たことのないものは極めて稀だ。ティナと出会った当初、この術式は座標移動系だと推測していた。しかし、ティナの言動や、術式が作動したときの感覚からして、それは移動というより“新生”あるいは“発生”に近いのではないかと感じている。
その推測を確信へと変えるため、改めて魔術書に目を通していた。だが、記されているのは中央に穴の開いた魔法陣。そして他のページには、古代文字で書かれた細かな術式構築法と、誰に向けたのかも分からない誤情報ばかり。理論の一片でも書かれていれば糸口になっただろうに……。
成果は乏しく、ただ時間だけが虚しく過ぎていく。
「ごしゅじん、ひま~!」
人形遊びにも飽きたのか、ティナが背中にぴたりと寄りかかってくる。
「それ、おもしろいの?」
魔術書を覗き込みながら、横から顔を出してくる。
「気になるのか?」
「うん」
「そうかそうか。すごく面白いぞ~」
「見たい!」
魔術書に興味を持つとは、見る目がある。
「いいぞ」
「やった!」
そう言って魔術書を手渡すと、ティナは興味津々といった様子でページをめくりはじめた。
普通なら子供が読み解けるような内容ではないが、この魔術書によって顕現したティナなら、もしかすると何か感じ取れるかもしれない。そんな期待を胸に見守っていたが、ほどなくして魔術書は返される。
「わかんない」
「まあ、少し難しいからな」
「どこが、おもしろいの?」
言葉にするのは意外と難しい。未知が既知に変わる瞬間。理論の美しさ、それを自分の知識に変える面白さ。だが、ティナに伝わる言い方をしなければならない。
「この魔術書は、ティナと俺やメリアを繋いでくれた本なんだ」
「そうなんだ。すごい本だね!」
「ああ、すごい本だよ」
だからこそ、面白い。ここに記された術式の意味や意図を理解できれば、ティナという存在の核心にもきっと近づける。
そうして再び本に意識を向けようとしたとき――
「そうですね。凄い本だと思います。
挟んでおいた紙の仕事を後回しにしてしまうほどには」
「ひっ」
背後から放たれる、怒気を孕んだ冷たい声。
その響きに、心臓をわしづかみにされたような錯覚すら覚える。
「あ! おかえり!!」
「ただいま。いい子にしてましたか? ティナちゃん」
「うん!!」
元気よく返事するティナの頭を、メリアが優しく撫でる。
「流石です。偉いですね」
「えへへへ~」
満足げに笑うティナとは対照的に、メリアの視線は鋭く尖っていた。
ティナと話すときは笑顔なのに、こちらを向いた瞬間だけ、目がまるで笑っていない。
「ティナちゃんでもいい子にできるのに、どうしてウォルトさんは、書いておいた仕事一つこなせないんですか?」
「待て、悪かった。一旦、話をしよう。な? だから剣を握ろうとしないでくれ」
部屋の隅に立てかけてあった魔剣へと伸びる彼女の手を、慌てて制止する。
だが、メリアの足は止まらない。
「……やっぱり、その魔術書が元凶なんです」
低く呟くと、彼女は剣の柄を掴み、ゆっくりと鞘から抜いていく。
刃から立ちのぼる冷気に、部屋の温度が急激に下がっていくのを肌で感じた。
「その魔術書があるから、追われるんです。その魔術書さえ、消えてしまえば……」
「待て待て待て。これは依頼された品だ。だから一旦落ち着こう、な?
……疲れてるんだよ、きっと」
「確かに疲れています。誰のせいだと思ってるんですか」
言葉に詰まる。
――全て、自分の責任だ。
彼女が疲弊しているのも、怒っているのも、心底よくわかっている。
けれど、それでも――。
「すまない。そこに関しては全面的に俺が悪い。反省してるし、感謝もしてる。
だが、今やろうとしていることだけは……それは、俺の中の一線を越える行為だ。
悪いが、全力で止めさせてもらうぞ」
メリアの魔剣に、発動前の気配が少しでも見えた瞬間、拘束術式を発動させる。
それでも駄目なら、強引に気絶させて一人で街を離れるとしよう。
狩人が追っているのは、俺と魔術書だけのはずだ。
だから、あとは――
その思考は、メリアが剣を鞘に納めたことで中断された。
「はぁ……わかりました。
言いたいことは山ほどありますが、働かせすぎたのも事実です。
お互い水に流しましょう」
「……よかった。ここまで苦労を掛けさせて悪かったな」
「仕方ないです。事情が事情ですから」
事が収まり、心から安堵の息を吐く。
と、そのとき――部屋の隅で様子を伺っていたティナが、おそるおそる戻ってきた。
「ごしゅじん……カチカチにならないの……?」
「ならないよ」
「えっ……」
「なんでちょっと残念そうなんだよ」
釈然としないティナの反応に首を傾げつつ、その日は互いの労をねぎらい、少し豪華な食事をしにいくことになったのだった。
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