6
どうやって新宿駅に戻ったか記憶がない。気がついたら、杏奈は改札を抜けていた。
帰ろう。帰りたい。でも、どこへ?
新宿の街に仲間はたくさんいる。
けれど、お互い本名も知らない。
中野の家にまっすぐ帰りたくなくて、中央線ではなく山手線に乗った。別に行き先があるわけではない。外回りだったのは偶々だ。
いくつか駅を過ぎ、人が入れ替わり、席が空いた。リュックを胸に抱えて腰を下ろすと、腕の赤い傷がふと視界に入った。
もう、腕もうなじも痛くなかった。
こころのほうが、もっと痛いからだ、と思った。
「うー」
すぐ傍であがった幼い声に、杏奈は、はっと顔を向けた。
隣の座席に、パーカーのフードを目深にかぶった子――自分とおなじ歳くらいだろうか――がいて、その膝の上のちいさな女の子が、杏奈のリュックの紐を掴んでいる。
きょうだいなのだろう。
「ごめんなさい」
フードの子はそう言うと、素早く妹の手を引き剥がした。中性的な声で、男女どちらかわからなかった。妹は大声で泣いた。
電車が減速する。
きょうだいは池袋で降りるようだった。
彼――もしくは彼女――が席を立つとき、かぶっていたフードが、抱きかかえた妹に引っ張られて、半分ずれた。
いっしゅんの横顔。
柔らかそうな髪のあいだから、頬の赤い傷跡がちらりと見えた。
杏奈は思わず「あ」と小さく声を上げたが、ふたりは振り向かずホームの人混みに消えていった。
ドアが閉まり電車が走り出す。
杏奈は自分と母との出かけの喧嘩を思い出した。あの傷は親から? 自分と同じように? けれど、すぐに考え直した。
いくらなんでも顔なんて、そんな目立つ箇所は避けるはずだ。単に転んだとか、猫がいるとか、それだけのことだろう。
きっといまごろ、ふたりは仲良く家路を急いでいる。
いいなあ。帰る家があって。自分がいまいちばん欲しいものは家だ、と杏奈は考える。自立したい。そうしたら、もう親にいちいち振り回されずに済む。
だからけっきょく杏奈の願いはひとつだ。
――はやく大人になりたい。
視界がにじんで歪んだ。
正面の座席の窓に、暗い景色が流れていく。星は、いまの杏奈にとってただのぼんやりとした光の点だった。
けれど大きくなって、あたたかい部屋を借りて、やさしい人と一緒に空を見上げたなら、きっとちがうふうに感じるはずだ。
杏奈はひとり、そんな未来を夢想した。
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