インターフォンが鳴った。

 蒼はぱっと顔をあげ、本をソファに伏せた。


 ――きっと引っ越し業者だ。


 兄は昨夜遅くに帰宅したきり、自室から出てこない。ずっと寝ているのだろう。

 モニタは、小柄な蒼でもすこし背伸びをすれば届く位置にあった。画面を覗き込み、予想どおりの作業服姿を確認した後、エントランスの解除ボタンを押す。

 かちり、とロックが外れる。


 この家はLDKと個室がふたつあり、大きいほうを兄が、小さいほうを蒼が使うことになっていた。

 作業員はふたりいて、どちらも一昨日、荷物を預けたときとは別人だった。蒼はまだ空っぽの四畳半ほどの部屋に彼らを案内した。

 ひとりが、リビングのほうを見やりながら訊いた。


「おうちの人は?」

「……います。でも、寝てます」蒼はいまが平日の昼間だということに思い当たり、「仕事で帰りが遅くて」と付け加えた。

「じゃあ、作業が終わったらでいいから、呼んできてくれるかな? 大人のサインがいるからね」

「――はい」


 蒼は少し拍子抜けした。単に手続き上の問題で、別段こちらを責めているわけではなかったらしい。

 子どもがひとりで荷物を受け取ることも、大人が昼まで寝ていることも、地元だったらなにか言われそうだが、東京ではどうやらちがうのだろう。


 作業員は次の予定も詰まっているのか、てきぱきと動いた。玄関や廊下がシートで保護され、見慣れた家具が次々に運ばれてくる。

 パイン材の本棚に、収納つきベッド。空色の枕。蒼のいつもの部屋が戻ってきた。窓際のベッドに仰向けになると空が見えるのも、実家にいたときとおなじだ。


 きっと今夜は眠れる。

 知らない大人相手にちゃんと対応できているし、これなら自分は東京でもやっていけそうだ――。

 そう思ったタイミングで、蒼は部屋のちいさな違和感に気づいた。


 机のパソコンから伸びたコードが、床でだらりと行き場をなくしていたのだ。コンセントはドア横と窓際の二箇所だけで、どちらにも先端は届きそうにない。


 ――足りなかった。


 長さも、想像力も。

 実家とおなじ位置にコンセントがあると、蒼はなぜか思い込んでいた。

 机の配置は変えたくなかった。そんなことをしたら、今度は実家にあった子ども部屋が再現できなくなってしまう。

 蒼がぐるぐると考えているうちに、搬入は終わった。作業員にリストを渡され、家財の紛失や破損のチェックをしたが特に問題はなかった。

 あとは兄のサインだけだ。


 彼の部屋からは物音ひとつ聞こえない。ドアの向こうにいるはずの兄の姿を想像してみたが、うまくできなかった。情報が少なすぎるのだ。

 蒼が幼稚園に入ったころ、兄は地元を出ていった。それ以来、ほとんど会っていない。蒼より十五も歳上で、背が高く、筋肉質な彼は、黙っていると圧がある。話すときはやさしいけれど――、寝起きだとどうだろうか。

 

 蒼は短く息を吸って、何度かノックした。返事はない。

「入るよ」と言って、ドアを開けた。兄をなんて呼ぶべきかわからなかったからだ。

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