第1話への応援コメント
歯医者で口に危惧を入れたままだと「ファイ」と返事してしまうのはすごくわかるので、申し訳なく思われることに安心……じゃないですね、気まずさの共感みたいなのを感じました。
歯科医師や歯科衛生士の人々のあるあるや、日常的な気付きの会話を詩的で繊細に書かれた話、でしょうか。本文を読んだ後、概要文の短歌に気づいたのですが、歯ブラシに笑われたいという擬人化的な表現で本文の内容を端的かつわかりやすく表していて、作品にピッタリはまる気分になりました。
医療従事者から見た患者の姿はとても微笑ましく、読んでいると心が温まります。人と人とのささやかなつながりが丁寧に描かれ、これこそが祝福なのだと感じました。
作者からの返信
五三六P・二四三・渡さん、コメントありがとうございます。
本編を読んだ後、概要欄の一首を読み返した時に「あぁ……! そういうことか」とスマートなカタルシスが少しでも生まれたらと思って詠みました。そう言って頂けて、嬉しいです。ありがとうございました。
第1話への応援コメント
そして8020文字、と。すばらしい。
表現や語彙が多彩で、かつ比喩表現も秀逸。単体で見ても情景を思い浮かべやすいのに、その見せ方、置き方も凝っていて、文章に抑揚があります。
これ私小説に分類されるのでしょうか、僕は学がないので分かりませんが、かなり文体は成熟しているように思います。
例えば「たんぽぽ」とか「ぬいぐるみ」のようにファンシーなワードをひらがなで配置し、「浮き上がり」、「銀歯」などに、より専門性のある名称のルビを振る。……「一般的に流通する語に専門用語をあてがう」。そもそもこんな使い方があるんだなあと。
冗長な文章を必殺技みたいに出してしまう僕こそ、このテンポのよさを見習いたい。
作者からの返信
繕光橋さん、丁寧なコメントをありがとうございます。
少し駆け足気味のよう、だけど多忙さとしてのテンポは本文とシンクロさせて良いのか、と書いていて不安だったので、そう言って頂きほっとしました。ありがとうございました。
第1話への応援コメント
押田桧凪さん、ご参加ありがとうございます!!
軽やかな書き出しが心地よいですね。そうして心地よさに身を任せながら読み進めていくと、あっちこっちを蝶々みたいに飛び回っているような文体が用いられていることが分かります。()によって一度立ち止まってまた飛んでいくようなリズムの部分があったり、「という」の一語まで読み進めなければそれが自由間接話法なのか直接話法なのか分からないような文章が散りばめられていたり。それら極めて技巧的な方法によって文章の浮遊感が支えられていることが分かります。
なんだか読んでいて、「意識の流れ」が思い起こされました。語りに浸透するように回想が(特に、現在と舞台が同じ、歯科内での出来事についての回想が)挟まれるので、今がどのタイミングか分からなくなっていく。地の文をほとんど挟まない、とりとめのない会話も印象的でした。「混線」していく時間が物凄い技倆で表されていると感じます。
読み進めながら「押田さんって文章が上手いなあ……!」と何度も感嘆させられました。それは根っこにある文体の端整さに対してでもありますし、要所要所での文章の曲げ方についても然りでした。
印象的だったフレーズについて少し語らせていただきますね。
「さまざまな思い出があって、泣いたけど、歯はいつも忘れてしまうものだった。」これは、どこかひっかかりのある文章だと思いました。何で「泣いた」のか、誰が「泣いた」のかいまいち分からないんですよね。でもそれが邪魔になっていない。この「、泣いたけど、」があるからこそ読み手を惹き付ける魔力のある文になっている。
また、
「どんなに記憶に歯型をつけても、いつかははんこ注射みたいに埋没するように薄まって」
は比喩として、あえて位相をずらしてフラットさせている感がありました。「歯型」と「はんこ注射」では、組み合わせるには近すぎるし遠すぎるのです。どちらの体の部位に関わるものですし、痕という点では同じですが、形状的な類似はあまり感じられません。ここでもやはりふわふわとした感じを受けるのです。
でもそのイメージのずれが後のエモいものについての会話で縫い合わされていく。しかも、前者では薄れて消えるものとして語られたはんこ注射が、ここでは消えないものとして語られながら。「原理は分からないけどめちゃくちゃすげー!」という感情で読んでいました。
そして、
「暴くことは暴かれることと折り重なるように仕舞われていて、ふとした隙に背中から刺される。割り箸の袋から飛び出たつまようじのように、鋭く。立場上、意図せず刺す側に回ってしまっていたのなら、ごめんなさいと心の中で謝る。」
ここでは悲哀のある美しい一節の後に、どこかユーモアの感じられる一文がやってくる。「ごめんなさい」の素朴さゆえにくすりとしてしまうのでしょうか。作品の全体に幼少期の繊細な心が基底として息づいているように感じられるのですが、それによって占領されてしまっているわけではないんですよね。それはきっと、語り手が歯医者の先生という「大人」であり、子供の頃を思い出してくすりと笑えるような余裕が文章に湛えられているからだと思います。
ここまで文章の話ばかりしてきましたが、かと言って、文章特化で変化や起伏のない雑記のようであるかと言うとそんなことはないんですよね。構成がめちゃくちゃしっかり組み立てられているので、面白く読み進められてしまう。まごうことなき小説だと思いました。全体的に、後半に進むにつれて、どんどん「遠く」へと連れていかれるような感覚があるんですよね。言い換えになりますが、ストーリー以外のところに確かな起伏があるように感じられました。
例えば、後半に進むにつれて過去の記憶についての描写が、時空ともにもっと昔へ滲むように拡大・拡散されていくことが挙げられましょう。
また「これを手放しに喜んで、いいの?」の前後以降、文体が一気に柔らかく感じられるようになりますね。読み手としてのわたしに「歯医者さんはだいたい男の人だろう」みたいなジェンダーバイアスがあったせいで「女性っぽいな」と判断するような語りが出てきた途端にそう思っただけかも知れませんが。でも読み返してもやっぱり途中から語りが柔らかになっている印象があるので、多分バイアス抜きでも語りが柔らかくなっていると判断してここに書き込みました。
とても読み応えのある小説でした。
やっぱり思うのは、本作って幼い子供の姿が通奏低音として流れていますよね。それは患者さんに小さな子供が多いことだけでなく、「先生」の中に確かに幼少期の記憶が息づいていることからも感じたのですが。「大人」という未来と「子供」という過去の時間軸が絶えず意識されている。「この子はAIに負けないと思った。」とかもそうですが、こちらの作品は子供が大人になるという未来も見つめているように感じられるんですよ。そのうえで、大人としての語り手が絶えず子供に優しく微笑みかけている。とてもよい「祝福としての文学」でした。
読んでいるうちに「歯って一生ものだからこそ、この小説の題材になりえたのだろうな」と思えました。「おくちすこやか歯科」が色んなひとの人生が通過する地点としての存在感を孕んでいる。
また最後に
「混線していて把握できていないが。それでも、話は続く。画面の中でトムとジェリーが暴れ回っているうちはどこまでも、たぶん。健康な歯があるうちはどこまでも、たぶん。
そうやって一日は続く。」
今まで積み上げてきた手法の意味が回収されるのがいいですよね。だからこんな書き方だったんだ! と分かる。とてもかっこいい着地をする小説だと思いました。
素敵な作品をありがとうございます。
作者からの返信
藤田さん、コメントありがとうございます。熱のこもった感想、とても嬉しいです。書いている時にあまり意識していなかった細部をお褒めいただき恥ずかしさと誇らしさが込み上げました 笑
「さまざまな思い出があって、泣いたけど、歯はいつも忘れてしまうものだった。」
→こちらの一文に関しては、『歯が抜けた瞬間』に立ち会ったことがある(あるいは、自分の歯が抜けたことを経験したことのある)誰もに共通して何かしらの思い出や印象的な場面があり、もちろんその時は痛くて泣き出したのかもしれないだろうけど、でもそんなことっていつもなぜか(歯に限った話ではないけれど)忘れてしまうよね。
という思いを本編に散らした上での、その一つの集約なのかもしれない、(たしかに藤田さんの感想の通り、少し読み取りにくい不思議な一文ですが)、俯瞰するとトピックセンテンス的な役割を果たしているのかもしれないなと感じました。
そうして書いていた時には見えなかった視点を、同じく書き手側でもあるいらっしゃる藤田さんが、つぶさに記してくださったことに感謝しかありません。
本企画の開催(そして昨年の遼遠の系譜を汲んでいる点におきましても)、本当にありがとうございました。