第8話 情報界の頂点

 幽界ネットの夜市、さらにその奥のスラムと呼ばれる区画に潜入した。ここは夜市の喧騒とも違う、しめやかな暗がりに包まれた領域だ。空には低く雲が垂れこめ、時おり紫色の電光がかすかにきらめいては消えていく。

 道はだんだんと狭くなっていく。往来のアバターたちの姿も奇妙だ。人の形をしていながらも、顔の一部が欠け、あるいは複数のデータが重なり、なかには黒い影だけのものもある。


 路地の突き当りに、ゆらゆらと揺れる赤い提灯がひとつ。そのしたにある小さな店「風月堂ふうげつどう」という文字が浮かんでは消える看板があった。ここが目的地だ。

 戸を開けると、からんからんと澄んだ鈴の音が響いた。

「いらっしゃいませ、稀なお客さま」

 声の主は店の奥に座る狐面の男。赤い光を放つ眼だけが私をじっと見つめている。

「お入りなさい。足を濡らしておいでですな」

 足元を見ると、いつの間にか靴下が濡れていた。夜市の領域は渇いていたはずだが、ここに来る途中で水たまりを踏んだのだろうか。


 男は私に座布団を勧め、自らも正座した。

「さて、いったいどのようなご用で? ここ風月堂には、ありとあらゆるものが集まりますゆえ」

「ハナヨリの過去について知りたい」

 狐面の男の目が細くなりました。

「危険な情報ですな。彼女は『女王』だ。報復を恐れないのですか?」

「値段をつけろ」

 私がきっぱりと伝えると、狐面の男はくすくすと笑い、近くの棚から古ぼけた巻物を取り出した。

「情報には相応の対価が必要です。『等価交換』と呼ぶもの。単純な通貨では計れませぬ」

 彼は指を鳴らし、空中に青色に輝く球体を現した。

「こちらに、あなたが提供できる『価値あるもの』をお入れください。わたくしがその価値を判断しましょう」

 焔は少し考えた後、自分の「人格模倣」能力の一部を取り出しました。指先から光の糸のようなデータが流れ出し、球体の中に吸い込まれてゆく。

 狐面の男の目が驚きに見開かれた。

「これは、これは……神崎悠翔の技術ですな。まさか本物とは」

 男は球体を手に取り、しげしげと観察する。

「すばらしい。これは価値あるもの。この一部だけでも、多くの情報と交換できましょう。お求めの情報は……こちらです」


 交渉の末、ハナヨリの秘密ファイルを手に入れた。現実世界での彼女の足跡を追ったデータ。白鳥凜華がキャスターになる前の暗い過去。

「白鳥凜華、三十を越えぬうちに情報界の頂点に登りつめた女性。だが、彼女の成功の裏には、多くの犠牲者の影がございます」

 狐面の男は巻物をひろげた。中の情報がきらきらと広がり、凜華の過去が映像となって現れる。

「彼女は元々、地方の小さな新聞社の記者。才能はありましたが、世に出るきっかけがなかった。そこで彼女は『情報操作』という禁じられた技を独学で身につけたのです」

 映し出される映像に、息を呑んだ。凜華が笑顔で握手する男性記者、そして次の場面では、その記者が泥酔して暴言を吐く姿。合成された映像がSNSに流れる様子。

「最初は小さな記事の改ざん、ライバル記者の失脚のための罠。やがて彼女は組織的な情報操作に手を染め、競争相手を次々と潰していきました」

 狐面の男は意味ありげな目で続ける。

「そして、神崎悠翔との出会いも、すべて計算ずくでした。彼女は彼の技術に目をつけ、接近するよう指示を受けていたのです。榊原から」

 映像は最後に、凜華と榊原が密室で話し合う様子を映し出す。彼らの間にある親密さは、単なる仕事上の関係ではないことを物語っていた。

 情報を整理しながら、焔の心の中で復讐計画が形になっていく。凜華のキャリアは嘘で作られていた。フェイクニュースで競争相手を潰し、上司との不適切な関係で昇進し、そして裏で情報操作のスキルを磨いていたのだ。

 神崎悠翔との関係も、最初から計算づくだった。彼の技術に近づくための手段でしかなかった。

「完璧だ」

 これらの情報を元に、ハナヨリへの復讐計画が明確になってきた。クロカゲと連携し、幽界ネット内でハナヨリの評判を少しずつ崩していく計画だ。


 狐面の男が焔に向き直った。

「一つ忠告を。情報には二つの顔があります。それは剣であり、盾でもある。使い方次第で、あなたも彼女のようになる可能性がございますぞ」

 焔は黙って立ち上がった。

「また来るがよい、焔殿」

 狐面の男は最後にくすくすと笑っていた。


 店を出ると、空には先ほどより濃い雲がたちこめている。紫の電光が走り、遠くに雷鳴のようなものが聞こえた。

 外で待っていたクロカゲが、焔に呼びかけた。

「焔、急いでほしい。ツクヨミからメッセージだ」

 彼女からのデータには警告が含まれていた。ハナヨリが焔の活動に気づき始めているという。早く行動する必要がある。

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