白波
白波アクアホールディングス。
その名前を聞くと、構内最大の水環境インフラを担う会社だと、皆が口を揃えて言うだろう。
上下水、災害対応、エネルギー活用。
様々なプロジェクトが国家規模の実績がある大正から続く伝統ある企業。
特許も取得している水質センサーでは業界No.1。
高精度の浄水もらしい。
国内に留まらず、海外40ヶ国とも連携、技術の提供すらしている実績。
グループは1万人規模で人材が揃っており、どれも優秀なものらしい。
大体の有名大卒や院卒の人間が入りたいと思う企業堂々たるNo.1。
それが、あのガキと俺に対して睨みつけるなどという珍事を犯すお堅いおっさんの正体か。
「──ふん」
肩肘をついて、だらしなく顎を預けたまま、ぼんやり少し汚れたモニターを眺めていた。
さて、ある程度調べたい事は調べたしな。
次元の扉を開いてここに辿り着いたが、大まかに過去の変化は起こっていない。
22年には当たり前になりつつあるスマホも。
Windows も、まだまだだ。
図書館でこうやって調べないとという時代だな。
内心、懐かしい気持ちだ。
目線をモニターから外して周囲を眺める。
大人も、子供も、色んな年齢層が懸命に本を選び、借りている。
最初は少し驚いた。
だが、すぐに俺は思い出す。
"ここは地球だろうと"。
向こうでは貧富の差が激しく、勉強⋯⋯ましてや図書館など子供が訪れる場所ではない。
高官や貴族、まぁピラミッドの上ら辺に位置する人間達のみが立ち入る事のできる場所だ。
唯一違うのは、向こうは魔導書などの知識の宝庫がある為、警備の数や重要性が段違いだと言うことくらいか。
警備の男達から聞いたことがある。
「息子を図書館に一時間だけでいいから入れてください」と。
その代わりなんですが身体をと。
そんな話は何処でも聴く。
警備が人気職だったのも、そういう所が理由なのか。
今こうして眺めていたら思った。
警備といえど、女が多くて困ることなんてないからな。
居ればいるほど男としての価値もあるし、雄としてはこれ以上ない喜びだろうし。
「なんにも借りないわけにもいかないだろう」
と、立ち上がったその時。
「うっ──!」
突然、目眩が来る。
なんとか声は抑えられたが、思わず机に額をぶつけるくらいには力が入らなかった。
それから数分だろうか。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯」
なんとか目眩を止めようと瞳を塞いでいると、昔の事が頭に浮かぶ。
─「母さん、白波って何?」
─「白波? 何よ、どうかしたの?」
─「いや、白波ってところの加工場が爆破したんだって」
─「あら、そうなの?」
─「まだ夏場なのに爆破ってするんだね」
─「そうねぇ。今日は8月24日なのねぇ」
「あの⋯⋯」
「⋯⋯っ!」
「あの〜大丈夫ですか?」
見上げると、職員らしきジジイが俺を見下ろしていた。
「す、すいません。少し水分不足か目眩が」
「あぁ。大丈夫かい?一応そこにウォーターサーバーがあるから、飲みなねぇ」
「ご迷惑おかけしてすみません」
「良いってことさ。学生さんなのにこんな時間から勉強熱心で良いことだ。さっ、頑張ってなっ!」
「いっ! はは、ありがとうございます」
ジジイに会釈して去っていくのを眺め、俺は少し落ち着いた。
白波⋯⋯確かそうだったな。
思い出してきたぞ。
近くにあるカレンダーを見上げる。
「下旬か」
あと三週間、もしくはそれ以内にソレが起こる。
「頼む、持ってくれよ」
再度椅子に座って、少ししかない魔力を頭に行き渡らせる。
寝りに落ちるまで昨日は試したが、一応次元を超えたとはいえ、微々たるものだが、最低限今くらいの魔力量までは貯まるようになっているみたいだ。
──ただ、筋肉と一緒で、リセットはされている。
とはいえだ。
"こんなもの、錬金術師の俺にとってはただのオマケだ"
エリクサーもあれば、一応確認したら数点のポーションと俺の基礎となる魔導書は置いてあった。
魔導書があれば最短で脳内保存ができるから術式の展開に役立つが、俺はそれが無くても可能だ。
ただし、それが可能になるのは、エリクサーで魔力量を大幅に引き上げ、魔力の制御ができるようになってからだ。
要するに、一度最強の肉体を手に入れたものの、それをリセットした状態にある──というわけだ。
最強といえど、いきなりバカみたいな重量でトレーニングはできない。
ポテンシャルはMAX。
でも筋トレは一からやり直し。
まっ、そういうことだ。
*
「ふぅ──」
頭に魔力を回して10分程度。
記憶をある程度遡れた。
これなら、問題なさそうだな。
椅子から立ち上がって、見かけの勉強道具の片付けをする。一応忘れているかもしれないので、数冊の歴史なんかの本を借りといて図書館を後にした。
「てか、昔ってこんなだったな」
駅前の周囲には、まだ耳に当てて電話をしている老若男女の姿がある。
「っと、何処だったかな」
駅内近くにある公衆電話に行き、昨日もらった番号へとかける。
『もしもし』
「俺だ」
『あっ、伊崎くん?どうしたの?』
「悪いな、昨日の今日で」
『うんうんっ!全然だよ! どうかしたの?』
「今お家にお母さんっている?」
『う?うん⋯⋯』
「少し大事な話があるから代わってもらえたりする?」
『そ、そうだよね! ちょっと待ってて!』
と、割とすぐに電話が変わる。
『あら、こんにちは』
「こんにちは、紗季さんのお母さん。まず、昨日はお世話になりました」
『いいのよ。別に家にはどうってことないんですからね。それで、娘から聞きました。大事な話があるのですとかなんとか』
少し声質が変わったな。さすがだな。
「一応ですが念の為に最初に言わせて欲しいのは、施しや何かを願うということをする為に電話を掛けたわけではないということです」
『⋯⋯そう』
「"今回"は取引という形を取ります」
『あら、娘と私の家をご存知ないようね?』
「ははは。分かっていますよ? 白波ホールディングスですよね?」
『ええ。伊崎くんが知っていたのなら早いわ』
「ですから、取引という形を取ったということです」
『⋯⋯⋯⋯』
「沈黙は肯定とみなしますが大丈夫ですか?」
『私の中の印象が随分違うようだけど』
「まぁ、誰にでもあるとは思いますよ?」
『そうね。それは一旦置いておきましょう』
「進めても?」
『聞くだけですよ?決めた訳ではありませんからね?』
「勿論です」
それから電話を終え、俺はまたもやあの家に向かうことになった。
財布を開いてみると、さっきの電話分のせいで昨日貰ったお慈悲代が消えてしまった。
「あとで請求してやろう。一万倍くらいにな」
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