第一章 奸商の跛行
肆之原流殞という男
かつて篠原優人だった少年は長ずるに及んで、
人相も大幅に変わった。「征晦将軍」などと呼ばれていた頃は人畜無害を擬人化したかのように没個性的な顔つきだったが、今は不必要なものをすべて削ぎ落とし、鋭角的になったその風貌は悪意を持つものから「毒蛇」とも、「餓狼」とも陰で呼ばれている。
どう呼ばれようとも、流殞は痛痒すら感じなかったに違いないが、成長したその姿を見て、元の世界で彼を知るものが篠原優人だと何人が気づいてくれるかどうかを考えたときは多少の寂寥感が胸を刺すこともある。
容姿が別人のごとく変わってしまったこの十年の間、晦人討伐の大将軍から無位無冠の平民へと落ち、そして、商売を始めて、ついには天下十商の一人にまで名を連ねるようになったのだ。
若き成功者に対して、大将軍だった頃の失敗を引き合いに出して、「まともに戦えなかったくせに金儲けの才能はあったのか」と嫉み交じりの悪態をつかれることもしばしばだ。
実際そうだったので、面と向かって言われたところで、流殞としては認めるほかなかったが、実際のところ、商才があったかといえば、怪しいものである。彼は純粋な商人とは言えなかったかもしれない。
一つは、商才というよりは賭博師の才能と称したほうがいいかもしれないことだ。いや、賭博師というよりは「死にたがり」としたほうがより正確だろう。
齎送者に与えられる恩給を原資にして、彼は賭博場に入り浸った。時にはいとも簡単に命をドブに捨てるかのようなやり方で、大勝負は奇跡的に勝ち続けた。
まっとうとは言えない手段で多額の金銭を得た流殞は商売を始めた。日本の過去に酷似した、というよりはほぼ模倣品であるこの世界において、社会が発展するにつれ、何が必要となるか、あるいは何が必要とされるかと熟知していた彼が選んだ業種は流通と情報であった。
黒船来航前の幕末程度だった社会は齎送者である篠原優人が当時持っていた教科書は参考書などの情報により、一気に開化していった。それこそ明治維新すら霞むような発展ぶりだったのだ。
この世界の人々は独創性こそ欠けるが、異質、もしくは斬新な技術や理論などの理解力と受容性に富み、自身の技術力に合わせ、再構築し、自らのものにしていくことに非常に長けていた。それゆえ、流殞が元いた世界のどの歴史にも当てはまらないほどの飛躍的発展を遂げていったのだ。
経済活動の発展とはすなわち需要と供給の拡大である。従来の問屋制家内工業から大規模工場生産への遷移は大量消費の時代の到来と同義だ。
しかし、いかなる製品も消費者の手元に届かなければ、在庫が倉庫に積み上がるだけである。今までの流通手段では到底足りない。ゆえに大規模物流の手段が必要なのだ。海運は回船業などがあったらから、まだしも、陸上においてはそうではなかった。
流殞が目をつけたのもそこで、どう構築すればよいのかを元の世界での知識に照らし合わせ、知っていた彼のアドバンテージは限りなく大きい。時代を先取りした彼の商売は成功を収め、今や「篠屋」こと「肆之原商事」は瞬く間に十商の一角を占めることになったのだ。
そこで得た金で新聞社を設立した。日本の戦前戦後の歴史において、マスコミの扇動により世論が動かせるということを知っていたからだ。
硬軟取り混ぜた記事で、あらゆる年齢の読者層の心を掴み、今や「
つまるところ、今の宇迦国の繁栄は偏に流殞と彼のもたらした知識によって築き上げられたものであり、そのために一人の青年が故郷に帰ることもできないということも知らない人々が現状を貪っている姿が流殞にはたまらなく許せない。
「屑どもが……」
そう吐き捨ててやりたいのを、流殞は喉元まで迫り上がった科白を強引に嚥下した。どこで誰が聞いているとも限らない。譬えそれが肆之原商事本店の自身の執務室であってもだ。この世界に安寧の場所などどこにもないと流殞は考え、常人では耐えがたい緊張状態の中、今日まで生きてきた。
ただ、執務室の窓から眼下に臨む六条蔵町通りの往来を行く人々の顔からは一様に追い詰められたかのような暗さは見て取れず、だらしなく、締まりのない笑顔を浮かべていたが、流殞の心をさらに波立たせる。
何が彼らから緊張感を奪っているのか、心底疑問でならない。
たしかにここ数年というもの、晦人の襲撃はなく、科学技術の向上が軍事力の底上げに繋がるからこそ楽観視していられるのだろうが、それは彼らの数が少ないからであり、占領した富前と富後の支配が固まれば、そのまま攻めてくるに違いないのだ。
軍事の刷新があったとしても、訓練だけでごく一部の小競り合いを除き、軍の実戦経験はさほどない。今の平和が薄氷の上に立っていることになぜ彼らは気づかないのか。
怒りの業火が流殞の心に熾るも、それを消火したのはこの現状を招いたのは自分自身だという事実だった。しかも、積極的に加担したというのであれば、言い訳しようもない。
「うまくいかないもんだ……」
またしても、流殞は声に出さず、心の中で独語したが、眉間に深く刻まれた縦皺がやや緩んだ。それも注意深く、至近で見なければわからないほどの変化だった。
人生ままならないのは此方でも彼方でも同じことであろうが、少なくとも、元の世界であれば、ここまで歪むことはなかったはずだ。そう思えば、どんなに譲歩しても、この世界とそこに住まう人々に愛着など湧きようはずもない。
だからこそ、眞人を自称する彼らの意識、すなわち依存心が強く、一方的に期待を寄せて、失敗を裏切りとする思考、常に被害者の地位に甘んじ、弱者を装いながら、足を引っ張る風潮、序列をつけたがり、下とみるや見下す差別主義など、彼らの悪しき意識を改革してやろうと思ったのだ。
社会が発展するのなら、それに合わせた意識というものが必要となろう。改革と言うからには痛みを伴い、ともすればその痛みに耐えかねて死んでしまうものもいるかもしれない、それこそ眞人という種が絶滅してしまうかもしれないが、それは仕方のないことだろう。
しかし、今はまだそのときではない。その力もまだ不十分だ。性急に事を行っても、うまくいかないのはこの十年で染み入るように理解している。蛇が獲物に這い寄るかのように慎重に、そして、機会が来るまで辛抱強く待ち続ける忍耐力が必要だ。
いずれその場所へと辿り着く、それだけが今の流殞の両足を支えている。もう十年待った。それがあと少し伸びたくらい、何だというのだろうか。
ほぼ日課となっている流殞の自己存在の確認が終わったのを見計らったかのように、ノックの音が響いた。後一瞬、思考世界から帰ってくるのが遅かったら、即答し得なかっただろうが、このときは咄嗟に応じることができた。
「どうぞ」
厳つくなった外見と反比例して、流殞の声は穏やかで、耳に心地よく通る。口早になって、頭で思っていることの半分も伝えられなかった過去もあって、何年も訓練したたまものであり、その甲斐あってか、社員からはやたらと慕われるようにもなった。
「失礼します」
流殞の許しを得て、執務室に入室してきたのは
すでに番頭という呼び名は廃止し、取締役と名を改めてはいるが、彼女のことを女番頭と呼ぶものが多い。寧の本来の業務は企業買収を主としているが、多忙の合間を縫って、なぜか、流殞の秘書のようなことも自ら兼任している。
寧の流殞を見つめる瞳には畏敬と畏怖以外の感情が存在している。流殞はそれを知っていたが、その手のことには疎いことを装って、無視している。
寧だけではない。他の誰かに慕情を向けられたとしても、流殞の心は微塵も動かなかったに違いない。むしろ、憎悪が深まっただろう。なぜなら、十年前、どのような目で彼を見ていたか、そう思うだけで流殞の心は屈辱感に塗れるからだ。
実績や、業績によって、人々の見方も変わってくるなどという正論も、今の流殞には通じなかった。
いかに賞賛を受けようが、過去をなかったことにはできないし、する気もない。歩み寄る気がないのだから、お互い離れたほうが幸せなのだろうが、目的を達するためには不本意でも彼らの力を利用せざるを得ず、そのためにも彼らには気持ちよく動いてもらったほうがいい。
かつては多大な努力と精神力を必要とした笑顔も今となっては苦もなく出せることができる。
寧を迎え入れた流殞の顔は全幅の信頼を置いているように見えるだろう。流殞の内心を知らない寧は唯一の上司から認められていることに誇りから頬を上気させながらも、真っ直ぐ流殞の元へと律動的な靴音を立てながら歩み寄り、定規で計ったかのように執務机の三十センチ手前で立ち止まる。
「社長、そろそろ十商会合のお時間です」
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