第25話 無知の悪意

 目が覚め起き上がる。

 

 額の上にあったタオルが毛布の下に落ちた。


「乾いている?」

 

 自室内を見渡すが変わった点は見られない。

 

 リオンやケイトの姿はなかった。


「……部屋で寝ているのかしら。水……」

 

 喉の渇きが酷く、無性に水が欲しくなり立ち上がる。

 

 立ち眩みが酷かったがすぐに収まった。

 

 まだ熱っぽさが残っているが歩けないほどではない。

 

 フィリリオーネは扉を開けて館内を歩き出す。


「ゲイド……ゴホッ‼ ゴホッ‼」

 

 喉の渇きが酷く、ガラガラの声で咳き込む。

 

 窓の外は相変わらず雪で白く染まっている。どうやら、寝ている間に夜が明けたようだ。


 寝込んだのが昨日の朝だから、つまりは一日中眠っていたということ。


「ケイトの言う通り無理が祟ったようですね……こんなに眠ったのは初めて」


 それからフィリリオーネは水を求めて館内を歩き回る。

 

 尋常ではないほどの喉の渇きで気分が悪くなり始めていた。


 目を当ての水は台所にあった。金属でできた水差しに入った水を直接口に運んだところでようやく思考に余裕が生まれ、当然の疑問に気が付いた。


 館内に人の気配がしない。


「ケイト、どこか出掛けたのかしら。リオンもいませんし」


 言いながら何か嫌な予感がしていた。


 フィリリオーネは朧気だった記憶を必死に読み返していく。


「……あっ、確か私のために薬を」


 言っている途中で疑問を感じる。

 

 帰ってきた形跡がないのだ。


 自室には薬はなく、タオルは乾いていた。


「まだ……帰っていない?」


 何かあったのだろうか。そう違いない。

 

 村まではそう時間は掛からない。ましてや一日も帰ってこないなど普通ではない。


 己の内側に不安が高まっていく。それはすぐに身体中を浸透した。


 まだ完全に治りきっていない頭はすぐに身体を動かした。館の扉を開けて走り出す。


 走っている途中で寒さを思い出したが、戻るなんて選択肢はなかった。


 手を翳して魔法を練ろうとするが目眩が生じて集中できない。

 

 フィリリオーネはその容姿には似つかわしくない舌打ちをして歩を進める。


 病に倒れた身体では一歩進むごとに足を奪われる雪道は一苦労だ。

 

 普段であれば数十分程の距離だが、一時間も掛かってしまった。


「はぁはぁ……やっと……着きました」


 息かなり乱れて顔の前に絶え間なく白い靄が漂っている。


「昨晩、吹雪でもあったのかしら。明らかに雪の量が……」

 

 一瞬、リオンたちは吹雪に阻まれて帰れなかったのだろうと考えが過ぎった。


 しかし、言葉では言い表せない胸騒ぎがその考えを否定してくる。それでもその楽観的な考えに縋りたかった。

 

 だが、村の中に入ったときに風で足下まで流されてきた一枚の紙がそれを許さなかった。

 

 フィリリオーネはそれを拾う。


「なっ、なんなの、これは……」

 

 そこに描かれた人相はフィリリオーネだった。

 名前は書かれていないが、それに代わるものとして魔女と書かれていた。

 

 そして、最も大きな字で手配書とあった。


「な、なんで……私は王命で流されて……手配なんて」

 

 そんな必要はない。

 

 王家の者たちはフィリリオーネの居所なんてとうに知っている。


「えっ……なに」


 直後に酷く動揺しているフィリリオーネに対して鋭い視線がいくつもあることに気が付いた。

 

 それは物陰や村の家の中から一直線に向いている。

 

 フィリリオーネは手配書に目だけを向けて気付いた。


「わ、私じゃありません‼ 私は魔女じゃありません‼」

 

 フィリリオーネは必死に周りを見渡して否定していく。

 

 だが、何も返ってはこず冷たい視線が彼女を貫く。

 

 ドクドクと鼓動が速まり焦るフィリリオーネ。

 

 そのとき、村の中央にある物に目が留まった。気付いてしまった。


「えっ……あれは……」

 

 村の中央、そこには薄らと見える二本の太い杭が地面に深く突き刺さっていた。

 

 その上側には一の字型の板が取り付けられている。

 

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 

 その杭と板に覆い隠すように薄らとしか見えないが黒い物体があった。

 二本ともに。


「……うそ、お願い、嘘って言って」

 

 まだ確定したわけではない。

 

 だけど、既にフィリリオーネの目からは涙で溢れていた。

 

 彼女はゆっくりと身体が動いていく。

 

 間近まで近づくと杭や板も黒く染まっている……焦げていた。

 周囲には灰が舞い、いつ倒れてもおかしくないほど脆くなっている。

 

 フィリリオーネはゆっくりと見上げる。


 しかし、途中で怖くなって目を瞑ってしまうが意を決して見開いた。

 

 現実がフィリリオーネの心をいとも簡単に壊した。

 

 一つだけ残った望み、ようやく保つことができていたそれを簡単に壊された。


「あ、あああ……ああああああああああああああああああああああああ‼」

 

 フィリリオーネは泣き叫ぶ。

 

 間違いない。

 

 成人女性の身体と一際小さい子どもの身体。

 

 それが磔となって燃やされていた。

 

 焦げた顔や身体、髪までもが焼け焦げておりもう誰かは見分けもつかない。

 

 だけど、フィリリオーネにわかる。

 

 今までで一番大切だったのだ。顔が誰だか見分けがつかなくてもわかる。

 

 泣き叫ぶフィリリオーネの膝が折れた。

 

 腕を何度も何度も地面に叩きつけて泣き叫ぶ。


「どうして‼ どうして‼ 私たちが‼ どうして‼ ああああああああああああああああ‼」

 

 そのとき、フィリリオーネの後ろに誰かが近づいてきた。

 

 フィリリオーネは気が付いていない。どころか、興味すらない。

 

 だが、その人物はおどおどと怯えるように言葉を発した。


「俺は……俺は悪くねぇ‼ こうしなければ俺らが殺されていた‼ 俺は悪くねぇ‼」

 

 懺悔するかのように泣き叫ぶ男。

 

 この村の民だろう。

 

 泣き叫んで精神が壊れているこの男の様をフィリリオーネが睨み付ける。

 

 このとき、彼女の悲しみは憎悪に変貌した。


「なぜ、あなたが泣いているんですか。なぜ、お前が被害者面をしているの‼」

 

 フィリリオーネは立ち上がり、その掌に炎が宿る。

 

 それを見た村人は後退りしながら罵声を浴びせてくる。


「魔女……やっぱりあの御方が仰ったことは本当だったんだ‼ 俺は悪くねぇ‼ 全部、全部‼ お前が悪いんだ‼ この魔女め‼」


 いつの間にかフィリリオーネを囲むように人集りができていた。


 考えるまでもなくこの村の人々だろう。


 その全員がフィリリオーネに対して罵声を浴びせてくる。自分は悪くない。悪いのはお前だという文言ばかり。自分のしたことを正当化し、悪いことは誰かに押し付ける。


 誰かが投げた石がフィリリオーネの額に衝突する。額からは赤い血がゆっくりと垂れていく。


 だが、フィリリオーネは憎しみの籠もった笑みを浮かべた。


「そうですか。……まさか、ここまでしてきますか。ふ、ふふふふふふ、あはははははははははは‼」


 狂ったように笑い出すフィリリオーネに民たちは怯え、罵声が止まった。


「あなたたちではありませんよ。どこぞのお偉い方々に対してです。本当に、本当に……ここまで」


 フィリリオーネは後ろの二人を固定している杭を引っこ抜いた。そして、二人の身体を自由にしてあげる。


 それを見かねた村人の一人が口を開こうとする。


 その瞬間、その村人の身体に炎が飛び燃え盛った。


「ぎゃあああああああああああ‼ 助け、助けて‼」


 村人は転がり他の村人たちに助けを求めて伸ばした手を一人の村人の布の服に触れる。


 その途端にその火は触れられた村人に燃え移った。


 悲鳴がさらに増える。


「なにを安堵しているのですか。脅されたとはいえ……許されるなんて何を甘く考えているのです? 遠慮はしません。この子たちの苦しみを味わいながら、後悔しながら消えてください」


 走り回る火の粉となって村人たちは自分たちの村を燃やしていく。自分の仲間たちを燃やしていく。


 何とか火を消そうとするが火は勢いよく燃え続け、消える気配は微塵もない。


 フィリリオーネが二人の遺体を持って村を出る頃には村は一つの大きな炎となっていた。


 彼女が行ったのは最初の村人を燃やしたところまでだ。それ以降の被害は彼ら自身が行ったこと。


「……道連れを選びましたか。醜い。どうしてこんな者たちのために……」


 フィリリオーネは近くの森の中で二人の遺体を丁重に葬った。


「ケイト、リオン、ごめんなさい。不甲斐ないお姉さんで……ごめんね……ごめんね」


 並べた薪の中で燃え続ける二人の遺体を見て涙を流し続ける。


 フィリリオーネはこの間、ずっと謝り続けることしかできなかった。


「……必ずあなたたちの仇は取るから。楽に死なせない。この国を、あなたたちをこんな目にあわせたこの国を私は決して許さない」


 見届けたフィリリオーネは静かに立ち上がる。


 近くにあった丸太を切って長く太い板にする。そして、遺灰を埋めてその板を墓標として地面に突き刺した。


「さようなら」


 そして、フィリリオーネはふらふらと歩いて館に戻った。

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