第7話
紬はごくんと唾を呑んだ。無意識に顔が強張り、背筋がピンと伸びた。確かに彼女には言いようのないオーラがあった。端々から見えてくる、隙の無さ。そののんびりとした感じの一方で、しっかりと腹に何か抱えているのだろう。軽いように見えて、その実一癖も二癖もあるのかもしれない。それが事実であるかどうかは定かではないが、そもそも紬は『ラビット』に入りに来た身である。長に対して無礼を働くことは許されない。
「ま、肩肘張らないで。『ラビット』は『楽しく』がモットーなんだ、うちに対しても特別な対応はしなくていいよ。他の子と同じ様にしてくれたらいいから」
紬は一度困ったように眉を下げた。躊躇う様に沈黙を挟んだ後、素直に頷いて見せた。これは、言葉通りに受け取っていいのだろう。ノアは『キツキちゃん』とフランクに呼んでいるようだったし、怖いリーダーならばそのように呼ぶことを良しとはしないはずだ。少なくとも自由に呼ばせるくらいには温情のある人なのだろう。紬は警戒心を緩め、口を開いた。
「私、紬っていいます。よろしくお願いします。『ラビット』に入りたくて、ノアちゃんに案内して貰いました」
「敬語もなしでいーよ。お互いその方が気楽でしょ?」
姫月は僅かに首を傾げて見せた。桃色と紫色の混じった白髪が、サラサラと零れる。
「わ……わかった。私、『ラビット』に入ってもいい?」
「勿論。歓迎するよ。来る者拒まず、去る者追わず。あんたが入りたいと思ったら、もうその瞬間から仲間だ」
姫月はレースに包まれた手を広げてみせた。マニキュアの塗られた綺麗な形の爪が、レース越しに照明を反射して光沢を帯びていた。紬は歓迎する様子を見て、ほっと胸を撫で下ろした。どこの組織もメンバーを迎え入れる時は慎重だときいていた。厳しい試験があったり、忠誠心を試したり、何か無茶ぶりをされてそれを完遂しないといけないというような噂も耳にした。それに一度組織に入ってしまえば、抜けることは許されないのが普通だ。組織から足抜けをする成功率は著しく低く、十中八九殺されることになる。しかし姫月の言葉の通りなら、『ラビット』はそんな常識とはかけ離れているらしい。つくづくこの組織の特殊性を感じる。
「虹から話はきいてるよ」
姫月はその口角をあげ、フェイスペイントを歪ませた。
「『ラビット』向きじゃないんじゃないか、って思ってたけど……杞憂だったみたいだね。良かったよ」
姫月は楽しそうにくつくつと嗤った。先程のお店での件のことを言っているらしい。紬は決まり悪そうに俯き、そわそわと手を摩った。
「私……殺したかったわけじゃないの。その、ただ、大事なものを、守りたくて……」
「ん? そんな顔しなくていいよ。『ラビット』にはあんたのしたことを怒る人も咎める人もいない。『ラビット』にいれば、好きなことを自由にやっていいんだ」
姫月の声色は変わらず落ち着いていて、無理に慰めたり励ましたりしている感じはしなかった。しかしゆったりとした口調の中に独特な熱が籠っている気がして、紬は恐る恐る顔をあげた。姫月はそのパッチリとした睫毛が囲う瞳を、真っ直ぐと紬へ向けていた。その顔は穏やかで、言葉通り非難の色は見えなかった。
「どうせ向こうさんも殺す気だったんだろうから、あんたが大事なものを守りきれたんなら、それでいいと思うな。ここでは常識にも、役割にも、規程にも、他人の目にも縛られる必要はないんだから。あんたも楽しいことだけ考えて、笑っている方がお得だよ」
姫月は厚底を床から浮かすと、脚を組んだ。膨らんだスカートの中から、ガーターベルトがちらりと顔を出す。
「……突然自分でも制御がきかないほど瞬間的に力が出ちゃう人って、普段いろんなものを溜め込んで我慢している事が多いんだ。限界がくると、信じられない熱量でその力を暴走させてしまう。……これは一般論だけどね。その点、『ラビット』ではなんにも我慢をする必要がない。嫌なことは全て忘れて、自由に楽しいことをして笑っていればいいんだ。それが少しでも救いになれたらいいけど」
姫月は淡く笑みを浮かべた。なんだかその視線は優し気だった。紬の顔を窺うように、少し身を乗り出す。紬は姫月の言葉に子猫みたいに丸くなって、小さく頷いた。
「ありがとう。でも……私はそんなんじゃないんだ。優しいママに恵まれて、学生生活も平和で、びっくりするくらい幸せ者で、すごく普通なの。我慢したり溜め込んだりしてるものなんて、何もないよ……」
「なら、それでいいじゃん。別にそういう子しか『ラビット』にいちゃいけないなんてことはないんだからさ。皆と一緒に、紬がしたいことをして過ごしていけばいいよ」
「……うん」
紬はぎこちなくはにかんだ。姫月は紬の意思を尊重しつつも、温かく見守ろうとしてくれていることが伝わってきた。見た目が派手なため警戒していたが、言葉を交わす内に段々と怖さは消えてきていた。
(キツキちゃん、優しいな。ママみたい)
こんなに温かな人達に囲まれているのだ。やはり自分は幸せ者だな、と思う。
「紬は何か、やりたいことはあるの?」
姫月は組んでいた脚を解き、ソファから腰を浮かした。潰れていたパニエが膨らみを取り戻し、フリルの塊が歩き出す。厚底が床を叩く度に、コツコツと音が木霊した。姫月は事務机へ向かうと、引き出しを開けた。中から取り出したのは、小さなグミの袋だった。
「やりたいこと、か……わかんない。私、『ラビット』の制服が好きで、ずっと憧れてたんだ。だから制服を着ていられたら、それだけで満足かも」
「制服? いい趣味だね」
姫月はグミの袋を開けると、紬の前までやってきて差し出した。紬の言葉を馬鹿にしたり揶揄ったりすることもなく、彼女は淡く笑んだまま、なんでもないように軽く返してくれた。それが何だか、すごく嬉しかった。紬は「ありがと」と感謝の言葉を述べてから、差し出された袋へ手を突っ込んだ。黒いレースに包まれた指で掴んだグミは透き通った黄色をしていて、どうやらレモン味のようだった。口の中に入れると、程よい弾力感と爽やかな甘さが広がった。姫月は紬の正面へと戻り、ソファへ座り直した。自身もグミを摘まんで、同じレモン色のグミを口へと入れた。
「……この制服って、キツキちゃんが選んだの?」
グミを飲み込んだ紬は、何気なさを装っておずおずと尋ねた。姫月はこくんと喉を上下させてから、一度視線を上へと逸らした。
「いや、『ラビット』発足当時に皆で決めたんだよ。この制服をめっちゃ推してた子がいてね。生きてたら、紬と話が合ったかもね」
言い様からして、当時のメンバーの少女はもう死んでいるらしい。紬は顔を暗くして俯いた。
「でも、うちもこの制服は大好き。フリルいっぱいで可愛いけど、色的に甘すぎなくてさ。『ラビット』の子達に、ピッタリだと思ってる」
姫月は自身のスカートの裾を摘まんで僅かに持ち上げた。フリルとレースが伸びて、下からフリルが雲のように折り重なる白いパニエが覗いた。
「紬はフリルとかレースとかリボンとか、そういうのが好きなの?」
「うん。大好き」
紬は曇りのない目を細めて、相好を崩した。
「そっか、可愛いよね。……そうだ、使っていないレースリボンがあるんだけどさ、良かったらあげようか?」
「え? い、いいの?」
「さっきお店で何も買えなかったんでしょ? 次のお気に入りが決まるまでの間だけでも、つけてみたらどうかな。制服に似合うと思うからさ」
姫月はグミの袋のチャックを閉めると、机の上へと置いた。そのままソファから立ち上がる。その正面で、紬もそれに続いて立ち上がった。姫月は真っ直ぐ扉へと向かっていき、紬もその後をついていった。後ろに並ぶと姫月は意外と小柄で、背の低めの紬よりも少し小さいくらいだった。それでも、キャプテンの背中はなんだか頼もしく映った。
応接室を後にし、オフホワイトの壁と木製のタイルの床が続く廊下を歩いていると、正面から小さい人影が近づいてきた。彼女も紬と姫月同様、『ラビット』のフリルだらけの制服に身を包んでいた。紬よりも姫月よりも小柄な少女は、「あ!」と元気な声を上げて駆け寄ってきた。
「キツキちゃん! 帰ってたんだ! なにしてるの?」
ぱあ、と明るい笑みを咲かせた少女は、姫月の前で止まって楽しそうに見上げた。短い金髪をまるでキャンディのように二つ結びにしていて、彼女が動く度に楽し気に跳ねていた。彼女は小さい身体を揺らし、興味津々というように姫月を眺めた。それから紬に気が付き、動きを止めると人差し指を口元へと持っていった。
「……誰?」
今度は紬を矯めつ眇めつ眺める。
「紬だよ。うちらの新しい仲間」
「よ……よろしくね」
遠慮なく間近で熱心に見つめられ、紬は気まずそうに笑みを作った。少女は紬の反応などお構いなしに、あどけない顔ににっこりと満面の笑みを浮かべた。
「ポポは鳩(ポポ)っていうの! よろしくね、ツムギちゃん!」
ポポは紬に迫っていた顔を戻し、再度姫月へと向けた。
「二人でどこ行くの?」
「……ん、鳩もついてきな。プレゼントあげる」
「えっ、プレゼント!?」
ポポは瞳を宝石のように輝かせ、その場で飛び跳ねた。フリフリのフワフワがもさりと揺れた。
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