影追いのストーカー~推し活が異世界を救う~
暁ノ鳥
第一章:推しの向こう側
「――摂取カロリー、昨日比マイナス150キロカロリー。よし、誤差の範囲内だな」
薄暗い四畳半、城とも呼べるこのアパートの一室で、僕はPCモニターの眩しさに目を細める。
壁という壁は、僕の唯一神、いや現人神(あらひとがみ)であるアイドル『千鳥アイ』ちゃんのポスターで埋め尽くされている。
限定版、通常版、ライブ会場限定版、ファンクラブ限定版……。
天井に貼られた特大ポスターのアイちゃんと目が合うたび、僕の心臓は規定値以上のビートを刻む。
まったく、心臓に悪い。
でもそれがいい。
PCのデスクトップも当然アイちゃんだ。
フォルダ名は「アイちゃん観察記録_2025」。
その中にはさらに日付ごとのフォルダが並び、今日のフォルダを開けば、数分前に更新されたばかりのテキストファイルがある。
『2025/05/04 アイちゃん行動ログ』
7:05 起床(SNSログイン時刻より推定)
7:35 朝食(昨日のコンビニ購入履歴より、サラダチキンとプロテインバーと推定)
8:15 自宅出発(定点カメラ映像より確認)
8:45 事務所入り(同上)
12:30 昼食(公式ブログ写真の背景と時間から、事務所近くのカフェAと特定。注文はキノコとベーコンの豆乳クリームパスタ、セットドリンクはアイスコーヒー)
18:05 事務所退出(定点カメラ映像より確認)
18:40 自宅着(同上)
完璧だ。
今日もアイちゃんはアイちゃんとして、完璧な一日を過ごされた。
僕の「観測」に一片の曇りもない。
これが僕、影山零(かげやま れい)、20歳、しがない大学生の日常であり、全てだ。
友人? ゼロ。
恋人? 論外。
僕にはアイちゃんがいればそれでいい。
彼女の一挙手一投足を把握し、その輝きを脳内のアーカイブに永久保存すること。
それが僕の生きる意味であり、至高の「推し活」なのだ。
勘違いしないでほしい。
僕は別にアイちゃんに危害を加えたいわけじゃない。
握手会? 行かない。
ライブ? 最後列のさらに後ろ、関係者用通路の影から双眼鏡で「観測」するだけだ。
ファンレター? 書かない。
僕のこの歪んだ情熱は、一方的な「観測」によってのみ満たされる。
それが僕なりの、純粋で穢れなき愛の形なのだ……多分。
カチカチ、とマウスをクリックし、今日のログを保存する。
ふぅ、と息をついた瞬間、スマホが震えた。
SNSの通知だ。
嫌な予感がする。
こういう時の予感は、大抵当たる。
『【悲報】今日の握手会、アイちゃんが運営スタッフに冷たくあしらわれてた……裏ではあんな感じなのかな……ショック』
添付された短い動画には、確かに握手の合間、仏頂面のスタッフに何かきつい口調で言われ、俯くアイちゃんの姿が映っていた。
「……は?」
全身の血が沸騰するような感覚。
なんだ、あいつは。
どのツラ下げて僕のアイちゃんにそんな態度を。
許せない。
絶対に許せない。
アイちゃんは天使だぞ?
慈愛の女神だぞ?
それをなんだ、あのゴミムシを見るような目は!
込み上げる怒りに任せて、僕は椅子を蹴立てた。
ガタン、と大きな音が部屋に響く。
まずい、隣の部屋の住人に壁ドンされる。
いや、そんなことはどうでもいい。
アイちゃんが悲しんでいるかもしれない。
僕の完璧な「観測」だけでは、彼女の心の機微までは完全には掴めない。
だが、あの動画のアイちゃんは、明らかに傷ついていた。
「守らなきゃ」
誰から? 何から? わからない。
でも、衝動が僕を突き動かす。
気づけば僕は、パーカーを羽織り、ヘッドホンを首にかけ、雨が降り始めた夜の街へと飛び出していた。
降りしきる雨粒が、燃え上がる僕の頭を冷やそうとしているかのようだ。
無駄だ。
今の僕の情熱は、スコールだろうが台風だろうが消し止められない。
目指すは一つ、アイちゃんの所属するアイドル事務所だ。
*
土砂降りの雨の中、僕はアイちゃんの事務所が入るビルの向かい側、街路樹の影に身を潜めていた。
時刻は午後11時を回ったところ。
いくらなんでも遅すぎる。
まさか、あの後、スタッフに呼び出されて説教でも受けているのでは……?
想像しただけで腸(はらわた)が煮えくり返る。
だが、僕にできることはない。
ただ「観測」し、アイちゃんの無事を祈るだけだ。
それがストーカー……いや、影山零(ウォッチャー)の矜持だ。
その時だった。
事務所の通用口が開き、見慣れたシルエットが現れた。
間違いない、アイちゃんだ。
しかし、その隣には見知らぬ黒服の男たちが二人。
アイちゃんは何かに怯えるように俯いている。
「……!」
なんだ、あれは。
スタッフじゃない。
屈強な体つき、鋭い目つき。
カタギじゃない。
まさか、誘拐……!?
考えるより先に、体が動いていた。
雨で濡れたアスファルトを蹴り、僕はアイちゃんの元へ駆け出す。
「アイちゃんっ!」
僕の声に、アイちゃんが驚いたように顔を上げる。
その瞳が僕を捉えた瞬間――彼女の大きな瞳が、恐怖に見開かれた瞬間――。
「邪魔だ!」
黒服の男の一人が、僕を虫けらのように突き飛ばした。
無様に地面に転がる僕。
受け身も取れず、全身を強打する。痛い。
だが、それよりもアイちゃんのことが……!
顔を上げると、アイちゃんは男たちに羽交い締めにされ、黒いバンに押し込まれようとしていた。
「やめろっ!」
声にならない叫びを上げ、立ち上がろうとした、その瞬間。
ピカッ!!!!!!
世界が真っ白に染まった。
鼓膜をつんざく轟音。
雷だ。
それも、すぐ近くに落ちた。
突き飛ばされた衝撃と、雷の衝撃。
僕の意識は、そこでプツリと途絶えた。
*
「……ん……」
重い瞼をこじ開ける。
最初に感じたのは、湿った土の匂いと、むせ返るような緑の香り。
そして、全身を打った鈍い痛み。
「……ってて……」
体を起こすと、そこは見慣れた東京の街並みではなかった。
鬱蒼と茂る木々。
聞いたこともない鳥の声。
まるで、ファンタジー映画のセットみたいだ。
「どこだ……ここ……?」
混乱する頭で状況を整理しようとする。
そうだ、僕はアイちゃんを助けようとして、雷に打たれた……はずだ。
気絶している間に、どこか人里離れた森にでも運ばれたのか?
いや、それにしちゃこの森、雰囲気がおかしい。
木の種類も、空気の質感も、日本のそれとは明らかに違う。
まさか……とは思うが、最近流行りのアレか?
異世界転移ってやつ?
いやいや、そんな都合のいい話があるわけ……。
その時、視界の隅に奇妙な表示が現れたことに気づいた。
半透明のウィンドウがいくつか浮かび、そこに文字や図形が表示されている。
《生体情報:正常範囲内》
《周囲環境:ヴィジリア大陸南東部 未踏の森》
《スキル:シャドウストーカー Lv.1 発動可能》
《対象捕捉:半径50m以内の生命反応及び残留思念を自動観測中》
「は……?」
なんだこれ。
ゲームの画面?
いや、これは僕の視界に直接表示されている。
まるで、僕がいつもPCでやっている「観測」作業が、リアルタイムで、しかも拡張現実(AR)みたいに表示されているような……。
スキル? シャドウストーカー?
僕のストーカー技術がスキル扱いってことか?
しかもレベル1って。失礼な。
僕のアイちゃんに対するストーキング……いや「観測」技術は、プロフェッショナルレベルのはずだぞ!
混乱とツッコミが脳内で渋滞を起こしていると、視界のウィンドウの一つが赤く点滅した。
《警告:高レベル生命反応接近中。敵意確認。対象:不明瞭》
咄嗟に身を伏せる。
木の幹に体を隠し、息を殺して周囲を窺う。
スキルウィンドウには、森の奥からこちらに向かってくる赤い光点が複数表示されている。
同時に、僕の聴覚が、常人離れしたレベルで周囲の音を拾い始めた。
土を踏む音、枝が擦れる音、荒い息遣い……間違いない、誰かが来る。
茂みの隙間から覗くと、森の奥から豪華だが泥と破れで汚れたドレスを着た少女が、必死の形相で走ってくるのが見えた。
金髪を振り乱し、息も絶え絶えだ。
年の頃は、高校生くらいか?
アイドル……ではないな。
だが、息をのむほど美しい。
これは……新たな「観測」対象に値するかもしれない。
いや、今はそんな場合じゃない。
彼女の後方からも、複数の赤い光点が迫ってきている。
追われているのか。
少女が僕の隠れている場所のすぐ近くで、木の根に足を取られて転んだ。
「きゃっ!」
小さな悲鳴。
まずい。
追っ手に気づかれる。
どうする? 助ける?
でも、僕に何ができる?
相手は武器を持っているかもしれない。
こっちは丸腰の陰キャ大学生だぞ?
いや、待てよ。
僕にはこの「観測」能力がある。
ウィンドウには、追っ手の正確な位置と人数、さらには彼らの装備(剣と弓を確認)まで表示されている。
さらによく見ると、追っ手の進行ルート予測まで表示されているじゃないか!
これなら……!
僕は意を決して茂みから飛び出し、転んだ少女に駆け寄った。
「立てるか!? こっちだ、早く!」
少女は驚きと恐怖に目を見開いている。
そりゃそうだ。
いきなり薄汚れた陰キャ男が現れたんだから。
「あなた、誰……!?」
「話は後だ! いいから、こっちに隠れて!」
僕は有無を言わさず少女の手を引き、近くの大きな岩陰へと引っ張り込んだ。
ほぼ同時に、黒い装束に身を包んだ男たちが数人、僕らがさっきまでいた場所に現れた。
「ちっ、見失ったか!」
「まだ近くにいるはずだ! 探せ!」
男たちは周囲を探し回っている。
息を殺し、岩陰に身を潜める僕と少女。
少女は恐怖で小刻みに震えている。
その震えが、掴んだ手を通して僕に伝わってくる。
やがて、追っ手たちは諦めたのか、別の方向へと去っていった。
スキルウィンドウの赤い光点が遠ざかっていくのを確認し、僕は安堵の息をついた。
「……行った、みたいだな」
僕が言うと、少女は恐る恐る顔を上げた。
その美しい碧眼が、戸惑いと疑念に揺れながら、まっすぐに僕を見つめていた。
「あなた……いったい何者ですの?」
彼女の声は震えていたが、その問いには有無を言わせぬ響きがあった。
さて、どう答えたものか。
「実は現実世界でアイドルのストーカーをやってまして、その技術が異世界でなんかすごい能力になったみたいです」なんて言えるわけがない。
言ったら最後、この美少女にもドン引きされて、森の中に置き去りにされる未来しか「観測」できない。
僕の異世界での、波乱に満ちた(そして多分、問題だらけの)新たな「観測」生活は、こうして幕を開けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます