君のことが好き好き大好きな文学幽霊サオリさん
黒澤 主計
前編:好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き!!!
ダメだ、また現れた。
今回もまた、失敗に終わるのか。
僕はただ、ゆっくり本が読みたいだけなのに。
『ねえねえ、ヨウくん。だーい好き!』
舌打ちが出る。
小説のページを素早くめくる。一見すると普通の物語。でも、至るところに『おかしなもの』が混ざり込んでいる。
『ヨウくん。好きだよ! 結婚しよ!』
目の前が暗くなる。
ああ、やっぱりダメだ。
この本も、まともに楽しめそうにない。
僕は図書館が好きだった。
一人きりでいられる場所。静謐感があって、一生かけても読み切れないほどの本で周囲が満たされている。僕の身長より高い本棚。そこに並べられた無数の小説。
本。何よりも愛すべき、尊いもの。
高校の図書室では物足りない。知り合いに会ってしまうと一人の時間が壊されるし、蔵書数も少なすぎる。
だから学校が終わるといつも、市の図書館に足を運び、気になる本がないかと探す。
うん。今日はこれにしよう。
ファンタジーの気分。海外の作家のもので、主人公の少女が壮大な旅をするもの。
書架から一冊を抜き取ると、僕は本棚脇の椅子へと座り込む。
あえて、ここで読むのがいい。ここの静かな空気がいい。
そんな風に、今日もじっくりと物語を味わう。
「ん?」と途中で声が出た。
パラパラと、少し前のページに戻って文章を読み直す。
今、明らかに妙なものが出てきた。作中人物のセリフとも思えない、奇妙な文章。
『君、いつもここで本を読んでるよね?』
これは、なんだろう。
主人公が魔物の住む島に上陸し、危険をかいくぐる描写が始まっていたはず。
『本が好きなんだね! 物語を読んで楽しそうにしてる君の顔、いつも見てたよ』
また、変な文章。
『わたし、君のことが好きになっちゃった! ねえ、わたしと付き合って!』
まただ。また出てくる。
物語の内容も、だんだんおかしくなってきた。
魔物の追跡から逃れようと、草むらに隠れる少女。じっと息を潜めているはずが、おもむろに口を開き、妙なセリフを発し始める。
『ヨウくん。大好きだよ』
僕の名前。
これは、本当に偶然なのか。
『わかってる? 君に話しているんだよ。今、本を読んでる君。島村洋太くん』
手の平に、じわりと汗が浮いてきた。
本を落としそうになる。膝の上に置き、手の甲でページを押さえた。
『わたし、サオリっていうの。いっぱいいっぱい愛してね』
うまく理解できない。
けれど、確信できることはある。
これは絶対に、『良くないもの』だと。
『大好き! 大好き! 大好き! 大好き! 大好き!』
「また、出てきた」
一冊だけが変なのかと思っていた。昨日手に取った一冊。あれさえ手に触れなければ大丈夫だと考えていたのに。
今日は『ロミオとジュリエット』を読んでみた。
『ああ、あなたはどうしてロミオなの?』
有名な一節。バルコニーからジュリエットがロミオと向き合うシーン。
でも、そこから先がおかしかった。
『ロミオ。やっぱりあなたと一緒にはなれない。他に好きな人が出来たの』
唐突に、ジュリエットが空を仰ぐ。
『ヨウくん。わたしが好きなのはあなたなの。結婚しよ!』
これは、取り憑かれたっていうものなのか。
変な幽霊みたいな奴がいて、僕はなぜか気に入られた。
あいつにはなぜか、『本』に干渉する力がある。それを使い、物語のキャラクターを勝手に動かし、あらぬセリフを喋らせられる。
『あなたが落としたのは金の斧ですか? 銀の斧ですか? それとも、わ・た・し?』
泉の女神が、唐突に問いかける。
『ねえ、ロン。どうして私、あなたみたいなモブと付き合わなきゃならないの? 主役のハリーならともかくね。私、今はヨウくんが一番好き!』
魔法学校の友人が、突然僕に告白する。
『いとしいしと、いとしいしと。指輪より、今はヨウくんがいとしいしと』
変な化け物みたいなのが、僕に強く恋慕する。
次こそは、と希望を持った。
とにかく本が読みたかった。今度こそは無事じゃないか。そう信じ、手当たり次第に本を開いた。
でも、ダメだった。
突如、作中の人物たちが僕に『好きだ』と言ってくる。
第三の壁っていう奴は、一体どこへ消えたんだ。
苦しい。本が読みたい。
僕にとっては一番の生き甲斐だったのに。漫画や映画やアニメじゃダメなんだ。自由に場面を想像できる、文字だけの本じゃなければ。
『ねえねえ、サオリのこと、今はどれくらい好き?』
夏目漱石の『坊っちゃん』。マドンナが唐突に僕に聞く。
『ジョー姉さん。わたしたち、全員がヨウくんを好きになっちゃったみたい』
オルコットの『若草物語』。四姉妹の全員が僕にぞっこんだ。
『ねえ、サミアッド。ヨウくんと結婚できるよう、願いを叶えて!』
ネズビットの『砂の妖精』。願い事は、僕との結婚。
舌打ちすら出て来ない。
「ちくしょう」と図書館の隅で一人呟く。
最初の数十ページには出て来ない。今度こそ大丈夫かなって思ったら、『いいところ』で登場してくる。
正直、自分の気持ちの整理がつかない。
怖いっていう想いはある。
でも、それ以上にイライラする。
「ああ、まただ!」
今日はミステリーを読んでいた。エラリー・クイーンの『Xの悲劇』。
『比類ない神々しいような瞬間。人間の頭の飛躍には限界がなくなるのです』
探偵が語るシーン。
殺人現場。被害者が『ダイイング・メッセージ』を残したという。
倒れている人物。その指先には一つの文章。
『ヨウくん、大好き』
「ふざけんな!」と声が出た。(※注:図書館では静かにしましょう)
さすがにもう、我慢できない。
こいつは一体なんなんだ。本に干渉して、僕に一方的な求愛メッセージを送ってくる。
好きになるわけないだろう。僕の楽しみを邪魔しやがって。
いいだろう。だったら答えを返してやる。
鞄からペンケースを取り出した。シャープペンを手にし、文庫本に書き込む。
『お前なんか、大キライだ』
(※注:図書館の本は公共物です。文字を書き込んではいけません)
効果はなかった。
はっきり拒絶を示したから、出て来なくなるのを期待した。
『この名状しがたき恐るべきもの。この感情に名を付けるとすれば、まさに「恋」。ヨウくんへのこの想いが、まさに次元の壁を越えようとしている』
怪奇小説まで。
溜め息を一つつき、『ラヴクラフト全集』を本棚に戻す。
「まあ、『ラヴ』繋がりってことなのか」
チョイスが悪かったのかもしれない。
昨日はミステリーを手に取った。そこで拒絶の言葉を書き込んだから、ミステリーには手出ししづらくなっているかもしれない。
今度こそ、僕に本を読ませてくれ。
そう思い、探偵小説を手に取る。
最初に人物紹介。まずはサラッと頭に入れる。
でも、僕は見てしまった。
『登場人物一覧』
サオリ:あなたの未来の妻
「ぐう」と声が漏れてしまう。
末尾。人物一覧の末尾に、どう考えてもあってはならない名前が。
一体どこまで、僕の邪魔をすれば気が済む。
きっと、この先は読んでも意味がない。絶対にミステリーを楽しめない。
「ほら、やっぱり」
次のページには、また『奴』の言葉が登場していた。
『誰か、この事件を解明して? わたしの心、盗まれちゃった(てへぺろっ!)』
「ふんっ!」
気がつけば、ビリっと音を立てていた。
(※注:図書館の本はみんなの物です。破いてはいけません)
たしかに、僕も悪かった。
近づかなければ良かったんだ。『あいつ』が妨害してくるのがわかっている。だったら、無理に本を読もうとしなければいい。
「残念だけど、ここは我慢」
市の図書館だけの問題じゃない。家の本棚にある本も、高校の図書室にある本も、やっぱりサオリの干渉を受けていた。
「小説以外だったら、意外とちゃんと読めるかな」
試しに、ノンフィクションの本を手に取る。
「うん、やっぱりダメだった」
ファストフード店のお仕事体験記。ちょっと面白そうだったのに。
『ドナルドの靴はハンバーガー四個分。わたしの愛は、グラコロバーガー千個分!』
なんかもう、色々酷かった。
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