第2話 不思議な提案

 白夜の森は魔物が住む。

 だから王都は、丘陵地帯を挟んだ離れた場所にあった。

 よって森までは急いでも七日はかかるらしい。


 じわじわと自分が死に向かっていると思うと、私はすでに生きた心地がしなかった。

 食事も、パンと水筒の水、町や村に寄るとスープを渡されたものの、喉を通る量はわずかだった。


 ――これを食べてどうするの?

 ――もう、なにもかもわからないほど衰弱した方が、魔物に殺される時も痛みが少ないかもしれない。


 そんなことまで考えてしまう。


 この日も、私は馬車に閉じ込められたまま、神殿兵三人が村へと向かった。

 私の逃亡を、気の毒に思った何も知らない村人が助けてしまうかもしれない。それを恐れたあの少年騎士が、私が乗った馬車を街道脇に留めさせて、兵士達に買い出しをさせるようにしていたのだ。


 馬車が止まって、私は振動で座席から転がり落ちなくなったことにはほっとした。

 けれどそれ以上のことはもう、考えたくもない。

 停止するたびに、死が近づいていくのだもの。


 昨日も、その前も、夜は全く眠れなかった。

 いっそ眠ったままその瞬間が訪れたら、恐怖の中で過ごさなくても済むのにと、悔しく思うぐらいだ。


 今も、このまま衰弱したら気を失えるのではないかと思っていた。

 すると、扉をノックする音がした。


 返事をする気力もなく、ぼんやりと扉を見る。

 相手も、返事を期待していないのかすぐに扉を開けた。

 顔をのぞかせたのは、少年騎士だ。


「おい、生きてるか?」


 彼の問いに、(見ればわかるじゃない)と思ったものの、口に出すことはない。

 今すぐ「気に入らない」と斬り殺されるかもしれないのだ。


(この人にとっては、生きてる人間を運ぶより、死んだ人間を運んで、白夜の森に放り出す方が楽なはず)


 私が魔女だということを確認するために、あっさり斬りつけてきたような人だ。

 じわりと斬られた傷が痛む。一応、途中で死ぬと面倒だからと傷薬を塗られたので、膿んではいない。

 ただそれは親切からじゃない。

 死体を運ぶのは、臭いから嫌だという理由だった。


 彼の言動からは、面倒くさがりなこともわかる。

 だから手がかかると思ったり、反抗されたら、『面倒だから殺す』と言いかねないと思っている。


 じっと黙っていると、そのあたりも織り込み済みなのか、少年騎士は勝手に話し出した。


「ところで、もう少し生きたいか?」


 おもむろに切り出された言葉が、一瞬理解できなかった。

 ぼんやりしたまま、私は首をかしげる。

 少年騎士は、少しいらっとした表情でもう一度言う。


「だからさ、お前、逃げたくないか?」


「……逃げたら、殺すの?」


 正直、罠だとしか思えない。

 魔物がうじゃうじゃいる森に私を放り込んで、殺されるのを見ようと言った人なのだから。


「あーもう」


 少年騎士が頭をかく。


「率直に言ってやるよ。死にたくないなら、僕の言う通りにしろ」


「え? 死にたく……ない」


 つぶやくと、少年騎士はどこか傷ついたような表情をする。


「それでいい。だから、逃げ切るために少しは食べなよ。あと、現地で走れるように、こっちの靴にしろ。この荷物は座席に物が入るからそこに隠しておけ」


 少年騎士が革の編み上げ靴を差し出す。

 茶色の柔らかそうな革靴だ。押し付けられて持った私は、思いがけない軽さに驚く。それなりに良い品だと思う。


 続いて押し付けられたのは、布鞄だ。

 色々な物が入っていて少し重さがある。

 なんとなく中を見てみる。

 干し肉や地図らしきもの、そして硬く焼いたビスケットがいくらか入っていた。


「……え。食べ物?」


 疑問をつぶやくと、すぐに少年騎士は言う。


「その靴に替えて、鞄を持って白夜の森を抜けろ」


 とんでもない提案を聞いて目を丸くする私に、彼は続ける。


「森の外縁部は、ほとんど魔物が出ない。近場の村の人間でも入って、誰かの所有地でもないからと山菜を取ったり、霧で変異した植物を採取して金に換えていると聞いている」


「採取……」


 それが嘘ではないなら、白夜の森は人が入ってすぐ死ぬようなものではないの?

 でも、まだこの騎士が嘘をついていないという保証もない。

 私に嘘をついて、ほけほけと入ったところで襲われるのを見たいのかもしれないではないか。


 長いこと私を嫌っていた継母の悪意にさらされて、周囲を警戒して生きてきたから、すぐには信じられなかった。

 そんな私の様子は気にせず、騎士は話しつづける。


「あと森の端は、三百年前の帝国時代の街道がある。それを北に向かって進め」


 彼は私に向かわせたい場所があるようだ。


「北、ですか?」


「アールシア皇国がある」


 言われて思い出した。

 北の皇国アールシア。

 昔は一つだった大帝国が、分裂していくつかの国に分かれ、南の大国は今私がいるダート王国に。北の大部分はアールシア皇国になったのだ。


「そこへ行けば、魔女でも迫害はされない」


「どうしてそこまで……」


 この人は、ディアス神教の騎士なのに。

 黒魔術を使える魔術師を、魔女と呼んで他と区別し、迫害している大元が彼のいる組織だ。

 なぜ、私を見逃そうとしているんだろう。


 私の問いに、騎士は懐から手に握ったら収まってしまうぐらいの小袋を取り出す。

 白い袋は絹布でできているようで、つややかだ。


「これを、アールシア皇国の冒険者に依頼して、白夜の森に……たぶん三百年前の遺構とか廃墟になった町とかがあると思う。できる限り奥にある町の側に、埋めてくれればいい」

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