君の隣で ~競技のペアとプライベートでもペアになる百合~

楠富 つかさ

いつもの放課後、変わりゆく胸の音

 五月も終わりごろ、放課後の体育館は、ほんの少し湿った空気が漂っていた。カツン、と乾いた音が、空間の奥へ吸い込まれていく。

 卓球台を挟んで、私――大隅姫乃と水沢椿は何も言わず、ただ黙々とラリーを続けていた。


 パシン、パシン、と、球が弾むたびに、心臓の鼓動と微妙にずれていく。

 椿の手元から放たれる球筋が、私のラケットに吸い込まれるように返っていく。

 ただそれだけの繰り返し──のはずなのに。


 今日もラリーは、淡々と続く。だけど、私の胸の内はまるで風の吹く日の湖面のようにざわついていた。椿の顔を見るたび、視線が一瞬でも絡むたび、胸の奥がひどくざわめいて、落ち着かなくなる。

 椿の打ち返してくるボールはどこか緩さがあって、ついスマッシュを打ちそうになってしまう心をぐっと堪えて、椿が打ち返しやすいようにしていく。こうしてラリーを続けている間は彼女を私だけが独占できるのだから。


「……姫乃、今日もやたら球伸びてんな」


 椿が軽口を飛ばす。少し息を弾ませながら、それでもあの、いつもの飾らない笑顔。私の知らない誰かにも、こんなふうに笑いかけているのだろうか──そんなことをふと考えてしまう。

 私は小さく笑って、ラケットを構え直す。目の前にばかり返していてもつまらないから、少しだけずらして返してみる。


「椿が雑なんだよ。ちゃんと足、動いてない」

「うっ……そうかも。姫乃はやっぱ、上手だよなぁ」


 そう言って笑う椿の顔が、好きだった。私がどれだけ強くても、ペアである限り、椿と一緒にいられる。一球ごとに息を合わせ、勝敗に一喜一憂する。それだけでよかった。勝ち負けなんか、二の次だった。


 ──だって、椿と並んでいられるから。


 だけど、それを言葉にしてしまえば、何かが壊れてしまう気がして。私のこの気持ちは、隠されたままの方が、ずっと美しいような気がして。今日も私は、何も言わずにラケットを振り続けた。

 もしダブルスでもっと上位を目指すなら、ペア替えは必須だろう。けれど私はそれでも椿と組んでいたい。シングルで成績を残すことも大事かもしれない。けれど、彼女とだから卓球を楽しいと思えるのだ。


「「お疲れ様でしたー」」


 部活を終え、更衣室で着替えた後の帰り道、寮まで並んで歩く椿の隣は、いつも賑やかだ。くだらない話をして、ふざけ合って、笑い合って──その時間が、たまらなく好きだった。いつも一緒にいるはずなのに、どうして椿の話はこうも私を楽しませてくれるのだろうか。

 気取らず、飾らず、自然体の椿。その隣にいる自分を、私は好きでいられた。

 椿のことが好きだ、なんて──。言わなければ、この時間はずっと続く気がしていた。


 けれど。


 この静かな日常が、壊れる日は──すぐそこまで、迫っていた。

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