第2部 第4章:気ままな旅と便利屋稼業、広がる世界
アバンシアでの数週間は、俺にとって異世界での最初の、そして重要なステップとなった。初めて異世界の空気を吸い、異世界の人々と関わり、自分のスキルが通用することを確かめた場所だ。便利屋としての活動は、誰かの役に立つという静かな喜びを俺に教えてくれたし、何よりも、ピコというかけがえのない相棒に出会えた。あの街の市場の活気、石畳の感触、そして少し怪しい両替商の老人の目つき…短い期間だったが、アバンシアでの記憶は俺の異世界生活の確かな始まりとして刻まれた。
マイルームに戻り、次の目的地について改めて考えを巡らせる。アバンシアも快適だったが、俺が求めたのは定住ではない。自由気ままな一人旅(と一匹旅)だ。広大で多様なこの異世界の全てを、その目で見て回ること。アバンシアで集めた情報によると、この大陸には様々な種族が独自の文化を築いて暮らしているらしい。人間の王国はもちろん、地下深くに巨大都市を築くドワーフ、古の森に隠れ住むエルフ、広大な草原を駆ける遊牧民など。それぞれが異なる歴史や技術、そして伝承を持っている。
特に興味を引かれたのは、峻厳なアイアンピークス山脈の懐に眠るという、ドワーフの巨大都市だ。彼らの石と鋼鉄の技術は異世界随一と聞く。システムエンジニアだった俺にとって、現代科学とは全く異なる異世界の技術体系、特に物質の加工や建築に関する技術は、純粋な知的好奇心の対象だった。古い歴史を持つ彼らの都には、異世界の技術や歴史に関する多くの情報が集まっているに違いない。アバンシアの図書館で垣間見た、古代文明や「星辰の使者」に関する奇妙な記述の続きが見つかるかもしれない。俺のスキル『現代知識の適用』が、彼らの技術を理解する上で役立つ可能性も感じていた。それに、硬質な鉱石や珍しい金属は、マイルームのカスタマイズや新たな道具作りにも使える可能性がある。よし、次の目的地はドワーフの地、アイアンピークス山脈に築かれたという都を目指そう。街の名前はまだ分からないが、後で情報を集めれば良い。
マイルームでの出発準備は簡単だ。収納空間に必要な物資が全て収まっている。着替えは数パターン、食料は現代から持ってきたフリーズドライ食品や栄養補助食品に加え、アバンシアや森で手に入れた保存可能な木の実や乾燥肉、それにマイルームの機能で生成できる水。簡単な調理器具や食器類、情報収集に使えそうな筆記用具や記録媒体。そして、何よりも重要な相棒、ピコだ。
空間収納からピコを出すと、ピコは俺の肩の上に飛び乗ってきた。「ぴこぴこ!」と、次は何をするんだとでも言いたげに首を傾げている。その愛らしい仕草に、自然と口元が緩む。アバンシアでの日々を通して、ピコは俺にとって単なるマスコットではなく、かけがえのないパートナーになっていた。静かに傍にいてくれるだけで、心が安らぐ。
「次の街に行くんだよ、ピコ。アバンシアからだと遠い場所だけど、マイルームがあればあっという間さ。新しい景色がたくさん見られるぞ。」
ピコは俺の言葉を理解しているのかいないのか、ただ嬉しそうに「ぴこ!」と鳴いた。その愛らしい声を聞くと、旅立ちのほんの少しの寂しさが和らぐ。ピコをパーカーのフードの中に入れてやる。移動中はマイルームの中なので外界の危険はないが、俺の傍が一番安心できる場所なのだろう。
マイルームの扉を外界へと開くイメージをする。今はアバンシアから少し離れた森の中だ。周囲に他の生物や人の気配がないことを確認する。マイルームは完全に外界から隔絶されているため、不用意に外界に扉を開けるのは危険なのだ。そして、目的地である山脈の方向を頭の中で強くイメージする。正確な位置は分からないが、大まかな方角と距離、そしてドワーフの都市が築かれているであろう山脈の威容を想像する。
「よし、行くぞ、ピコ。」
空間収納からピコを出し、肩に乗せる。そして、『拠点創造&移動』スキルを発動させる。マイルームがフワリと宙に浮き上がるような感覚。窓の外の景色が、流れるように高速で変化し始める。
窓の外は、まるで万華鏡のように景色が移り変わっていく。最初は緑豊かな森が広がり、葉を茂らせた木々の上空を通過していく。森の奥には、見たことのない形をした巨大なキノコのようなものや、光る植物が見えるような気がした。次にどこまでも続く広大な平原が現れる。風に揺れる黄金色の草の海、遠くには巨大な湖がきらめいているのが見える。平原には、時折小さな村や集落が点在しているのが見えるが、瞬く間に遠ざかっていく。その広大さは、現代日本の国土からは想像もつかないスケールだ。飛行機から見た地上の風景に似ているが、より自然豊かで、人工的な構造物は驚くほど少ない。まるで巨大な絨毯の上を滑空しているかのようだ。
マイルームの中は、外界の喧騒から完全に隔絶されている。温度も湿度も常に快適に保たれ、外界の風雨や気温の変化の影響は一切受けない。照明の明るさも自由に調整できる。壁は落ち着いた木目調、床は柔らかな絨毯、天井には温かい光を灯す魔法的な光源。この完全なプライベート空間は、まさに俺が求めたものだ。外界の景色は圧倒的だが、マイルーム内部は常に静かで穏やかな時間が流れている。
マイルームでの移動中の過ごし方は決まっている。まずは、アバンシアで購入した異世界の書物を読む。歴史書、地理書、あるいは物語。文字は理解できるものの、そこに描かれている世界観や文化にはまだ慣れない部分も多い。だが、『現代知識の適用』スキルを使いながら、現代の歴史学や文化人類学の視点から読み解こうと試みるのは面白い。異世界の知識は、俺の知的好奇心を満たしてくれる。次に、カフェタイムだ。アバンシアや森で手に入れた素材を使って、新しい飲み物を試してみる。異世界のお茶の葉、森で見つけた香ばしい木の実。現代知識を応用して、美味しく淹れるための方法を考える。淹れたての飲み物の香りが、マイルームを満たす。温かい飲み物を片手に、窓の外を流れる景色を眺めるのは、至福の時間だ。
ピコはマイルームの中を自由に飛び回ったり、書棚の上で居眠りをしたり、俺の膝の上で丸くなったりしている。窓の外の景色にも興味があるようで、じっと見つめていることもある。特に美しい風景や、珍しい生物(高速で移動する飛行系の魔物や、巨大な鳥のような生き物など)が窓の外を通過すると、ピコは興奮したように「ぴこぴこ!」と鳴いたり、体をキラキラと光らせたりする。マイルームに新たに置いた観葉植物の周りを飛び回っていることもある。その愛らしい反応を見ていると、一人ではないことを実感する。人間相手のような気を遣う必要はない。ピコは俺の感情に寄り添ってくれる、かけがえのない旅の相棒だ。空間収納の中でもピコは快適そうで、収納したアイテムの間を縫うようにして光っているのが見えることがある。きっと、そこで遊んだり、アイテムを整理してくれているのだろう。
平原を越えると、風景は徐々に荒々しさを増していく。なだらかな丘はごつごつとした岩山になり、緑は減り、痩せた土地に低い木々や灌木が点在するようになる。土の色も、茶色や灰色が多くなり、どこか無機質な雰囲気だ。そして、大きく蛇行する大河。川の色は、場所によって様々な色をしている。緑色や青色、時には鉱石の影響だろうか、赤みがかった色まである。異世界の自然は、驚きに満ちている。
さらに移動を続けると、遠くに巨大な黒い影が見えてきた。それは徐々に大きくなり、やがて天を衝くような巨大な山塊であることが分かった。荒々しく、ごつごつとした岩肌がむき出しになり、まるで巨人の城壁のようだ。現代日本のビル街や、飛行機から見た山脈と比較しても、そのスケールは遥かに大きい。山肌の色は、灰色や黒、そして鉄のような赤褐色が混じり合っている。山頂付近は常に分厚い雲に覆われ、その全貌は掴めない。近づくにつれて、その威容に圧倒される。人跡未踏の地の畏怖と、探検への期待が入り混じった感情が湧き上がる。空気も心なしか冷たくなり、風が岩肌に吹きつけ、不気味な音を立てているのが、マイルームの外界で鳴り響いているのが、静かな内部にいても感じられるようだ。これが、目指すアイアンピークス山脈だ。
山脈の麓近くで、マイルームの移動を停止する。あまり山奥に入りすぎると、危険な魔物などもいるかもしれない。安全そうな、開けた岩場にマイルームを配置する。周囲に大きな岩や、低い灌木が点在する、比較的平坦な場所を選んだ。ここにマイルームを溶け込ませれば、容易には見つからないだろう。緊急時には、すぐにマイルーム内に避難することもできる。
マイルームの扉を開ける。外界の冷たい空気が、温かく快適なマイルームの空気と混じり合い、独特の匂いが鼻腔をくすぐった。岩と土、そして遠くから運ばれてくる、金属のような、あるいは火のような匂い。荒々しい岩肌が間近に迫り、吹きつける風の音が耳朶を打つ。
空間収納からピコを出し、肩に乗せる。ピコは冷たい空気に少し身震いしたが、すぐに周囲の岩肌や、岩の間に生える苔などに興味を示したように、キョロキョロし始めた。好奇心旺盛なのは、どこへ行っても変わらないらしい。
「さあ、ピコ。ここからがドワーフの地だ。石と鋼鉄の都、どんな街が待っているんだろうな。」
マイルームの扉を閉め、岩肌に溶け込ませる。これで、いつでも安全な拠点に戻れる。荒々しい岩山を踏みしめ、遠くから聞こえる音を頼りに、ドワーフの都市を目指して歩き始めた。道はまだはっきりしないが、ドワーフの都市があるなら、何らかの道が整備されているはずだ。あたりには、金属を叩くような、規則的な音が響いている。あれが、都市から漏れてくる音だろうか。
しばらく岩場を歩き続けると、地面に人工的な跡が見られるようになった。石が敷き詰められた、かつて道だったらしき痕跡だ。道の脇には、採掘された石や鉱石が積み上げられている。鈍い光沢を放つ金属鉱石や、色とりどりの宝石のような原石が混じっている。ドワーフたちの活動の痕跡だ。
さらに進むと、道の両側に掘られた小さな坑道や、岩を加工した建築物の名残が見られるようになった。風雨に晒されているが、頑丈な造りだ。都市が近づいている証拠だろう。金属を叩く音も、次第に大きく、そして多様になってきた。ハンマーで金属を打つ音、炉の燃える音、そしてドワーフたちの低い声や歌声のようなものも聞こえてくる。
やがて、目の前に巨大な光景が広がった。山腹に、巨大なアーチ状の開口部がある。それは、自然にできた洞窟ではなく、明らかに人工的に掘られたものだ。それが、ドワーフの都市の入り口だった。門というよりは、山そのものに穿たれた巨大な洞窟の入り口のようだ。高さは数十メートルにも及び、見上げるほどだ。入り口の周囲は、見事な石の彫刻で飾られている。頑強なドワーフの戦士の像、伝説の生き物、そしてドワーフたちの歴史や伝説を描いた壮大な壁画。全てが石と金属で造られ、その精巧さと迫力に、思わず息を呑む。その規模と精巧さに、かつてシステムエンジニアとして巨大システムの構築に関わった経験を持つ俺でも、ただ圧倒されるばかりだった。
門の前には、多くの人々が行き交っていた。ほとんどが背の低いドワーフだが、屈強な戦士風の者、油と煤にまみれた職人らしい者、厳めしい顔つきの商人、そして家族連れまで、様々なドワーフがいる。人間の商人や、他の種族らしき姿もちらほら見受けられた。彼らの声は、岩壁に反響して賑やかなざわめきとなっている。そして、都市の内部からは、絶え間なく金属を叩く音、蒸気のような音、そしてドワーフたちの力強い歌声が響いてくるようだった。まるで、山全体が巨大な工房と生命の塊になったかのようだ。
ここが、鉄山脈の懐に眠るドワーフの巨大都市。石と鋼鉄の都、アイアンフォージ。アバンシアとは全く異なる、新たな世界が目の前に広がっている。俺の異世界旅、新たな冒険の始まりだ。ピコは俺の肩の上で、冒険が始まることへの期待を表すかのように、「ぴこ!」と元気よく鳴いた。
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