第10話 偽善、偽悪、擬態、偽証

「ま…待ってくださいよ…」

 そう声を上げたのは大高翼さんだ。

「なんでしょうか、大高さん」

 濡影さんはまたも冷静に答える。大高さんはつっかえつっかえに話し出した。

「ま…まず…まず、あなた方が犯人じゃないって証拠はあるんですか?さっきから仕切り出して、当たり前みたいに話を進めようとしてますけど、僕らから見たらあなただって怪しいですよ」

 濡影さんは目を細める。

「ああ……その事なら大丈夫ですよ。私と鴉羽、それに舞原さんにはアリバイがありますから」

 うん?なぜだろう。なぜその三人の組み合わせなんだろう。

「私たちは同じ建物で寝泊まりをしてるのですよ。ほら、この屋敷の敷地内の北側に小さな家があったでしょう?あそこが使用人の住むところなんです」

 そういえば昨日庭を散歩をしていた時にそんな建物を見た覚えがある。昨日はまるで気にしてなかったけど。

「で、でも…同じ建物に住んでるだけではアリバイにはなりませんよ」

「それがなるんですよ。まず、私と鴉羽はその家の一階の同じ部屋で寝てるんです。私も鴉羽も物音にはとても敏感なので、どちらかが夜中に抜け出したりしたら目が覚めて気付くはずなんです。そうよね?」

 彼女は隣にいた鴉羽さんに同意を求めた。鴉羽さんは震えながらもうなずく。

「そして舞原さんは二階で寝起きしていますが、外に出るためには一階に降りてこないといけませんから、舞原さんのアリバイも証言出来ます。そういう訳で、私と鴉羽はお互いのアリバイを証明できるし、舞原さんについてもアリバイは有るということです」

 むむ、そういう事になるのだろうか。僕は小声で隣にいるヤナギさんに聞いてみる。

「これってアリバイ成立なんですかね?三人揃って口裏合わせてるという事も…」

 ヤナギさんも小声で僕の耳元でささやく。

「口裏を合わせてるなら話は作り上げられるけど、そうは見えないかな。濡影さんは冷静沈着だけど鴉羽さんはあの通り震えっぱなしだし、嘘をついてるようには見えない。一応のアリバイは有るって事だね」

 ぱん、と濡影さんが手を叩いた。

「さて、そういう事ですから……。そうだ、ついでに皆さんのアリバイも聞いてみましょうか。では、祐禅寺さんからどうぞ」

 ぎく、とする祐禅寺さん。まさか自分に話が振られるとは思ってなかったのだろう。だがすぐに眼鏡をすちゃりと直して話し始める。

「私は…そうですね、昨日は晩ご飯を食べた後は自室に戻って、そこから朝までは部屋を出ていません。トイレもお風呂も部屋についてますからね」

「部屋では何をされてたんですか?」

 抜け目なくたずねる濡影さん。祐禅寺さんはまるで動じず、

「そうですね、部屋に帰ってから二時間ぐらいは本を読んでいました。後は知人と連絡を取ったりですかね。その後はシャワーを浴びて寝ましたよ」

 と応えた。

「ふうん……でも困りましたね。そうするとあなたのアリバイは特に無いことになりますけど」

「………」

 祐禅寺さんは困ったように一瞬口を閉ざした。だけどすぐに答える。

「ええ、そうですね。私には他人が証言してくれるアリバイは無いことになります。でも私は私が犯人じゃない事を知ってますから」

 堂々とした態度。僕は少し彼女の事を見直した気がした。

「……まあ分かりました。それでは祐禅寺さんについては保留と言うことで。次に森社さんは?」

 濡影さんに指名された森社さんは、少し身構えたような表情を見せたが、やはりすぐにすらすらと答える。

「そうっすね……。アリバイが無いっていうなら私も同じですよ。一人部屋だし。でも昨日はほぼ朝まで熟睡してましたし、とても人間一人ぶっ殺すなんて無理ですよ」

 ぶっきらぼうに言う森社さん。濡影さんはじっくりと彼女を見つめる。

「あら……またアリバイは無いことになりますね。良いでしょう。森社さんも保留ということで。次に大高さん」

 大高さんは青ざめながらも答える。

「昨日は……部屋に帰るとほぼ同時に寝ましたよ。だって結構酒飲んでましたから……途中で何回か起きて水呑んだ記憶はありますけど、後はずっと寝っぱなしでした。アリバイは……ありません」

 濡影さんはため息をついた。

「やれやれ、アリバイ無しが続きますね。……では、次は串野さんと蕨手さんのペア、いきましょうか」

 串野さんと吉野さんは一瞬顔を見合わせる。串野さんが答えた。

「僕らに関しては一応アリバイがあるはずですよ。二人で同じ部屋に泊まってますし、やっぱりどっちかが夜中に部屋に出ていったら気付いたと思います」

「……確か親密な仲の人同士ではアリバイの証言が出来ないんじゃないでしたっけ。お互いをかばう可能性があるから。そうですよね?柳本さん」

 急にヤナギさんに話を振ってくる濡影さん。推理小説作家ということで意見を求められたのだろう。

「ええ、一般的にはそうですね……。お二人を疑う訳じゃないですが、恋人同士の証言は警察なんかでも信用されない事はままありますね」

 濡影さんはうなずく。

「そうですか……それでは串野さんと蕨手さんのアリバイも無し、と言うことで。最後に柳本さんと布施さんのお二人」

 僕は迷わず答える。

「僕らにはアリバイがありますよ。一緒の部屋で寝てるし、同じ部屋の人が出ていく音なら寝てても気づく、というかそれで目が覚めますよ。ヤナギさんも同じです」

 濡影さんは品定めするように僕をながめる。

「……さっきのお話を聞いていらっしゃいましたか?恋人同士の証言は信用されないのですよ」

 そう来ると思っていた。だけど僕らにはそれは通じない。

「それなら問題ありませんね。だって僕とヤナギさんは恋人じゃないですから」


「……え?」

 やや困惑した様子の濡影さん。僕は畳みかける。

「あの、鴉羽さんに聞いてなかったんですか?僕とヤナギさんはただの友達ですよ。一緒の部屋で寝てるからって良い仲とは限らないんです」

「そ、そうなの…?鴉羽」

 鴉羽さんに確かめる濡影さん。鴉羽さんは精神的に疲弊している様子にも関わらずうなずいてくれる。

「ええ。お二人は一日目に真田様にそうおっしゃってました。自分たちはただの友達同士で、恋人関係ではないと」

 真田氏もうなずく。

「ああ、そんな事も言っていたな……。布施くんがきっぱり否定していたから覚えてるよ」

「そ、そうなんですね…。分かりました。それでは柳本さんと布施さんには一応アリバイがあると。分かりました…」

 軽く咳払いをして濡影さんはまとめる。

「では、お客様のうちでアリバイがあるのは柳本さんと布施さんのお二人のみで、他の方には無い事になりますね。では柳本さんと布施さん以外のお客様はいったんそれぞれのお部屋に戻っていただきます。私たちはこれからどうするかについて話し合いますので……」


 僕ら以外のゲストの方たちはみな部屋に戻っていった。こんな時には皆で揃っているのが一番安心じゃないかと思ったけど、人間の心理としてこういう場合は自分自身のことを隔離したくなるものらしい。談話室には僕、ヤナギさん、二人のメイド、舞原さん、真田氏が残された。

「では……そうですね、まずはさっきも言った通り、凶器と白池さんの両腕を探すことにしましょうか。それが見つかれば犯人の特定の大きな手がかりになるでしょう」

 そんな事を言う濡影さん。

「……あの、凶器って外から持ち込まれたものなんでしょうか?」

 一応質問してみる。屋敷内のものを使われた可能性もあるが。

「そうですね、持ち込まれた可能性は充分あるのですよ。布施さんもご存知の通り訪れたお客様の手荷物検査なんて行っていませんでしたから……。理論的にはどのお客さんが凶器を持ち込んでいたとしてもおかしくないですね」

 なるほど。まあお客さんの手荷物をいちいち検査してたら失礼に当たるから無理もないが。

「では、とりあえずそれぞれのお客様の部屋を私と鴉羽で探し、その後で敷地内全体を探すことにします。真田様はとりあえずここに舞原さん、布施さん、柳本さんと一緒に残られてください」


 二人のメイドは出ていった。濡影さんはともかく、鴉羽さんは最初に死体を発見して皆の中で一番動揺していたにも関わらず犯人の手がかりを探しにいくとは大した精神力だ。

「あの二人なら心配はいらないよ。どちらも武道経験者だからね。濡影は合気道と空手を、鴉羽は剣道と護身術を身に着けている。並の人間よりは戦闘能力があるはずだ」

 僕の考えている事を察したのか真田氏がそんな事を言う。おお、スーパーメイドだ。

「……凄いですけど、なんでメイドさんがそんなに武道極めてるんですか?」

 当然の疑問を口にする僕。真田氏は肩をすくめて言う。

「私がメイドを雇った時、口利き屋に頼んだのだよ。護衛にもなるような使用人が良いとね。身近に置く人間にまでそんな能力を求めたのはある意味私の臆病さの表れだ」

「………」

 なるほど、さすが資産家らしい考え方と言える。いつ誰が財産を狙いに来るか分からないという事だ。──ただ、今回の殺人事件は金目当てにしては余りにも異様だ。わざわざ両腕を切断して持ち去るなんて。猟奇殺人というやつだろうか。

 僕は手持ち無沙汰になって携帯を見てみた。いつでも通報出来るのに「特殊な事情」のせいでそれが出来ないとはもどかしい話だ。──と、ヤナギさんからのメッセージが届いてる。

『ね、さっきは上手くごまかしたよね?』

 隣にいるのにわざわざメッセージを送ってくるとは回りくどい。でも今は会話は聞かれない方が良い。僕は返信する。

『ええ──でも僕は正直に答えたつもりなんですけどね』

 さっき僕が濡影さんに話したアリバイ証明にさしたる嘘はない。──だが、一つだけ重要な誤魔化しがあった。


 僕は夜中眠っている時に隣のベッドの人が部屋を出ていったところで、おそらくそれに気付かない。ヤナギさんも同じだ。これではお互いのアリバイの証明にはならない事になる。


『でもありがとうね、私のことをかばってくれて』

『いいんですよ、別に』

 そう、アリバイなんて無くても僕はヤナギさんが犯人では無いことを知っていた。



『信頼してますから』

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