第37話 交錯する思惑
「あなたが…貞子さん…」
鳴海は、その名前に微かな驚きを覚えた。妹の奈緒が、苦しみの中で時折呟いていた名前だったからだ。まさか、こんな山の中で出会うとは。
「ええ」貞子は、静かに頷き、鳴海の痛めた足に視線を落とした。「酷く腫れていますね。動けますか?」
「いえ…少し、無理そうです」鳴海は、顔を歪めた。
「でしたら、ここで少し休んで手当てをしましょう」貞子の隣にいた女性が、心配そうに声をかけた。「私は葉月と言います。何か、応急処置になるものを持っています」
葉月は、手慣れた様子でリュックサックから救急セットを取り出し、鳴れの足首に包帯を巻き始めた。その間、貞子は、じっと鳴海を見つめていた。その視線は、どこか探るようで、それでいて、深い悲しみを湛えているようにも見えた。
「あなたは、妹さんのことで、この山に?」貞子が、静かに問いかけた。
「はい」鳴海は、包帯を巻いてもらいながら答えた。「この地に伝わる白い花が、あの…異質なものに対抗する力になるかもしれないと聞いて」
貞子の瞳が、微かに揺れた。「白い花…ですか」
「ええ。あなたは、その…異質なものを追っているんですね?」鳴海は、貞子の纏う独特の雰囲気に気づいていた。それは、どこかこの世のものではないような、静かで強い存在感だった。
「…ええ。あれは、私の一部のようなものなんです」貞子は、遠い目をした。「でも、暴走していて…誰かを傷つけてしまうかもしれない」
その言葉に、鳴海は、奈緒が苦しめられた時のことを思い出した。あの黒い靄のようなもの、そして、正体不明の力。貞子の一部だというそれが、妹をあんなにも苦しめたのか。複雑な感情が、鳴海の胸に押し寄せた。
「あなたは、その…一部を、どうするつもりですか?」鳴海は、警戒の色を滲ませながら、貞子に問いかけた。
貞子は、しばらく沈黙した後、静かに言った。「…還したいと思っています。元の場所に」
「元の場所に…?」鳴海は、その言葉の意味を測りかねた。
その時、葉月が手当てを終え、立ち上がった。「とりあえず、これで大丈夫だと思いますが、無理はしないでくださいね」
「ありがとうございます」鳴海は、礼を言った。
「鳴海さん」貞子は、再び真剣な眼差しで鳴海を見つめた。「あなたは、その白い花を、もう見つけましたか?」
鳴海は、リュックサックから丁寧に白い花を取り出し、貞子に見せた。「はい。これを…」
貞子は、その花をじっと見つめた。その瞳には、驚きと、ほんのわずかな希望の色が宿ったように見えた。
「その花は…もしかしたら、私の…一部を鎮めることができるかもしれません」貞子は、そう言うと、少し躊躇いながら、続けた。「もしよろしければ…その花を、少しの間、貸していただけませんか?」
鳴海は、一瞬ためらった。この花は、妹を救うための、唯一の手がかりかもしれない。しかし、目の前の女性の言葉には、切実な願いが込められているようにも感じた。
「…分かりました」鳴海は、ゆっくりと頷き、白い花を貞子に差し出した。「でも…もし、何かあったら、すぐに言ってください」
貞子は、感謝の念を込めて、白い花を受け取った。その小さな白い花が、それぞれの抱える問題を解決する糸口となるのだろうか。三人の間には、複雑な思惑が交錯していた。
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