転生ピアニスト、異世界でクラシック音楽活動家はじめます
泉花
第1話「ピアニスト、挫折」
大学を卒業して、無気力に天井を眺める日々。
三歳からはじめたピアノ。人生の大半はピアノとともに生きてきた。
”バイエル”、”ブルグミュラー”、”ソナチネ”、”ソナタ”の初級から上級までのステップを終え、真面目にトントンとコンクールに出場するようになる。
小学生の時は神童と呼ばれるほどに、指が流れるようにメロディーを奏でてくれた。
まるで空を飛ぶ鳥のように、羽根を得た私は身体を揺らしてメロディーに酔いしれていた。
全日本ピアノコンクール 小学生の部、低学年で優勝。
ジュニアピアノコンクール第三位。
東京国際ピアノコンクール 第八位。
それ以降、小学生部門では大体入賞圏内。
『第XX回 ピティナ・ピアノコンペティション 本選出場となるのは――』
――落ち目はいつ頃だったか。
優勝から遠のき、入賞、圏外……とだんだんピアノとの距離を感じるようになった。
中学生からはじめて一気にトップに躍り出る天才。
私の後ろを追っていた男の子がいつの間にか海外の有名音楽大学から声がかかるレベルに。
いつの間にかたくさんの人が私を通過点に進んでいった。
「乙葉はショパンが好きだよねぇ」
「ピアノといえばショパンよ。でもね、他もみーんな好き! ショパンなら別れの曲とかノクターン……。ベートーヴェンの月光は憧れるよ!」
この曲はどんな思いで綴られた?
この星の海を泳ぐメロディーに私の指は自由なのか?
わからない。
どれだけ手を大きく広げてもオクターブを弾くのが精いっぱい。
オクターブは”ドレミファソラシド”の隅と隅に指を広げて鍵盤を鳴らすピアノの技巧の一つ。
ショパンをはじめとし、モーツァルト、ベートーヴェン。
有名どころの曲でオクターブのない曲はほとんど存在しない。
さらに音符は五種、もっとも高速なのは16分音符。
1,2,3,4と鍵盤を鳴らすのが4分音符ともっとも基本のリズムで、16分音符はその四倍の速さで音を鳴らすことになる。
基礎中の基礎。
小学生のときは大した苦労を覚えなかった。
大人になった今はこまめに手をマッサージしなくては、音を刻むことさえ苦しい。
まわりのピアニストたちにとっては当たり前にこなせるメロディーを”1”とすれば、私は”1.5”の負担が手にかかる。
「乙葉。本当に音大に進むの?」
「うん。ピアニストは難しくても、ピアノで生きていきたい」
「……手は。弾きすぎるのは……」
「だーいじょうぶ! ちゃんとマッサージするし、バランスとってやってくよ」
母は音大に進学することに乗り気ではなかった。
父は単身赴任で海外におり、相談するほど仲が良くもない。
何かしらピアノで食っていける道を探したい。
自由に羽ばたけるあの感覚を取り戻したい。
私の手がピアノを演奏するには不向きだとしても、がんばれば道は開けるはず。
講師になるもよし。
音楽教師になるのも一つだろう。
ピアノだけは私から奪わないでと、泣き落としで私は音楽大学に入学した。
当然、日本中の天才たちが集まる場所だ。
人並みの努力ではとうてい追いつけないと、私は毎日必死に練習した。
講師の推薦を得て、コンクールに出場して可能性を開いてみたい。
人生、飽くほどにやりきってみたいと音を奏で続けて……私の手は故障した。
オクターブの連打が苦手だった。
もともと音が固かったが、テンポが落ちないようにすればするほど力が抜けなくなって……。
リハビリをしながら日々を過ごしていくうちに、音楽大学を卒業。
何者にもなれなかった私は卒業後、部屋に引きこもってピアノからも離れてしまった。
夜になっても電気をつけず、カーテンを閉め切った部屋でスマートフォンを手にショート動画を流し見する日々。
手は無理をしなければ弾ける程度には回復した。
だが心が動かない。
一度折れてしまった心はもう一度私にピアノと向き合う勇気を奪っていた。
「……あ。この人……」
ランダムに流れてくる動画に見覚えのある人が映った。
このやわらかいタッチと繊細さ。
指が、身体が、心が――。
メロディーと一体になって歌うような演奏をする人を覚えていた。
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