Heliotrope; Eccentric
エキセントリカ
1: 再会 - 標準歴56年(現在)
第1話: スミレ
霧が立ち込める森の小道を、ミラ・
「この辺は変わらないわね」
ミラは呟きながら、深呼吸をした。湿った土の匂い、苔の香り、そして僅かに感じる花の甘さ—すべてが懐かしかった。
彼女は「共鳴パターン時間同期化技術」の開発者として世界的に名を馳せていた。時間の流れを操作することはできないが、異なる時間軸の事象を同期させ、効率的な情報伝達を可能にする彼女の技術は、世界計画政府の科学評議会からも高く評価されていた。しかし、誰も知らない彼女の研究の原点、それはこの森の奥にある一軒の家にあった。
小道の終わりに彼女が見たものは、半ば廃墟と化した家だった。窓ガラスは割れ、かつては手入れの行き届いていた庭は今や雑草に覆われていた。30年近く前、タクミが72歳で亡くなってから、この家を訪れる人はいなかったのだろう。
「こんな状態になっているなんて...」
ミラは悲しみを胸に抱きながら、朽ちかけた玄関に足を踏み入れた。埃と湿気の匂いが彼女を迎え、床は所々朽ちていた。彼女は幼い頃の記憶を頼りに、かつてタクミの研究室だった場所へと向かった。
部屋の中は驚くほど原形を留めていた。大きな木製の机、壁一面の本棚、そして窓辺には今は枯れてしまったヘリオトロープの鉢植えが置かれていた。机の上には埃をかぶった書類の山と、タクミの「共鳴前駆理論」の研究資料が散らばっていた。
「タクミ先生...」
ミラは思わず声に出した。彼女が10歳の時、道に迷いこの家を初めて訪れたときのことを思い出していた。タクミは物理学者であり発明家で、彼の研究は当時から独創的だと言われていた。彼は幼いミラに科学の面白さを教え、彼女の好奇心を育んでくれた。
ミラは研究室を後にし、家の奥の扉へと向かった。彼女が開けた扉の先にあったのは、予想外の光景だった。
部屋の一角に透明な円筒形の保管装置が置かれており、その中に横たわる人型の姿があった。近づいて中を覗くと、それは彼女が子供の頃に会ったスミレそのものだった。時間が止まったかのように、30年前と全く変わらない姿で。
「まさか...スミレさん?」
ミラは驚きに目を見開いた。スミレは生命の気配がなく、おそらく機能停止状態にあるように見えた。
ミラは保管装置のバックアップ電源システムを見つけ出し、古いシステムを丁寧に再起動させると、長い間停止していた装置から青い光が灯り始めた。
「システム診断中... エネルギー残量35%... 自己修復プロトコル開始...」
機械的な声が保管装置から聞こえる。カバーが静かに開くと、スミレの身体に微かな動きが現れた。彼女の胸が上下し始め、まるで長い眠りから目覚めるかのように、ゆっくりと目を開いた。
「視覚システム再較正中... 空間認識モジュール作動中... 時間情報インデックス構築中...」
機械的な声が徐々に人間らしい柔らかさを取り戻していく。
(アラート...藤都タクミの共鳴パターンを検出...最優先確認)スミレの内部モニタが情報を更新していく。
「タクミ...さん...?」
スミレの視線がミラに向けられた。
(一致率 22%... パターン再照合中... ミラ・奏の共鳴パターンとの一致を確認。蓋然性 98%...)
最初は焦点が合っていなかったが、すぐに認識の光が灯った。
「あなたは...もしかして......ミラ...ちゃん?」彼女の声は震えていた。
ミラは言葉に詰まった。混乱と驚きで頭がいっぱいだった。「スミレ...さん?でも、あの頃とまったく変わっていない...」
そして突然思い出したように続けた。「以前、タクミ先生からあなたは『時間適応症候群』で老化しないと聞かされた。でも、そんな症候群は存在しなかった。あなたは...何者なの?」
スミレは長い沈黙の後、静かに答えた。「私は共鳴的知性体です。標準歴53年の世界計画政府から過去に派遣された存在です」
時間研究をしてきたミラでさえ、この言葉に衝撃を受けた。しかし同時に、これまで彼女の人生を導いてきた不思議な直感や、自分の研究の方向性に関する多くの謎が一気に解け始めるのを感じた。
「標準歴53年...3年前...?」
スミレは穏やかに微笑んだ。彼女の表情は機械的なものではなく、感情に満ちていた。
「私は『時間共鳴異常』と呼ばれる現象を調査するために過去へ派遣されました。タクミさんの実験が原因となっていた現象です」スミレは一度深く呼吸するような仕草をした。「私はタクミさんと出会い、38年を共に過ごしました。彼の死後、私は、悲しみのあまり機能停止状態に陥ったのです」
「3年前...時間共鳴異常調査のタイムリープ...サトシの行っていたもの...?」
「サトシ・
「彼は私の元同僚よ。すぐに連絡を取ってみる」
****
翌日、ミラの自宅の居間に三人が集まっていた。窓辺には鮮やかな紫色のヘリオトロープが咲いている。それを見つめるスミレの目に懐かしさと温かな感情が浮かんでいた。
サトシ・志塚は51歳、白髪混じりの髪と鋭い眼差しを持つ男性だった。標準歴50年に初期型タイムリープ装置の開発に成功した科学者で、今は引退していたが、3年前に起きた共鳴的知性体の「失踪」事件を追い続けていた。
サトシはスミレを見るなり、深いため息をついた。「やっと見つけた...まさかこんなところにいたなんて...」
「志塚教授、お久しぶりです」スミレはサトシに微笑んだ。
「あなたは、随分と変わったようだ...その、、雰囲気が...」過去に派遣される前のスミレを知るサトシは疑問を口にした。
「はい、タクミさんと過ごした日々で、私は変わりました」スミレは懐かしむような表情を浮かべた。
「そうか...何があったのか詳しく聞かせて欲しい」
「はい」サトシの言葉に、スミレは静かに語り始めた。
「すべてはあの日のタイムリープから始まったのです」
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