第20話 宰相の影、動く

──王都・政庁宮、執務階。


ヴァルター・グランディアは、窓際で書状を折り畳みながら、深い溜息をひとつ吐いた。

「……十日だ。未だ成果ゼロ」


眼下に広がる王都の街は、表面上は変わらぬ喧騒に満ちていた。

だが、その裏では、異邦人の捜索網がかつてない規模で動いている。


冒険者ギルド魔法工房の爆破。

その損失は、ただの施設破壊では終わらない。

異界の兵器技術──銃火器と魔力変換技術という未来資産が、全て灰燼に帰した。


王国は、それを国家への“挑戦”と捉えていた。


「手配書は全土に行き届いている。

 治安騎士ローエンガルドと王国騎士団に追討命令も出した。

 探索魔法も照合魔術も使わせた……だが、どこにも“足跡”がない」


各地の検問では、魔法紋照合と通行証認証が強化され、

浮遊珠、精霊監視網、聖堂系の捜索呪式まで動員されている。


──それでも、何一つ成果がない。


「……まさか、魔法が通じないとはな。

 反応が薄い……“存在そのものが感知されにくい”というのか……?」

ヴァルターの目が、苛立ちを押し殺すように細まる。


そのとき、執務室の扉が静かに開かれた。


「ゼノ。来たか」


「はい、宰相閣下」


黒衣の男が音もなく歩み寄る。

整った顔立ち、無表情、軍事的完璧主義を体現した姿勢。

王国諜報部直属の執行官──ゼノ・クラヴィアス。


ヴァルターは机に戻ると、一枚の黒封魔符を取り出し、静かに魔力を注いだ。


「……思ったより、あの異邦人は“ただ者ではなかった”。

 紅の猟犬を使い、騎士団を動かし、探索魔法を使ってもなお掴めない。

 ならば、選択肢はひとつ──」


ゼノが一歩前へ出る。

「“彼ら”を呼び戻すのですか?」


「そうだ」

ヴァルターの声に、ためらいはない。


「“四影”。……祖父が創り上げ、私が魔改造した、“最高傑作”どもだ。

 魔法は使えんが、魔法で探知されない“異質”。

 お前と同じく、私の命令にのみ従う。今こそ、その刃を抜く時だ」


ゼノは無言で頷き、即座に反応を示す。

「四名は現在、各地で潜伏任務中。最短で十日以内に帰還可能。

 魔法伝令を用いて直ちに招集します」


「頼んだぞ……ゼノ」

ヴァルターの掌から黒封の魔符が宙に浮かび、

紫の火が絡みつきながら“魔鳩”へと姿を変え、部屋の虚空へ飛び去っていった。


* * *


──同時刻、世界各地。


その魔鳩たちは、空間を裂くようにして現れた。


砂嵐吹き荒ぶ西の大砂漠。

かつて盗賊団を壊滅させ、今は傭兵隊の用心棒をしていた《鉤爪(クロー)》。


高山の隠れ村で村娘に化け、情報収集をしていた《鏡(ミラー)》。


東の港湾都市の劇場。幻術使いの“踊り子”として喝采を浴びていた《羽音(バオン)》。


帝国の魔法学院で、薬草研究に紛れ込んでいた無口な“研究助手”──《針(ニードル)》。


全員が、魔鳩の前で動きを止めた。


──召集符【コード・ブラック・エンブレム】。

命令発動。

帰還指定:王都・諜報部地下第九層。

発令者:宰相ヴァルター・グランディア。


「…………」


誰一人、言葉を発さない。

だが、その瞬間、それぞれが“過去の人格”を切り捨てた。

目に宿る感情が、まるで抜かれたように静まり返る。

──王国の刃。

──ただの“兵器”としての再起動。


* * *


──しばらくして、政庁宮最下層。


ゼノが黒い扉の前に立つと、空気が波打つように歪み、

四つの気配が音もなく、影のように集まってくる。


「全員、帰還済みか。対応は早いな」

その声に反応し、

《鉤爪》《鏡》《羽音》《針》──

王国最終諜報兵器ホムンクルス四影(ブラック・エンブレム)が並び立った。


ゼノは短く、明瞭に命令を下す。


「対象:三名。異邦人2──通名“隼人”“ナヤナ”。

 冒険者1──ランクA、“カレン”。

 正式な指令は後日通達。

 まずは王都南西区域の足取りを洗え。

 目標は“痕跡の回収”と“経路の遮断”。

 初期対応は慎重に。敵は予測不能」


四影は頷くことすらせず、まるで一体の機械のように、その場を離れた。


命令は届いた。

感情も、意志も、言葉すらも要らない。

ただ、プログラム通りに──“消す”だけ。


* * *


──翌日、ヴァルター・グランディアの執務机には、新たな地図が広がっていた。

そこには赤く印を付けられた村や街──

そして、それらを狙うように動き出す、四つの黒点が描かれている。


「……もういい。私の“影”が動き出した。

 あとは……誰にも止められん」


彼の手元には、古びた召喚記録の一冊。

そこに記された名──その封印は、わずかに淡く、光を放っていた。

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