『嫁になるって決めたのは、俺の方だった。』〜男嫌いのあなたに、性別を超えて恋をした〜

如月キャシリア

プロローグ ―恋がしたいんじゃない。恋ができる“私”になりたかった。―

電車の中で、ふと目を上げた。

目の前のドアに映った自分の顔が、少しだけ疲れて見えた。


仕事帰りの18時すぎ。

制服姿の女子高生と、スーツ姿の男性、手を繋いだカップル。

みんなスマホを見たり、イヤホンをしていたり。

誰も、他人のことなんて気にしていない。


それなのに、私は――自分の存在が、この中で浮いている気がした。


**


「……なんで、私だけ、こうなんだろう」


誰に向けたわけでもない呟きが、喉の奥で消えていく。


26歳。

都内の広告代理店に勤めて4年目。

仕事はできる方だと思う。後輩の指導もしてるし、クライアントとのやり取りにも慣れてきた。


でも、恋愛だけは、ずっと、ずっと置き去りだった。


**


男が、怖い。


顔がいいとか、優しいとか、そういう問題じゃない。

「男」という存在そのものに、拒否反応が出る。

手が触れるだけで、吐き気がする。

声をかけられるだけで、心臓がきゅっと縮む。

合コン?無理。

告白?無理。

気になる人?いない。


周りの友達が結婚していくのを、指をくわえて見ていた。

祝福はする。けれど、そのたびに、心のどこかで「私には一生無理だ」と思っていた。


そんな私に、ある日、大学時代の友人が言った。


「朱音、マッチングアプリ、やってみなよ。最初は顔も出さなくていいし」


その時は、笑って誤魔化した。

「そういうの、向いてないから」って。

けど、頭の隅には残っていた。


(……私、本当にこのままでいいのかな)


アプリをダウンロードしたのは、その日の夜。

でも、そこから開くまでに、一週間かかった。


怖かったから。

そして、何より、期待してしまう自分が怖かったから。


**


アプリを開いたのは、ある週末の深夜。

ベッドに寝転びながら、無意識に画面をスクロールしていた。


顔写真、年齢、趣味、自己紹介。


(……みんな、似たようなこと書いてるな)


「真剣にお付き合いできる方」「誠実に出会いを求めてます」

決まり文句ばかりで、うんざりして、アプリを閉じようとしたそのとき――


一つだけ、目に留まったプロフィールがあった。


**


【名前:Saku(さく)/21歳/大学生】

・趣味:映画、ゲーム、ラーメン

・自己紹介:

「見た目はあんまり良くないと思いますが、誠実に向き合いたいです。

人見知りしますが、文章を書くのは好きです。

本音を話せる相手ができたら嬉しいです」


(……写真は、確かに普通。いや、ちょっとオタクっぽい?)


でも、なぜか文章に引っかかった。

“見た目は良くない”――普通、わざわざ書かない。

それを正直に言ってしまうあたり、不器用そうで、嘘がない。


そして、「文章を書くのが好き」

なぜかその一文に、心がふっと揺れた。


**


私は、しばらくそのプロフィールを眺めていた。

そして、気づいたら、「いいね」を押していた。


1時間後。メッセージが届いた。


「マッチありがとうございます。びっくりしてます。

こういうの、慣れてなくて。でも、朱音さんがプロフィール見てくれたこと、すごく嬉しいです。」


少しぎこちない文面。

でも、読みやすくて、まっすぐで、優しい。


私は、スマホを握ったまま、10分ほど画面を見つめていた。


怖かった。

でも、それ以上に、――嬉しかった。


誰かが、私に「ありがとう」と言ってくれることが。

誰かが、私の名前を呼んでくれることが。


**


返信を送ったのは、その1時間後だった。

そして、そこから、少しずつ――メッセージのやりとりが始まった。


最初は、当たり障りのないことばかり。

趣味の話、映画の話、コンビニのスイーツ。


でも、彼の言葉には、どこか柔らかさがあった。

壁を壊そうとしない。押しつけてこない。

それが、私には、救いだった。


**


メッセージを続けるうちに、私は自分のことを少しずつ話すようになっていった。


「男性が苦手なこと」

「人と恋愛することに、怖さがあること」

「でも、変わりたいって、思ってること」


彼は、何も否定しなかった。

驚くでもなく、説教するでもなく、ただ――


「話してくれて、ありがとうございます。

そういうの、俺、全然気にしません。

むしろ、知れてよかったです」


その一言に、涙が出そうになった。


**


気づけば、彼のメッセージを読むことが、

夜の“習慣”になっていた。


**


そして、私は気づく。

私はきっと、まだ誰かを“好き”にはなっていない。

でも――


「恋がしたいんじゃない。

ただ、恋ができる“私”になりたかった。」


**


それが、この物語の始まりだった。

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