IF STORY「パラダイス・ロスト(中編)」
「・・・懐かしいな」
牢獄生活が始まってから、レイゴルトは決まってこの一言を漏らした。
というのも、いまレイゴルトが暮らしている牢獄とは既存の牢獄という概念が滅び去るほど恵まれているからだ。
レイゴルトが暮らしている牢獄とは、即ちギリシャの首都に構えた家そのままだからだ。
つくづく、いまのギリシャは既存の人間社会の常識で測ってはならないと思い知らされる。
不自由なく、かつ戦火に基本的に怯える必要が無く、無意識に人々があって当たり前な日常が味わえるなら、"みんなにとってはギリシャ"だとクリスティアが豪語するのもうなずけた。
「・・・しかし、やはり敷地外には出られないか」
だが、そんな懐かしさが霧散することが毎日あるのもまた事実だった。
レイゴルトが暮らす家の敷地内であれば自由が許されたが、敷地外の境目には明確な見えない壁があった。
外の景色はそのままで、しかし確かにそこに壁がある。
試しに破壊を試みたが、破壊するに足りえなかった。
破壊に少しの躊躇はあったが、そんな躊躇が要らない心配とばかりに弾かれた。
今のレイゴルトが出来ることと言えば、毎日の新聞による報せと、素振り等の自主鍛錬である。
今日も今日とて新聞を見る。
レイゴルトがギリシャに帰還してからというもの、新聞の大きな話題はその関連ばかりだった。
しかし新聞はあくまで事実を書くのみ。
特に今のギリシャでは、それが顕著だ。
余程の機密事項でもない限り、事実を書くぶんにはほぼ全てがオープンだが
かつての新聞にすらあった"情"すら全くない。
メディアの在り方としてはそれが正しいのかもしれないが、レイゴルトへの"評価"やその出来事に関する"感想"にあたる文面が無い。
良くも悪くも徹底的な中立を貫いている。
「・・・これではギリシャの民がどう感じているか、理解することは難しいな」
クリスティアとの会話や、実際のギリシャでの生活で一番得たかった情報がソレ。
生での情報を得たかったのだが、こうして牢獄と化してしまえば情報など得られるはすもない。
可能性を一つでも与えてはならない、という思惑が透けて見える。
だが透けて見えても全く問題ない程に、今のレイゴルトは詰んでいた。
今日もまた、時間を浪費することになる。
ゆっくり余生を過ごすなどと一瞬でも思わなかったレイゴルトにとっては、ただの暇でしかない。
ましてや、こんな牢獄では。
しかし、今日は違った。
「む・・・」
窓の外を見る。
そこに、誰かいる。
ボロボロの布を身にまとった、くすんでしまった水色の髪の小さな女の子。
前髪の間から光の薄い瞳が、こちらを覗き込む。
「・・・・・クリス、か?」
ほんの僅かな面影からそう感じたレイゴルトは、直ぐに家からの飛び出た。
敷地内にあたる庭に、その女の子がいたはず。
僅か10秒と少し、その女の子が見える位置までたどり着いたものの・・・
「・・・居ない、だと」
もうそこに、女の子はいなかった。
影すら残さず、足音一つ出さず。
最初から実在など、していなかったかのように。
「アレは、なんだ・・・
いや、その必要は無いはずだ。クリスからは全て見通せるなら・・・」
停滞した日々に起きた謎。
ひとつの手がかりとして思考を巡らせるが、当然ながら情報が無さすぎる。
やはり次の機会を待つしかない、と。
自分から動く手段がないことに歯がゆさを感じつつ、再び家に戻ろうとした。
「おいおい・・・。よく分からん女の子がコッチをじっと見てくるから追いかけて見りゃぁ・・・」
懐かしい声が、レイゴルトの耳に届く。
「懐かしい家に、懐かしい面と来た。なんの巡り合わせだ?」
声のした方に、レイゴルトは顔を向ける。
誰の声が、聞こえた瞬間に分かっていた。
それでも間違いないか、この目で見なければ。
「・・・よう、英雄サマの帰還ってか」
「ジャイロ・・・」
聞こえた声の主は、ジャイロで間違いなかった。
しかし、レイゴルトが覚えている彼とは程遠い。
「・・・笑えよ、レイゴルト。
この無様な
無気力で、やつれ果てて
かつての覇気が消え失せた
変わり果てた友の姿が、そこにあった。
「・・・笑うものか。お前もまた、譲れぬものの為に戦った一人だ」
再会に相応しい言葉は他にあるはずだろう。
実際、ジャイロのやつれた顔を見て驚愕して、言葉を返すのに数秒かかったことは事実。
しかしレイゴルトはそれよりも、ジャイロが自分自身を無様を嘲笑うことを許せなかった。
「俺は誰であろうと容赦なく斬り、誰であろうと邪悪に怒り、誰であろうと実力や考えが追いつかないのであれば指摘する。
しかし、確固たる意思のもと立ち向かう姿勢そのものは尊いモノだ。嘲るつもりなどない」
レイゴルトは変わらぬ真っ直ぐな瞳で、ジャイロの目を見る。
聞き捨てならぬ、そればかりはと。
「俺の友を侮るな、ジャイロ」
お前は立派だったのだ、と。
嘘偽りの無い言葉で射抜く。
「・・・相変わらずの仏頂面だ。そのクセ、目の輝きは何も失っちゃいない。
後悔しねえのか、この結果を
分かっちゃいるさ。お前の言葉に嘘はない。
けどよ、俺はお前を止めきれず嬢ちゃんを一度死なせた挙句、俺は生き残って嬢ちゃんは国の統治なんざやってやがる
わかるか?無駄死によりひでえ。
お前はどうなんだ?こんな扱いをされて、思うところはねえのか?」
レイゴルトの言葉を聞いて、眉間に皺を寄せて問う。
こんな
誰でもこんな状態を知れば、詰んでいると分かるだろう。
幾度も不可能を可能にしてきた光と共に戦い続けた
「
お前ともあろう傑物が、俺に対してそれは愚問だろう。
悔いならある。此度に限らず、今までも。
だが今はそれに囚われるときでは無い。
悔いも、その果ての涙も、それを糧に俺は進むのみ。
何故なら、まだ終わっていないからだ」
だというのに、この男は変わらない。
自身が最後まで納得するまで、ゼロの可能性を1にすることに迷いは無い。
「レイゴルト、お前・・・」
今はまだ、この治世に納得するもしないも足りない故に、足踏みするしかないだけ。
「なんの巡り合わせか、と言ったな。
お前は違ったのかもしれないが、俺は有難いと思っている。
俺のように牢獄に囚われていないのなら、お前の存在は貴重だ。
教えてくれ、ジャイロ。
今のギリシャは、民は、どのように感じ、どのような道を辿っているのかを」
これは好機だと、レイゴルトは強くそう思った。
信頼出来る傑物、ジャイロ。
「─────はぁ、お前ってヤツは」
いつも、ギリシャに住まう民も、戦う兵士も、そんな力強い言葉に突き動かされてきた。
今も変わらない。彼はやはり、英雄のままだった。
余りの馬鹿らしさに、ため息が出ると同時に。
変わらぬ輝きと、
「・・・俺は早くそれを聞きたかってのによ」
「すまんな。俺が口にした言葉は、いつも本気のつもりだ」
「わぁってるよ。だが、時間をくれ。
ここに来れることはわかった。
あとは、俺が纏めた資料をお前さんにくれてやる」
「・・・感謝する」
────その様子を、一人の少年が木の上から見下ろしていた。
「・・・見てるんでしょ、クリスティア」
小さな声で、その少年──ブランは自身の主に問う。
最も抑えるべき、レイゴルトがいる空間までたった一枚の壁を隔てる程度まで迫られている。
本来それはあってはならない。
レイゴルトのいる牢獄に至るまで、何枚もの障壁があったはずなのに。
誰かがレイゴルトに接触する可能性など、無かったはずなのに。
『見えてるよ、ブラン。
予定外の綻びを観測した。
原因も不明。ジャイロ=S=キロンギウスが立ち去った後、もう一度障壁を作る。
今度は、破らせない』
そして当然、クリスティアは見逃さないし許さない。
もう一度、レイゴルトの可能性を閉ざすべく、より牢獄を強化する事を決定する。
争いはない、争いという概念から遠ざかりたい。
それを崩す兄は、この治世における最大の危険因子。
牢獄を囲う障壁を、より強固に再構築────
「・・・・・?」
───出来なかった。
おかしい、自身が目指す治世に疑問を感じる余地はないはず。
自分だけじゃなく、レイゴルトという男には可能性を感じる、感じてしまうことを否定出来ないはず。
ならば、徹底的にそれを封じることに疑問はないはず。
だが、何故だろうか。
それはダメだと、何かが叫んでいる。
『いや、やっぱりいい。
ブランは、そのまま見張ってて欲しい』
「・・・いいの?」
『構わない。レイ兄がどう頑張っても、あの一枚すら越えられない。
どれだけ鍛えても、あたしが鍛えたぶん以上に壁を強化するから』
違う、最善じゃない。
違う、可能性を残しちゃいけない。
本来出来ることが出来ない事実から目を背けるな。
原因を追求し、障害を排除せよ。
そう頭では警告するのに、何故かクリスティアの判断はそうさせない。
一方的で曖昧な指示と、言い訳に近い宣言をして会話を終えたクリスティアに
「ふぅん・・・そっか」
驚くほどすんなりとブランは受け入れて
隣にいる水色の髪の小さな女の子を横目で見て、そして直ぐに消えたのを確認して、呟いた。
「・・・・・本当に、見えてないんだ」
何かに納得したように。
後日、ジャイロはなんの障害もなくレイゴルトの家の敷地一歩手前までたどり着いた。
敷地の前で資料を広げ、ジャイロ自身が記録した現在のギリシャを余すことなくレイゴルトに提供する。
「メンタル死にかけながら記録した資料だ。一文字も見落とすなよ」
「無論だ。無駄にはしない」
クリスティアが事実上の統治をするようになって以降、ギリシャに限り既存の人間社会の概念が大きく変わることになる。
それらの混乱はあったものの、少し経てば自身が暮らしてきたギリシャと変わらないと気付く。
それどころか、ここには戦火が及ぶことがないという絶対的な安全性が担保されている。
まさに
だがそれも、完全に管理された社会されたと理解され始めたことで風向きが変わる。
「ギリシャの民自身が発展する余地はねぇ。
最新、或いはギリシャにとって未知の技術を握ってるのは全部嬢ちゃんだ。
もちろん、それに伴う専門の知識も含めてな。
ギリシャの民があーだこーだと提案しても、それが叶うことはねえ。
その上位互換か、或いは出来ない理由を叩きつけられる。異論の余地なくな」
ギリシャの民の提案が通る余地はほとんどない。
知識は開示されるものの、急激に増え続ける知識に、ただの人間では追い切れない。
本来長い時間を掛けて協議を行うものを、全てクリスティアの一存で可能となるし、その方が誰にとっても楽という選択に迫られる。
「しかし、それだけで全てが止まるのは有り得んはずだ。知識、或いは政治に不満を持つものが暴力に訴えかけるという事象は起こり得るはず」
「そうだな、レイゴルト。
だがそれはな、起きなかったんだよ」
「起きなかった、だと?
鎮圧された、ではなくか?」
そうだ、とジャイロは苦虫を噛み潰したようような顔で頷く。
当然のように起こりうる事象が、そもそも起こらない。
肉体の有無や、建造物の概念などとは違い、本来干渉できないはずの感情からの行動。
それがそもそも発生しない、というのは今までの話と比べて明らかに異質だった。
「暴力という手段に訴えかけようとした瞬間、抑制されんだよ。その行動ごとな。
単純な例えだが、任務で敵を斬ろうとしたときに民間人で、しかも子どもがそいつの盾になったら、手が止まるだろ?
つまりはそういう、暴力をぶつけようという感覚が失われるんだよ。
目の前にゃ何も無いのにな」
気持ち悪いったらねえ、と
これまたジャイロの表情を見れば気分はよろしく無さそうである。
「・・・試したのか?」
「一度な。内容は聞くなよ?恥ずかしくて死にたくなる」
「死にたくても死ねないだろう」
「比喩表現だ、馬鹿野郎。
それより、お前はどうなんだ?
お前のことだ。この壁を、ぶち壊そうと一度は考えたんじゃねえか?」
露骨にレイゴルトに矛先を変えるかのようなジャイロに、軽いため息を一つ。
とはいえ、ひとつの検証であるとは言えるので思い出してみる。
確かにジャイロの言う通り、この敷地を隔てる見えぬ壁の破壊を試みたことはある。
そしてレイゴルトが持ち得る力で破壊を試みようと、まるで歯が立たなかった。
だが、いま問われているのはそこではない。
破壊を試みた際の、自身の
「────ああ、確かに。
少しばかりの躊躇はあった」
これを破壊してしまえば、
根拠のない不安と、そこから現れるはずの躊躇。
それが心のどこかから湧き上がるのではなく、埋め込まれたかのような
そんな奇妙な感覚があったことを、思い出した。
「やっぱりあんのかよ。流石だな・・・。
とはいえ、実践済みであれば話は早い。
話を戻すが、国民全体の
お前の場合は、まぁお前だしな・・・
それを振り切るのは言うまでもねえだろ」
事実上のクリスティア個人による独裁のみならず、精神の動きに対する干渉。
レイゴルトには殆ど影響がないのは、本人の常軌を逸した精神力が故に。
可能性のない檻というのは精神への干渉ではなく、加護を失った人間では突破不可能にする為の壁を指したのだろう。
「"どうせ提案を蹴られるならもういい"、
"情報も力も、何もかもかないっこない"。
上昇志向や反骨精神を持つ奴らは急激に無気力になっていく。
そしてこういう声が増えてきた。
"自分たちは確かに平和に生き、恵まれている。
しかし役割をどんどん減らされて、精神まで操られて、自分たちは何のために生きている?
自分たちは何故生かされている?"
・・・ってな」
クリスティアは兵士については自分だけでは足りないからと、役割を与えていた。
しかしそれ以外の非戦闘員は政治や行政などの場から弾き出した。
凡人が思い描く、平和な国をそのままギリシャの民に味合わせ
そんな平和である為の、おとぎ話には描かれない要素の大半をクリスティアという個人に一元化する。
かつてレイゴルトが目指した一つ。
ギリシャの真の統一を、より極端に実現したのがこの
「まぁ当然、
そんな奴らにとっちゃ、変化を目指す人間の挫折する姿はさぞ良い娯楽だろうよ」
そんな凡人の数が、これから先も増えてくる。
大半の人間を腐らせる、
この時点で、レイゴルトが抗議の為に奮起する条件を満たしているのだが───
「だが、これは本当にクリスティアが望んだ世界なのか?」
その対象が
「・・・勝敗という概念から可能な限り遠ざかる。しかもそれを万民が味わえる。
それを叶えた
「そうだ。何故なら此処に、自由はない。
これは身内として断言するが、クリスティアは目的のために自由を犠牲にする人間ではない。
むしろ、その逆───平和と自由、そのどちらも求めたはずだ」
そうではなくては、フリーの立場を維持し続けようとはしなかったはず。
勝者と敗者という歯車から逃れようとしたのは、自由の為でもあったはず。
一見クリスティアの理想のように見えるこの
「確かに、そうかもしれねえが・・・。
じゃあなんで、
嬢ちゃん自身の考えが浅かった、そんでこうなったのが始まりならわかる。
確かに
だったら、こんな世界にしたい訳じゃなかったなら修正しようとするはずだ。
その気配すらないのは、どう説明するんだ?」
レイゴルトの説を否定したいわけではない。
確かにジャイロはクリスティアと対話を交わした事があるが、レイゴルトの妹への理解には敵わない。
しかし腑に落ちない。
たった半年でギリシャという国でのあらゆる概念が塗り替えられるようにしておきながら、それが真意でないとして、それを改善しようとしないのが彼女の意思ではないとしたら何だというのか。
「ジャイロ、お前は一つ見落としている。
人間にはとても耐えられない、苦痛を」
虚をつかれたようにジャイロは目を見開く。
確かに忘れていた。
そしてそれを知る者は限られている。
「それでも加護は大半が俺に向けただけであり、全てではない。
加えて、加護を使うのは戦闘時のみだ。
クリスティアは加護の全てをその一身に受け、強力な魔法をギリシャ全土に渡り使い続けている。
その苦痛は、俺でさえ想像するに余りある」
「─────」
ジャイロは言葉にならなかった。
きっとそれでも、レイゴルトがその立場になっても耐えられるかもしれないが
それでもレイゴルトの口から"想像すれに余りある"とまで言わせた、想像しうる限りクリスティアの身に起きているはずの事象に何も言えない。
「やるべき事は決まっているが、より目標を明確にするには足りないモノがある。
俺のはあくまで仮説だが、同時に確信もしている。
その仮説が正解であった場合、クリスティアはどういう状態であるのかを知る必要がある」
行動を起こす為の心は定まった。
しかし、足りないモノがまだある。
それを得ることから始めなければならないが・・・
レイゴルトもジャイロも、それに対する回答は一つ。
アテがない、それに尽きる。
「「────!」」
行き詰まり。
そう感じた二人の横に、上から地に着地した一人の影。
「───なら、俺が知ってる限り教えるよ」
その少年は、確かにレイゴルトが葬ったはずのクリスティアの眷属。
「安心してよ。俺は手助けに来ただけだから」
人狼──ブラン。
自由を求めた、狼の異端だった。
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