弟の代わりに月になった男の、9年目の後悔

異様に静かだった。誰かが死んだ後の静けさじゃない。

誰もまだ、自分の命令を読み間違えていないだけ。

書類を捌く音だけが聞こえる。

時計の針が一つずつ落ちる。

――“完璧”がここ、コーラシュリンプ本拠点を、支配していた。


唯一、自由な発言が許される。それが自分。一条誠。


ボスになって9年目だけど、冗談などではなく居心地悪い


「イーゼルクラッシュの発明品「キャンディー」について調査命令。一向に成果が出ません。」


俺は黙って紅茶を啜る。

…あこれうま。


「それはここで話すことではないと思われてよ?早め早めに進めなさい。」


ぺらり、ぺらり。

カリカリカリ…ひたすら仕事を進める音が聞こえる。


いやあ、人が仕事してる隣で飲むダージリンは本当に素晴らしい味わいだ。


ドアが控えめにノックされた。


「入れ」


直属の部下がそう発する。


一歩踏み込んだだけで、そいつの呼吸が、脈拍が変わるのがわかる。名前は確か、ハニーギター…だったけな。

噂の独り歩きも勘弁して欲しい物。俺は親父とは違うのにね。


 「"キャンディー"を調査しろと言って、もう何ヶ月経っている!?現物だって苦労して手に入れているというのに。」


そこまで怒らなくてもいいのに。「キャンディー」は、イーゼルクラッシュの構成員の死骸から割と取れるし。


何より、まだ自分が設けた期間まで一年ある。


俺は今この部屋にいる、10人全員に命令を下す、


「おい、イジメはやめだ。成果を報告しなさい。」


「申し訳ございません。ボス。何がどういう成分でできていて、それがどう人体に影響するのか…多大な予算も頂いているのに申し訳ございません。」


「うん、じゃあ仕方ないか( ; ; )」


まあ、実際部下は優秀なのだ。

こんな恐ろしいというか、率直にいうとやっべえもん、開発して使いこなしているイーゼルクラッシュがおかしい。

自分も色々見せてもらったことがあるが、全く分からなかった。

知識ないのに天体観測させられてる気分になった。

…本当にイーゼルクラッシュは開発に何十兆注ぎ込んでいるのだか。


「気に病むな。他に報告は?」


「いいえ、ありません。御姿をこの眼に焼き付けました。この世の月にご敬礼を。」


「お疲れ様。」


一礼して彼は去っていった。本来なら俺はただの星だったのにな。ここは俺の席じゃなかった。

…………そういや聞かなくちゃいかないことがあるな。


「なあ皆。朝ごはん食べた?ここにいるほぼ全員、複数人から無断で飯抜きにしてるって報告が来ているんだが。」


「ありえません!戦闘食シャケミスト食べました!彼女の料理より美味いんで、逆に困ってます!」


「次はクビな。」


そういうものの、口角は上がってしまう。恋バナなんていつしても楽しいからな。聡太ともしてみたかった。

叶うことのない砂糖よりも甘ったるい思い出が、紅茶の味を変える。


ふと時計を見ると、55分。

座りっぱなしで腰が痛い。


「それでは失礼するよ。」


「はい、この世の月にご敬礼を。」


ガチャリ、ドアをあける。


目の前には自分を見るなり、頭を深々と下げる下々。


ふふ、本当に息の詰まる場所だ。人の兄を追い出してのうのうと…

心の底から愛おしいよ笑。

喉まで不快感が込み上げる。

どうせ胃液しか出てこないんだから。どうにかならないものかな。


さて、さっき注意したばっかだけど、自分もご飯食べてないんだよね。ま、プロテイン食ったからセーフで。

…戦闘訓練でも覗こうかな。


ということで、無駄に綺麗な廊下とエレベーターをつかい、地下に来た。


先ほどの消臭剤や、受付嬢の香水とは打って変わって、血汗の匂いが漂う。


踏み込んだ瞬間、全員が立ち止まった。自分が視線を向けただけで、心拍数が上がる。

恐怖か崇拝か知らないが、効率は落とさないで欲しいもんだよ。


「皆んな、ご苦労様!今手足を止めたやつ、次はないからな。」


不快だ。

自室に帰ろう。

先ほど来たばかりの訓練場を後にする。


背後には、人が崩れ落ちる音があった…かもしれない。

確認するにはエレベーターの扉が邪魔だった。


10階へいこう。


ウィーン


…絵画に見つめられるのは気分が悪い。せめてガラス張りにしろよセンスねえよなマジ。

しかもこれ大衆宛の粗悪品にしか見えねえんだよな。本当に、初代当主はセンスがない。


着いた。休もう。文句を言える奴なんざ居ない。


そう思った時だった。


「キャンディーの成分が一部分りました」


携帯の画面にそうあった。

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