期待の新星退魔巫女だけど、自分の身体に退治すべき最強の鬼の血が流れてるので、バレたら人生終了な件
たまやん
第1話 穢れなき刃、血に濡れる緋袴
朝の澄んだ空気が、退魔神社の修行場を満たしていた。
その中央で、一人の巫女が黙々と鍛錬に励んでいる。
水月 環(みづき たまき)、十七歳。
白の小袖に緋色の袴という清浄な装束に身を包み、その手には「白百合(しらゆり)」と呼ばれる清められた日本刀が握られている。
額には玉の汗が滲み、低い位置で結われた艶やかな黒髪が、激しい動きに合わせてさらりと揺れる。
幼い頃から退魔巫女としての厳しい修行に明け暮れ、その身には類まれな霊力と、磨き上げられた剣技が宿っている。
性格は清廉潔白そのもの。不正や理不尽を許さぬ強い正義感を持ち、一度決めたことは決して曲げない、内に秘めた強い意志と折れない心を持つ少女だ。
彼女の動きは、鋭く、一切の無駄がない。
まるで風のように軽やかに舞いながら、繰り出される斬撃は、見えざる敵を確実に捉え、寸分の狂いもなく急所を貫く。
その姿は、若くしてすでに退魔巫女の鑑(かがみ)と呼ぶにふさわしい完成度を見せていた。
しかし、環自身に驕りは微塵もない。
己の使命――魑魅魍魎の脅威から、か弱き人々を守ること――その重さを誰よりも深く理解し、そのために日々己を律し、鍛え続けているのだ。
「はぁっ!」
気合と共に、最後の一振りを空に放つ。静かに刀を鞘に納め、呼吸を整える環の背後から、静かな声がかかった。
「環よ」
振り返ると、退魔神社の長である老いた神主、朽葉(くちば)が、いつの間にかそこに立っていた。
その皺深い顔には、普段の穏やかさとは違う、深刻な表情が浮かんでいる。
「朽葉様、いかがなさいましたか?」
環は姿勢を正し、礼儀正しく問いかける。
「急ぎの依頼じゃ。これを見てくれ」
朽葉は懐から古びた書状を取り出し、環へと差し出した。
そこには、この神社から数日かかる距離にある、山深い里の名が記されている。
「山里で鬼が暴れている、との報せじゃ。半月ほど前から村人が次々と姿を消し、鬼の姿を見たという者も複数おる。村人たちは恐怖に怯え、我らに助けを求めておる。お主の力で、かの鬼を、必ずや討ち果たしてくれ」
鬼。その禍々しい響きに、環の表情が引き締まる。
人々を脅かす邪悪な存在に対する、純粋な怒りが、その澄んだ瞳の奥に灯る。
環は、書状を朽葉に返し、深く頷いた。
「承知いたしました。すぐに支度を整え、向かいます」
その返答に、迷いや躊躇は一切なかった。
苦しんでいる人々がいるのなら、一刻も早く駆けつけ、救う。
それが、退魔巫女としての彼女の信念であり、存在理由なのだ。
その瞳には、揺るぎない決意の光が宿っていた。
環の新たな戦いが、今、始まろうとしていた。
数日後、環が到着した山里は、まるで集落全体が病にかかっているかのように、重く、陰鬱な空気に包まれていた。
鬼の出現という恐怖が、人々の心を蝕み、活気を奪い去っているのだ。
環を出迎えたのは、心労でやつれ果てた顔の村長だった。
その目には深い絶望の色が浮かび、環の姿を見るなり、震える手で縋り付かんばかりに訴えかけてきた。
「おお…! 退魔巫女様…! よくぞ、よくぞお越しくだされた…! もう、我々は、どうしたらよいのか…!」
村長の嗄れた声が、古びた家屋に響く。
彼は、半月前から続く、村人の不可解な失踪について語った。
最初は山菜採りに出かけた老婆、次は畑仕事をしていた若者、そして五日前には、村長のたった一人の孫娘までもが…。
山中で巨大な鬼の姿を見たという目撃情報が複数寄せられ、村は恐怖と疑心暗鬼に包まれている。
人を喰らい、特に若い女を好んで狙うという鬼の凶行は、村人たちの心を完全に打ち砕いていた。
「わしの……たった一人の孫娘が……! まだ十六の、これからという時に……! 巫女様、どうか……! どうか、この村を……孫娘を、お救いください…!」
涙ながらに地に額を擦り付け、懇願する村長。
その老いた背中の悲痛さが、環の心を強く打った。
彼女は静かに村長の前に膝をつき、その震える肩にそっと手を置いた。
「顔を上げてください、村長殿」
その声は、若さに似合わぬ落ち着きと、そして揺るぎない信念に満ちていた。
「私にお任せください。必ずや、かの邪悪なる鬼を討ち果たし、皆様の安寧を取り戻します。そして……お嬢様のことも、全力で捜索いたします」
言葉に込められた真摯な想いが、絶望に沈む村長の心に、わずかな希望の光を灯したようだった。
環の瞳には、人々を救うという固い決意が燃えている。
それは、己の危険を顧みない、純粋で気高い自己犠牲の精神の表れだった。
山は、まるで深淵のように、暗く、不気味な気を放っていた。
一歩足を踏み入れると、肌を刺すような冷たい妖気が漂ってくる。
常人であれば、恐怖で足が竦むほどの邪気。
しかし、環は臆することなく、毅然として歩を進める。
懐から取り出した一枚の護符。
清らかな息吹を吹きかけると、それは白い小鳥の形となり、ふわりと宙へと舞い上がった。式神だ。
「行け。妖気の源を探せ」
小鳥は小さく一声鳴くと、鬱蒼とした木々の間を縫うように、森の奥へと飛び立っていく。
環はその白い影を追い、獣道とも呼べぬ険しい山道を進む。
ぬかるむ地面、肌を切り裂く枝葉、まとわりつく湿気。
だが、彼女の五感は、人々の苦しみを終わらせるという使命感によって研ぎ澄まされていた。
森のざわめき、土の匂い、そして…微かに鼻をつく、血と腐敗の臭い。
紛れもなく、鬼の気配だ。
式神が導いた先は、打ち捨てられて久しい古寺だった。
屋根は半ば崩れ落ち、柱は腐り、壁には苔と蔦が絡みついている。
かつては信仰を集めたであろう神聖な場所は、今や邪悪な存在の巣窟と成り果てていた。
本堂と思われる建物の奥から、ひときわ濃密で禍々しい妖気が漏れ出ている。
環は、抜き放った日本刀「白百合」を手に、静かに寺の敷地へと足を踏み入れた。
清浄な霊気を帯びた刀身が、周囲の闇を払うように、淡い銀色の光を放つ。
それは、彼女の穢れなき魂と、強大な霊力の象徴だ。
本堂の中は、闇と埃に満ちていた。打ち捨てられた仏像が、空虚な眼差しで侵入者を見つめている。
そして、その中央に、それはいた。
鬼。
身の丈は三メートルを超え、溶岩が固まったような赤黒い筋骨隆々の巨躯。
頭には捻じくれた二本の角が生え、鋭い牙を剥き出しにした口からは、涎とも呼べぬ粘液が滴り落ちている。
その手には、無残にも砕かれた人間のものと思われる骨が握られていた。
鬼は、深い眠りについており、荒々しい鼾が本堂の淀んだ空気を震わせている。
不意を打つ。それが最も効率的で、安全な手段だろう。
だが、環の心はそれを許さなかった。
退魔巫女としての矜持が、邪悪な存在であろうとも、真正面から相対し、己の正義を以てこれを討つことを求めていた。
人々を恐怖に陥れ、命を奪ったこの存在に対する、燃えるような怒りが、彼女に正々堂々たる戦いを挑ませたのだ。
「目を覚ませ、穢れたる者よ!」
凛とした声が、闇を切り裂くように響き渡る。
「退魔巫女、水月環! 人々の平和を脅かす貴様の悪行、この私が断ち切る!」
鬼の重い瞼がゆっくりと開き、血のように濁った赤い瞳が現れた。
その瞳が環の清らかな姿を捉えた瞬間、飢えと獰猛な欲望にぎらついた。
「巫女だと…? ほう、これは上玉じゃ…! ちょうど腹も減っておったわ…! その清らかな匂い…たまらんのう! 喰らうのが楽しみじゃわい!」
下品な笑い声と共に、鬼がその巨躯を揺すって立ち上がる。
床板が軋み、天井から埃が降り注いだ。凄まじい威圧感が環を襲う。
だが、彼女の心は揺るがない。白百合を正眼に構え、その澄んだ瞳で真っ直ぐに鬼を見据える。
「戯言はそこまでにせよ!」
先に動いたのは環だった。床を強く蹴り、風のように鬼の懐へ飛び込む。
その動きは、鍛え抜かれた肉体が生み出す、美しくも鋭い軌跡を描く。
白百合が閃光を放ち、鬼の脇腹を深々と切り裂いた!
グギャアアアッ!!
鬼の絶叫が本堂にこだまする。赤黒い血が勢いよく噴き出し、床を汚す。
だが、致命傷には至らない。鬼の肉体は、想像以上に強靭だった。
「小娘がああああっ!!」
怒号と共に、鬼の剛腕が嵐のように薙ぎ払われる。
環は俊敏な身のこなしでそれを躱す。掠めただけで、背後の太い柱が粉々に砕け散った。
恐るべき破壊力。一撃でも受ければ、その場で命を落とすだろう。
壮絶な死闘が始まった。環の剣は、清流のように澄み、稲妻のように鋭い。
鬼の巨体へ、次々と聖なる斬撃を叩き込んでいく。
しかし、鬼の生命力は凄まじく、決定的なダメージを与えられない。
鬼の攻撃は、大振りだが一撃一撃が致命的だ。
拳を振るい、蹴りを放ち、巨体そのものをぶつけてくる。
その度に、古寺は悲鳴を上げ、本堂は見るも無惨な瓦礫の山へと変貌していく。
環の清楚な巫女服は、すでに泥と返り血で汚れ、激しい動きによってあちこちが破れていた。
透けるように白い肌には、痛々しい切り傷や打撲痕が刻まれている。
呼吸は荒くなり、額からは玉のような汗が流れ落ちる。
だが、その瞳の輝きは、少しも失われていなかった。
痛みも、疲労も、死の恐怖すらも、彼女の清らかな魂を曇らせることはできない。
人々を守るという強い意志が、彼女を支え、限界を超えた力を引き出しているのだ。
「はぁ…っ、はぁ…っ…!」
一方、鬼もまた満身創痍だった。全身に無数の深い傷を負い、おびただしい量の血を流している。
だが、その凶暴性は増すばかり。傷つけられるほどに、その赤い瞳は憎悪の色を濃くしていく。
「ククク…! なかなかやるではないか、巫女よ…! その抵抗、その気高さ…! だが、それももう終わりじゃ…!」
鬼の言葉に、環は眉をひそめる。その瞳には、邪悪な存在に対する純粋な嫌悪と怒りが宿っていた。
「黙れ、外道!!」
怒りに燃える叫びと共に、環は最後の力を振り絞る。
白百合の刀身に、己の持つ全ての清浄な霊力を注ぎ込んだ。
刀身は、まるで太陽のように眩い、浄化の光を放ち始めた。
「人々の苦しみを、穢れなき魂を弄ぶ貴様を、私は決して許さない!!」
渾身の力を込め、浄化の光を纏った白百合を、鬼の心臓目掛けて真っ直ぐに突き出す!
「奥義!『天壌浄化(てんじょうじょうか)』!!」
純白の閃光が、闇を切り裂き、鬼の禍々しい巨体を貫いた。
グ…オ…ォ……ア…?
鬼は、信じがたいものを見る目で、己の胸を貫く眩い光の刃を見下ろした。
その凶悪な顔から、力が抜け、憎悪と欲望に染まった瞳が虚ろになっていく。
そして、ゆっくりと、その巨体が前のめりに崩れ落ちた。
床に叩きつけられた衝撃で、半壊した本堂が大きく揺れる。
「はぁ…っ、はぁ…っ…」
環は、刀を支えに、その場に深く膝をついた。
全身が激しい疲労感に包まれ、傷口からは絶え間なく血が流れ落ちている。
だが、その表情には、安堵と、邪悪を滅ぼしたという確かな達成感が浮かんでいた。
鬼の身体は、聖なる光によって浄化され、塵となって跡形もなく消え去っていく。
後に残されたのは、破壊し尽くされた本堂の瓦礫と、清浄な空気の中に微かに漂う妖気の残滓、そして…血と汗に濡れ、傷つきながらも、毅然として立つ一人の巫女の姿だけだった。
「……終わった……」
呟きは、安堵の息と共に漏れた。
しかし、その安堵も束の間、彼女の心に重い影が差す。
村長の娘…鬼の骨の中に、それらしきものは見当たらなかった。
だが、これほどの邪気に満ちた鬼に捕らわれて、無事である可能性は限りなく低いだろう。
救うことができたかもしれない命がある。
その事実に、環の胸は締め付けられるように痛んだ。
ゆっくりと立ち上がり、血で濡れた白百合を鞘へと納める。
村へ戻らなければならない。勝利の報告と共に、悲しい現実も伝えなければならない。
それが、生き残った者の務めだからだ。
帰り道、山を下りながら、環の心は重かった。
鬼を討ち、村の脅威は去った。しかし、失われた命の重みは、決して軽くはない。
その悲しみを胸に刻み、それでも前を向かなければならない。
人々を守るという使命を、これからも果たし続けていくために。
環は、この戦いを通して、改めて自らの非力さを痛感すると同時に、人々への慈愛と、邪悪を滅するという正義の心を、より一層強くした。
その穢れなき刃は、これからも人々を守るために振るわれ続けるだろう。
たとえ、その身が傷つき、血に濡れようとも。
緋色の袴に刻まれた誓いは、決して色褪せることはないのだから。
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