たった一つの、本当に大切なことが伝わればそれでよいのです

 小さな頃から一緒に育った幼馴染の女の子。それがアリアンナだった。

 俺と一緒で田舎の村からこの王城に連れてこられた。俺は勇者候補として。アリアンナは聖女として。


 勇者候補としての厳しい訓練や勉強に挫けそうになった俺を支えてくれたアリアンナ。俺と同じでアリアンナも訓練や勉強があったのに、それでも俺のことを心配してくれた。

 優しい言葉と柔らかい笑顔。俺を見つめるその澄んだ赤い瞳が印象的だった。


 お城の片隅で、二人で時間を共にした。季節に咲く色とりどりの花と、夜空に浮かぶ明るい星々。

 そこで俺たちは将来について語り合ったり、自分たちの想いについて伝えあったり、かけがえのない時間を過ごしてきた。


 俺はアリアンナのことが好きだった。それが嘘偽りない本心だった。

 やっぱり心の底では、アリアンナが俺以外の人と結婚するのが嫌だったんだ。


 聞き分けのいいふりをして、アリアンナのことを諦めようとした。そんなこと簡単にできるはずないのに、できるはずだって。俺ならできるんだって思い込もうとした。

 そしてカンダとの結婚を認めて、二人のことを祝福しようとした。


 魔王の言葉に乗せられることはなかったけど……それでも、魔王の言葉だってまるっきり嘘だったってわけじゃなかったんだ。


「アリアンナ」


 目の前のアリアンナに語り掛ける。声は……震えていなかったと思いたい。こんな時だけど――いや、こんな時だからこそ、アリアンナの前では格好よくいたかった。

 心臓はうるさく鳴り響いていたけど、心の中はどこか落ち着いていたように思う。気がするだけかもしれないけど、それが今は大事だ。


「なんでしょう?」


 赤い瞳を瞬かせるアリアンナ。その顔は少し赤みを帯びていて、俺が今から言うことを察していると言わんばかりの表情だった。

 ……いや、実際にわかっているのかもしれない。アリアンナは昔から俺の心の内見透かすのが上手かったから。


「……こういうことは、いろいろと言葉を重ねて伝えた方がいいのかもしれないけど。俺、そういうことが苦手なんだ」


 何を言おうかなんて言うことは、明確に決めていたわけじゃない。

 会話をしながら探り探り言葉を探そうとして……結局はそんなことがしたいわけじゃないと心の中でかぶりを振った。


 こう、やっぱり市井で流行っている物語とかは沢山の言葉を尽くして想いを伝えていたりする。俺もそういう物語を読むことだってあるし、なんなら勉強のためと思って用意してもらったりもしたことがある。

 でも歯の浮くようなセリフを重ねて相手を喜ばせようとするのは気恥ずかしい思いもあるし、言葉を重ねれば重ねるほど薄っぺらくなって俺の本当の気持ちを伝えられない気がして、どうしてもそういうことをしようという気持ちにはならなかった。


「――たくさんの言葉は必要ありません。たった一つの、本当に大切なことが伝わればそれでよいのです」

「……そうだな」


 微笑むアリアンナに俺はゆっくりと頷いた。とても優しい声だった。

 アリアンナの言うとおりだ。一番大切な想いが彼女に伝わればそれでいい。それを伝えるのに、たくさんの言葉は必要ない。


 アリアンナの穏やかな優しさが好きだった。

 アリアンナの柔らかな笑顔が好きだった。

 アリアンナのひたむきな真っ直ぐさが好きだった。

 アリアンナの、俺を見つめるその瞳が好きだった。


 王太子殿下のために生きようと思っていた俺の心の中で、知らず知らずのうちに大きくなっていったこの気持ちが、俺は好きだった。手放したくなかった。

 だから、俺は。


「聞いて欲しい、アリアンナ」


 アリアンナの手を取る。

 俺よりとても小さくて、柔らかいその両手を俺の硬い手で包み込んだ。


「はい」


 アリアンナが頷いてくれる。

 その宝石のように綺麗な赤い瞳で俺を見つめながら、静かに次の言葉を待ってくれていた。


 息を吸い込む。アリアンナの瞳を見つめる。緊張で口の中がカラカラだった。

 大丈夫だ。アリアンナなら、大丈夫。


 女神様が見守る静寂に包まれたこの教会の聖堂で、俺とアリアンナの二人きり。ここで口にしたことはもう取り消せないし、取り消すつもりもない。

 そうして俺は、その言葉を口にした。




「好きだ、アリアンナ。俺と結婚してほしい」




 短く紡いだ俺の言葉が耳に届いた瞬間、アリアンナの大きな瞳から涙が溢れだした。それからゆっくりと目を閉じて、だんだんと嬉しいような優しいような、俺が見た中で一番きれいな微笑みに変わっていって。


「――はい。一生離れません」


 気づけば俺は胸の中にアリアンナを抱きしめていて。

 アリアンナも、俺の背中に手を回して抱きしめ返してくれていた。


 そして俺は、腕の中にいる愛しの聖女様に湧き上がる思いを伝えたのだ。


「ありがとう、アリアンナ」

「愛しています。私の勇者様――」

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