第14話お前資料作成初めてか? 力抜けよ……
「しっかし、堀山先生も人使いが荒いねぇ。こんなの二人がかりでも一時間じゃ終わらねぇよ……」
放課後、俺と斗南雪姫は教室に二人だけで居残り、堀山先生に言いつけられた資料を作成していた。しかもPTA総会向けの資料である。
こんなもの、そうおいそれと生徒に閲覧させてよい内容だと思わないが、堀山茜という女性教師は元からそういう良識や常識とは割と無縁でいる人だ。
淡々と手を動かす斗南雪姫とは裏腹に、俺は一分に一回ぐらいは愚痴をこぼし、十分に一回ぐらいは今すぐ腹痛で離脱できねぇかななどと邪な想像を働かせ、二十分に一回は実際に長めのトイレ休憩に行きながらダラダラと資料作成を続けていた。
「ちっくしょー、こんなPTAの資料なんか学生に内容見せて作らせていい内容じゃないだろ。学内での不純異性交遊増加に対する懸念、とか書いてあるぞ」
「ちょっと雨宮君、口を動かすのはいいから手を動かして頂戴。それに愚痴も禁止。こっちのやる気まで削がれるじゃないの」
「だって口を突いて出るもんはしょうがねぇだろ。それに、今日は六時から大事な用事があるんだよ。なんでこんな日によりにもよって日直なんか……」
「あら、大事な用事? なにか予定があるの?」
斗南雪姫がちょっと意外だというように手を止めて俺を見た。
「ああ、今日は六時から人と待ち合わせしてるんだ」
「待ち合わせ? 誰と?」
「知らん。ネット上の掲示板でいつも顔を合わせる連中で、どこに住んでるのか、なんて名前なのかも知らない」
「なによそれ? そんな連中が集まってなにかWeb会議でもやるわけ?」
「そんなわけないだろ。今日の六時から俺の大好きな神アニメの再放送があるから、みんなで掲示板に集まって実況する、それに間に合わなくなるって心配してるんだよ」
その言葉に、呆れた、という表情を浮かべた斗南雪姫が、資料の束を机でトントンと叩いて揃えた。
「バイトかなにかやってるのかってちょっと感心してた一分前の私を絞め殺してやりたいわね……。あなた日直仕事とアニメ実況とどっちが大切なの?」
「そりゃアニメだろ。資料作成は明日でも出来るが再放送を見られるチャンスは一回きりだからな」
「ハァ、なんでこんな悲しいオタクに育つのかしらね。あなただってかつては色んな人の笑顔に囲まれて生まれてきたんでしょうに」
「物凄く心に来る毒吐くなよ……それに斗南、今聞き捨てならんことを言ったな? なんだって? 俺がオタクだと?」
「あら、あなたを視界に入れた時にオタクに見えない角度があるなら是非教えてほしいわね」
「そりゃお前の認識が古い。今どきアニメなんて皇族でも普通に観るもんだぞ。それに俺如きをアニメオタクやゲームオタクなんて呼ぶのは本物に失礼だ。本物はもっとガチだからな」
「あら、じゃああなたがオタクじゃないって言うならどんな身分なの?」
俺は珍しく冴えた表情で親指を立て、ぐっ、と自分の顔を示した。
「俺はオタクですらない。アニメやゲームで暇潰しをしているだけの単なる暇人だ」
丹田に力を込めての発言に、更に呆れた、というように斗南雪姫は横を向いて嘆息した。
「……前言を修正するわ。なんでこんな暇人に育つのかしらね。あなただってかつてはメダカが泳ぐ清らかな小川とか、花が咲き乱れて小鳥が囀る大自然に囲まれて育って来たんでしょうに」
――すげぇなこの人。この言い回しは本当に天才的に人の心を抉る。
俺が関心半分、ゲンナリ半分でいると、不意に斗南雪姫が小声で口を開いた。
「本当に、なんで私はこんな人のこと――」
えっ、と俺が今の斗南雪姫の発言に驚くと、同時に斗南雪姫も失言を悟ったようだった。
え、え、今の何? どういう意味? と俺が尋ねる前に、ごほん、とわざとらしい咳払いをして、斗南雪姫は再び黙々と手を動かし始めた。
その全身からは「今の言葉を聞き返したら殺す」というような凍てついたオーラが発散されており、結局、俺も居心地悪い気持ちのまま、資料作りを再開するしかなかった。
それから十分程度、無言で資料を作っていると、流石に沈黙も息苦しくなってきた。
横の斗南雪姫を見ると、俺が作った数の三倍ぐらいの量を仕上げている。
自分の人生には全く不必要な作業、不必要な仕事であるはずなのに、てきぱきと資料作りを終えている斗南雪姫の目は真剣そのもので、作業開始から一時間近く経つのに、邪念というものが一切感じられない。
ぽつり、という感じを心がけて、俺は口を開いた。
「斗南はさ、こういう単調な作業って苦痛じゃないのか?」
斗南雪姫が視線だけで俺を見た。
「基本的に苦痛ではないわね。むしろ何も考えずに手を動かしていればいいから好きな方だけど」
「そうかぁ、俺はダメなんだよな。根本的に人生に必要ない作業だと思うと、どうしても身が入らなくなる」
「あなたは基本的にどんなことでも真面目に取り組むことなんてないじゃないの」
「まぁそれはそうなんだが、より一層、な。むしろなんで俺がこんなことしなきゃいけないのかって思うとたまらなくなってくるんだよなぁ」
「ハァ、本当にちんたらしてる人生ね。私は基本的にどんなことでも全力で完璧じゃないと気が済まない
斗南雪姫は手を止めないまま、真剣な顔で続けた。
「どうせやるなら誰にも文句のつけようがない仕事をしたい、それが私の流儀なの。完璧でないのなら最初から仕事をしたことにはならないって思うもの」
まぁ、そうでしょうね。だからあんな裏垢運営してるんでしょうからね……などと俺は邪なことを考えつつも、半分は本当に感心した気持ちで答えた。
「相変わらず、凄い熱意だなぁ。どっから湧いてくるんだ? そのやる気は。そのやる気を維持するために食生活にはやっぱり気を使ってるのか?」
「私は別に普通の人間よ。むしろあなたが行き過ぎて怠惰なんじゃないの」
「あはは、違いないな。俺はサスティナブル主義だからな」
俺のヘラヘラ笑いの苦笑声が、ホチキスの針が分厚い紙を打ち抜く小気味よい音に重なった。
「俺はずっとこんな感じで生きていくんだろうさ。生まれ持った要領の良さだけ活かして、なんとなく大学行って、なんとなく就職して、めんどくさいことは極力避けて、最小の努力で最小の幸せを拾って生きていく。浮きも沈みもバズりもしない人生――俺みたいな男には似合いだよな。どうだ素敵だろ?」
思わず、後半になると自嘲の色が濃くなってしまった。
そう、何にもアツくなれず、何にも情熱を傾けることが出来ない、諦め切って冷めた性格――思えばこれほど人の人生をつまらなくさせる性格もないだろう。
なんでも最小限の力で、なんでも最短のルートで、努力することも試行錯誤することもなく、手軽に越えられるハードルだけを選んで越えてゆく生き方。
その時だけの努力、その時だけの苦労、その時だけの友情――そんなものを使い潰し続けて、どうしようもなく空虚な己をなんとか飾り立て続ける人生。
ぶっちゃけてしまえば、単なる作業でしかない人生。そんなつまらない人生を、俺は己に課した「掟」故に続けてゆくことに――おそらくなるのだろう。
ぱちり、ぱちりと、ホチキスの針が分厚い紙の束を打ち抜く小気味よい音が教室内を震わせる。
くくく、と俺が笑いながら机で資料をトントンと叩いていると――ふと、斗南雪姫が無言でいることに気がついて、俺は苦笑を引っ込めた。
「……そんなに卑下しなくてもいいじゃない、自分のこと」
「へっ?」
「それって、きっとあなたが思ってるよりも重要なことよ。身の丈に合った努力、身の丈に合った幸せ、足るを知るってことは凄く大切なこと。自分が出来ることと出来ないことがわかっているというのは……私はそんなに悪いことだとは思わない」
斗南雪姫がちょっとムッとした表情でそう言い、俺は息を呑んだ。
思わず手を止めてしまった俺に、斗南雪姫は真剣な表情と声で言った。
「少なくとも、あなたのその人生観に、私は過去、少しだけ、ほんの少しだけ、救ってもらったことがある――覚えているでしょう?」
◆
「面白かった」
「続きが気になる」
「もっと読ませろ」
そう思っていただけましたら
下の方の★から(評価)いいよ! 来いよ!!
胸に賭けて胸に!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます