時喰い(ときぐい)
TimeBender
第一部・プロローグ 『止まった時の向こう側』
朝のホームは、いつも通りに騒がしい──はずだった。
胸ポケットの懐中時計を親指で弾く。針は相変わらず一時のまま、動かない。
(まただ。過ごしたはずの時間に、ぽっかりと穴が空いている)
そのとき、構内アナウンスが一瞬だけ掠れた。広告看板の文字列が、一行だけ薄くなる。
ざわり、と空気の内側から撫でられたような違和感。息が詰まる。
──音が、逆流した。
人々の足音が巻き戻るみたいに重なり、耳ではない場所で“鳴き”が響く。
ホームの端に影が集まり、形になりきらない塊が、こちらへ顔をもたげた。
俺以外の誰も、気づいていない。目の前で、世界だけが別の速度で震えている。
「一般人退避! 結界、展開!」
鋭い声。蛍光のリボンが空中に走り、六角形の光格子がホームを包む。
長槍が閃き、穂先の石が脈打った。
|真壁 優衣。制服の袖口に貼られたエンブレムが光る。
「残響型。無音と残響の二段で来る──合わせないで」
頭上を二機のドローンが滑る。
水無瀬 志紀の声がイヤピース越しに響いた。彼女の指先でホログラムが弾け、震源の輪が床に重なる。
結界の内側で、時間がわずかに遅れる。ホームの雑踏が遠くなる。
俺は結界の外にいる──はずだった。なのに、いつの間にか光格子の内側に立っていた。
「おい、待て、そこ危——」
言葉の終わりが弾け飛ぶ。
“聞こえない咆哮”が胸にのしかかり、膝が折れた。見えない衝撃波が床を走って、靴底に伝わる。
影の塊が、俺にだけ狙いを定める。
(見えてるのは、俺だけか)
次の無音が来る。
反射的に、肩の高さに転がっていた金属の重みを掴んだ。落ちていた短剣。
柄に触れた瞬間、胸の懐中時計が強く震える。
半拍──ずらせ。
理解より先に、身体が動いた。
世界がわずかに段差になり、迫る衝撃を“遅らせて”踏み抜く。
遅れて通り過ぎる圧。髪が二度、揺れる。
「今の、避けた……?」志紀の声が揺れる。
優衣が半歩、俺の前に出る。穂先が残響の“節”を裂き、見えない音の壁に光の筋が走った。
影が軋む。
ホームの掲示板から、文字が一行だけ抜け落ち、白い“染み”が滲む。
志紀が短く息を飲む。「記録喰いの染みも混ざってる。注意!」
二段目の無音。
影がこちらへ跳んだ。
考えるより先に、俺は短剣を振る。刃が空を切る音に、別の“音”が重なった。
耳の奥で、何かが合う。
刃筋が、影の中の硬い一点を掠める。
弾けた。
残響が逆流して、黒い塊がほどける。散った欠片のひとつが、刃に吸い寄せられるみたいにまとわりついた。
熱が走る。
視界の端で、世界の輪郭が一瞬だけ澄む。
(これは──入ってくる)
“音”のずれが読める。さっきは偶然だった半拍が、今ははっきりと見える。
次の無音。
俺は段差の手前に指をかけるみたいに身体を滑らせ、優衣の突きを合図にして、残響の“節”へ短剣を通した。
甲高い破裂音。
一拍分、影が止まり、ほどける。
メインの塊は壁の向こうへ逃げ、結界の格子がきしむ音だけが残る。
「遮断まで。討伐には至らず」優衣が息を整える。「一般人の被害、なし。よく持ったわね、君」
足が震えている。
握った短剣の柄は熱いのに、掌は冷たい。
胸の懐中時計は、止まった一時のまま、わずかに温かい。
黒い影が、ホーム端にすっと立つ。
長身の男が、氷の鎖を片手に結界の縁へ歩み寄った。
夜月 司。黒曜の棺の蓋が、風のない駅で静かに鳴る。
「残響型は散っただけだ。記録の染みは後処理を回す」
夜月の目が、俺の手元で止まる。
「それは局の装備じゃない。……君、どうやって中に入った?」
答えられない。自分でも分からない。
ただ、さっき刃に触れた瞬間、何かがこちら側に傾いた。
残った欠片が、俺の中でまだ揺れている気がする。
志紀がそっと近づき、低く囁く。「見えて、いたんだよね。あれが。普通の人には見えないのに」
俺は頷いた。喉が乾いている。
優衣が短く息を吐き、表情を和らげる。
「……助かった。いまの一撃がなかったら、誰かが吹き飛ばされてた。名前、聞いていい?」
「時任──時任 朔也」
夜月が結界の鎖を収め、黒曜の棺に触れる。氷の音が遠ざかった。
「時任朔也。君は今から、こちらの保護下に入る。事情を聞かせてもらう。それと──」
わずかに目を細め、言葉を選ぶように続ける。
「君の中で、何かが“起きた”。それは、滅多に起きない種類のことだ」
結界が解け、世界の音が戻ってくる。
電車がホームに滑り込み、乗客のざわめきが、何事もなかった顔で重なる。
看板の欠けた一行だけが、風の中で空白のまま揺れていた。
俺は懐中時計を握りしめる。止まったままの一時から、かすかな熱が伝わる。
(誰かがいたはずの時間を、取り戻す。
そのために──戦う)
短剣の重みが、手の中で静かに落ち着いた。
さっき吸い込んだ“残響”が、まだ微かに震えている。
俺は一度、ゆっくりと息を吐いた。列車の到着音が、さっきより少しだけ遠く聞こえた。
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