第1話:初鳥居潜り
「いや〜、助かるよ。ワシももう歳でね、腰を曲げるのが辛くてなぁ」
「いえいえ〜、こちらこそお世話になります」
神凪は笑顔で、長い参道の石段を登りながら、隣を歩く年配の男性に丁寧に返す。
現在、神凪、頼、そして芽衣の三人は、加奈子の紹介で、とある神社の清掃を手伝いに来ていた。管理を任されているのは、80代に差し掛かろうかというこのおじさん。
神凪とおじさんの少し前を歩くその背中を見ながら、芽衣は静かに歩きつつ、あることに思考を巡らせていた。
(結局、あのとき聞けたのは、“親が殺された”ってことだけ……)
――ふと、以前の会話が脳裏に蘇る。
『実は私たち……親を殺されたんだ。変な殺人組織にね』
『え!?』
芽衣はあのとき、予想外の告白に目を丸くした。
『……はぁ……もう、好きにしろ』
そう言って頼はため息をつきながら、芽衣の横を通り過ぎてリビングへと戻っていった。
『頼さんと神凪さん、どっちもですか……?』
神凪は静かに頷くと、少しだけ視線を逸らし、そして再び真剣なまなざしで芽衣を見つめた。
『君の気持ちはわかった。その依頼、受けてもいい。でも、報酬はまだいらない』
神凪はゆっくりと芽衣の方へ振り向き、まっすぐに言葉を告げた。
『もう少し経って、私たちが君のことを“本当に信用できる”と思えたら……そのとき、全部話してあげる。だから、それまでは待ってて』
——
「ぃ……芽衣?」
名前を呼ばれて、芽衣ははっと我に返る。横を見ると頼が、少し心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「どうした?なんか真剣な顔してたけど」
「い、いえ……すみません。なんでもないです」
誤魔化すように答えた直後、長かった石段の先に、ようやく神社の本殿が姿を現した。
くたびれた建物が左右に二棟。黒い屋根に、全体は赤を基調とした装飾が施されている。年月の流れを感じさせながらも、どこか神聖な雰囲気が漂っていた。
「長かったな……さすが山頂に建ってるだけあるわ」
頼がぼやくと、おじさんは鳥居の前で軽く一礼し、そのまま境内へと足を進めた。
神凪たちは鳥居をくぐらず、脇道から回り込むようにして合流すると、そのまま神社の裏手へと案内される。
そこには金属製の小さな倉庫があり、おじさんが鍵を開けると、中から箒や塵取りなど掃除道具がずらりと並んでいた。
「はい、これが掃除道具だよ」
「ありがとうございます!」
神凪は元気よく受け取り、おじさんはそれぞれの道具の使い方や片付け場所を簡単に説明してくれる。
一通りの説明が終わったところで、神凪が箒を手に掲げて声を張る。
「よーし! それじゃあ、始めるぞー!」
その勢いにおじさんも思わず笑みを浮かべた。
「若い子は元気でいいねぇ。それじゃあ、頼んだよ」
そう言い残し、おじさんはゆっくりと石段を降りていった。
その背中を見送りながら、芽衣が小さく首を傾げて尋ねる。
「あの……私、この“何でも屋”って、怪奇現象とかが専門だと聞いていたのですが……なぜ掃除を?」
その問いに、頼は箒を動かしながら淡々と答えた。
「ここの神社は特別な場所なんだ。悪霊や幽霊を祓ったり、成仏させたりするような役割を担ってる」
そう言いつつ、頼は神社の玄関扉を開け、続けた。
「こういう、普通の神社じゃないところはな。貴重品とか、呪物なんかを保管してることも多いから、掃除も知識のあるやつに任せることが多いんだ。……にしてもホコリひでぇな。ここは後にしよ」
すると神凪が口を挟むように言う。
「ていうか、加奈子さんからの紹介って時点で、怪異系の依頼って確定でしょ?」
「は、はぁ〜……」
芽衣はあまり納得していないような表情で、微妙に眉をひそめる。
そんな中、神凪がふらりと鳥居の前へ歩み出た。
「この鳥居、立派だね〜」
「いいから早く掃除しろ」
頼が呆れたように言うと、芽衣がふと疑問を口にした。
「あの……どうしてさっき、この鳥居をくぐらずに横を通ったんですか? おじいさんは普通に通ってましたけど」
すると神凪は、得意げな様子で説明を始めた。
「説明しよう!鳥居ってね、神域と人間の住む世界の境界線に立つ“結界”なんだよ。だから、鳥居をくぐるってことは神聖な場所に入るって意味で……ちゃんと敬意を払って通らなきゃいけないの」
「へぇ……そうだったんですね。だからおじいさん、お辞儀して……」
納得した様子で芽衣が頷くと、神凪はポケットからスマホを取り出し、さらりと一言。
「……って、AIさんが言ってた」
「いや、AI情報かい」
頼が即座にツッコむと、芽衣は目を輝かせた。
「私、試しにくぐってみてもいいですか? たぶんですけど……鳥居、くぐったことないので」
「勝手にくぐっとけよ」
頼は軽く返しながらも、箒を動かす手を止めることはなかった。
すると神凪が、にやりと笑いながら頼の腕に身体を絡ませる。
「まぁまぁ、そう言わずにさ。可愛いメイドが“初鳥居くぐり”をするって言ってるんだよ〜? なら、私たちもその“初体験”に立ち会わなきゃ〜」
神凪は頼の腕をぐいっと引っ張り、芽衣の元へと引き寄せる。
「おい、なんだよその謎理論!てか、ちゃんと掃除しろって!」
「いいじゃ〜ん、鳥居くぐるくらい〜」
結局、頼は抵抗しきれず、神凪に引きずられるようにして鳥居の前に立たされてしまった。
そうして、三人は縦に並んで鳥居の前に整列する。
「……なんで俺がこんなくだらないことに付き合わされてんだ……」
頼が憂鬱そうにぼやくと、神凪がにこにこと言い返す。
「も〜、ネチネチうるさいな〜。おじさんが“夕方までに終わればいい”って言ってたから、時間はたっぷりあるんだよ〜」
「“夕方までに”ってことは、それだけ時間かかるって意味じゃねぇの……」
「ん? なんか言った?」
「いや……なんでも……」
そんなやり取りをしながら、三人は鳥居に向かって静かに一礼し、そのまま一歩、境内へと踏み出した。
その瞬間——芽衣の心臓がドクン、と高鳴る。
理由ははっきりしていた。鳥居の向こう側から、今までに感じたことのない“何か”の気配を感じ取っていたのだ。
——そして。
鳥居をくぐった刹那、強烈な風とともに、視界がまばゆい光で包まれた。
「うわっ!?」
神凪が思わず声を上げる。
「う〜……急に、なに……」
目の奥がチカチカと痛むのを手でこすりながら、神凪はゆっくりと目を開けた。
だが、そこに広がっていたのは、山の上から見えるはずの都会の風景——高層ビルや渋滞する車の姿など、どこにもなかった。
代わりに、見渡す限りの森。そして、はるか遠くに点在するような小さな人里。
それはまるで、時間が逆戻りしたかのような、自然に囲まれた別世界だった。
「えっ……え〜? ここ、どこ……?」
神凪が呆然とつぶやくと、遅れて芽衣と頼も目を開ける。
「……なんだったんだ、あの光」
「猫の目には厳しいです……」
そうぼやきながら焦点を合わせると、目の前に広がる景色に言葉を失い、口を開いたまま動けなくなた。
「……ん? おい、どこだよここ!? なんか景色が違うぞ!」
「み、見たことない場所になってます!」
混乱するふたりの言葉を遮るように、背後から「カラン」という木が落ちるような音が聞こえた。
三人が咄嗟に振り返る。と——そこには、巫女服をまとった中学生ほどの少女が、箒を手から取り落とし、ぽかんと口を開けたまま、こちらを見つめている姿があった。
「……だ、誰……?」
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