星の蕾
五十嵐ゆう
1
雲のない夜、緩やかな起伏を形作る砂礫の表面を月の光が満遍なく撫で尽くす。その砂丘の景色はうす黄色い色硝子を通して見たようで――丘の中腹あたり、きめ細やかな肌に並んだ黒い染みのように見えるのは幼い姉妹の影だ。砂丘にしゃがみ込みうつむく少女は年の頃十に満たぬ程で、傍らに立つふたつ歳の離れた姉は、じっと目を足元の少女に向けている。一葉の写真であるかのように微動だにせぬふたつの影であったが、時間はゆるやかに少女の中にも確かに流れ、潮の匂いを含んだ微風は黒髪をほんのかすかに揺らし輝かせる。少女は名をミリアといった。姉はサリナといった。
月光を吸い込み湛えた砂丘にしゃがみ込んでミリアがつまみ上げたそれは、一見何か鉱物のようでもあり、鈍く発光しているが、光っているのはそれ自身ではなく周りに纏ったガス状のものであった。光が陽炎のように絶えずたゆたっている。隕石と区別なく呼ばれるであろうその小さな石は、しかし星の蕾に違いなかった。星の光を集め運びながら自らも成長し星になる――途方もなく長くそして孤独な旅の途上にあって、いま星の蕾は心安らかな微睡みの時の過ごしていたのだろう。蜜色に馴染んだ空気と砂と、渾然一体に混ざり合うかのような月光浴――月が反射した光に含まれる蜜は、他のどんな星の光と比べてもとりわけ濃く、甘いようであったので。
「アイ――」
ミリアは星の蕾を呼んだ。確かに、その蕾の名はアイといったが、ミリアが呼ぶまで誰からもそう呼ばれたことはないのだ。アイは睡たげな目でミリアを見上げた。
「かして」
ミリアは小さな手のひらに乗せて優しく弄んでいたアイをそのまま差し出して、サリナがそっとつまみ上げ矯めつ眇めつしているのを一緒になって眺めた。しかし、ぼんやりと震えるように光るアイを見ているうちに、どうしてもまた自分の手のひらにアイを取り戻したいという欲求を全身に感じるのだ。
お姉ちゃん――洋服の裾をぎゅっと握り発したその声はか弱く、重なった波の音に攫われてしまいそうでもあったが――
「どうするの?」
サリナはミリアの手のひらにアイを乗せそう尋ねたが、あらかじめ分かっている答えを聞くための問いであった。海の向こうの何処ともしれぬ彼岸から流れ着くものたち同様、空から降ってくる星も、星の蕾も、この砂丘にあっては少女に見つけられる運命の宝物である。ミリアは答える代わりに肩に掛けたポシェットからピンク色のチョコレート箱を取り出した。そして煙草の箱によく似たその箱の口を開けると、アイをつまんだ指を中へ入れた。コンと乾いた音がして、覗き込むとチョコレートの無くなったがらんどうの箱の底を、アイの淡い光が照らしている。ミリアは一度蓋をぴたりと閉じかけた手を止め――ねえ、暗いのは怖い? わたしは真っ暗で寝るのは少し苦手だから。でもアイは宇宙から来たから平気なの? 宇宙は真っ暗なんでしょう?――
箱の底で瞬くアイの表情からは、少なくとも怖がる様子は見て取れなかったけれど、ミリアは蓋を開けたままにしておくことにしたようで――アイはお月さまが好きなのよね――そう言って、蜜の匂いを嗅ごうと鼻を近づけたのだったが、箱に染み付いたミルクチョコレートの甘い匂いでうやむやになってしまった。
夜がやってきていた。
「ミリア、もう帰らないと」
妹の腕を掴んで、サリナが目をやった遠くの丘の膨らみに見えるのもやはりまず影である。月明かりにうごめく暗い塊は前進する羊の群れだ。乱れることなくゆっくりとした速度で移動する影は、夜の意思そのものでもあろうか。姉妹の遊びの時間はすでに終わっていた。羊たちの食事の時刻になっていたのだった。丘の向こうから姿を現す羊の数が一匹また一匹と増すたびに、三日月の形をした瞳孔もおのずと増殖し、それだけ夜がしんと深くなってゆく。そして羊の群れが砂丘に積もった蜜を舐め尽くすころ、暁闇が訪れる。
寄せて返す波の音が聞こえていた。本当の夜が始まってしまっては家に帰って眠るほかない。遠く水平線に浮かぶのはイカ釣り船の漁火であったのかはたして――海と空、海と陸の境さえも闇に同化してはなはだ曖昧なのである。
砂丘を背にして防風林を抜け、舗装道路を渡れば月光は白々しく色味を変えた。ひっそりとした家々の間を歩いていると、どこか見えない所に身を潜めた虫たちが一斉に鳴き出したように思えるが、ずっと前から聴こえていたような気もする。葉のよく繁った木の梢では蜥蜴が夜風に吹かれて眠り、月は一晩中隠れもせず、ぽっかりと丸い姿で空にあった。
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