新生 (3)
職員室の中では、符紋科の担任――セナ先生が机の前で資料を整理していた。
濃紺に染めたショートヘア、無駄のないスーツ姿。
その瞳には、元ハンターズギルド所属だったという噂を裏付ける鋭さが宿っていた。
「ノックスくん」
顔を上げたセナの声は、低く威厳を帯びていた。
「校長先生が呼んでいる。ついてきて」
「校長……?」
ノックスは一瞬眉を動かしたが、すぐに表情を整え、小さく頷いた。
「……わかりました」
廊下を歩く間、セナは背筋を伸ばしたまま学院の規則を口にする。語調は冷静だが、一切の議論を拒む硬さがあった。ノックスは黙って後ろについていく。符紋室の光景が、ふと脳裏をよぎった。
(……アイデン校長が俺に何の用だ。まさか、符紋室の件か?)
校長室は校舎の最上階にあった。
扉の横には「アイデン」と書かれた木製の名札が掛けられている。
セナは何も言わずにドアを開け、ノックスを中へと通すと、そのまま静かに立ち去った。
扉が閉まると、室内の空気がわずかに柔らいだ。
デスクの奥では、痩せた背の高い男が静かに顔を上げた。
くすんだ金髪を後ろでひとまとめに束ね、厚いメガネの奥から穏やかな光をたたえた瞳がこちらを見つめる。
年齢は四十代前半といったところだろうか。
アイデン校長は、手にしていた書類をそっと置き、どこか懐かしさを含んだ笑みを浮かべて口を開く。
「やあ、ヨルちゃん。学校には慣れたかい?」
「……その呼び方はやめてください」
ノックスは眉をひそめ、どこか呆れたように言った。
デスクの前に立ち、ぽつりとつぶやく。
「まぁ……慣れたというより、面倒が多いって感じですね」
「ははっ、やっぱりな」
アイデンは朗らかに笑い、椅子にもたれかかった。
「君の父さんにそっくりだ。“面倒ごとが一番の天敵”って感じ」
ノックスは何も言わず、部屋の中を見回す。
簡素な内装だが、背後の書棚には符紋の紋様が刻まれた背表紙の本が並ぶ。
その一部は、幼い頃に家で見たものだった。
かつて、アイデンが家に来ては父と符紋や魔術について語り合っていた記憶が蘇る。
椅子を引いて腰掛けようとしたその時、アイデンの声が一変した。
「……さて、ノックス。今日は茶番を抜きにして聞く」
彼はデスクに両手をつき、声を低くして問いかける。
「昨夜の符紋室の件――君が関わっているんじゃないか?」
ノックスはわずかに動揺したが、表情には出さず、静かに答える。
「……関係ありません」
アイデンは鼻で笑い、目を鋭く細めた。
「現場の符紋の焼け跡、魔力の痕跡――私を誰だと思っている?」
ノックスは口を閉ざしたまま、膝の上で拳を固める。
否定も肯定もしない、その無言が何よりの証拠だった。
アイデンは黙ったまま窓辺へと歩き、眉間を指で押さえた。
「……ノックス。なぜ君を呼んだか、わかるか?」
「……符紋室のこと、ですよね?」
「それだけじゃない」
アイデンは振り返り、厳しい目でノックスを見据えた。
「君の父さんとの“約束”だ。私は彼に誓った。――君を危険なことに巻き込ませないってな」
ノックスは歯を食いしばり、目を伏せる。
「俺は……危険なことなんてしてない」
「言い訳は無用だ」
アイデンはデスクを叩く仕草で遮り、その音が室内に響く。
「君の父さんがこの件を知ったら、どう思うと思う?」
ノックスの肩がわずかに震える。
父のあの沈黙――何も言わず、ただ“失望”を込めた目で見るあの感覚。
怒られるよりも、はるかに重く、痛い。
「……どうすればいいんですか」
ノックスは低く問う。
アイデンは息を吐き、語気を少し和らげる。
「簡単なことだ。――もう二度と、符紋室に近づくな。魔界に関わる可能性のある事象には、絶対に踏み込むな」
そして、声をさらに落としながら続けた。
「次、君の名が記録に載れば……私は即座に、あの人に報告する」
その言葉は、冷たい刃のようにノックスの胸に突き刺さった。
拳を握りしめたまま、ノックスは静かに頷いた。
「……わかりました」
アイデンは椅子に戻って座り、ようやく少し表情を緩めた。
「約束だよ、ノックス。私は、君を守る責任がある」
ノックスが席を立とうとした、そのとき。
昨夜の光景が脳裏に蘇った。――あの触手と、黒い渦。
立ち止まった彼は、口を開く。
「……昨日、あの触手。あれ、なんなんですか」
アイデンの表情が引き締まった。
「……知りたいか?」
「教えてくれれば、少なくとも……勝手に想像したり、無闇に近づくことはありません」
アイデンはしばらく黙り込んだ後、指で机を軽く叩きながら、慎重に口を開いた。
「――“
その声には、重みがあった。
「魔界から漏れ出した断片。古代魔族の残留意識、あるいは混沌そのものの結晶。昨夜の触手は、その顕現の一部だろう」
ノックスは眉をひそめ、真剣なまなざしで尋ねる。
「……それ、危険ですよね?」
「封印が完全なら問題ない。ただし――」
アイデンは言葉を区切り、低く続けた。
「昨夜のように、誰かがそれに干渉したなら、話は別だ」
「生徒がやった可能性……ありますか?」
「まだ断定できない」
アイデンの目は、鋭くノックスを捉えていた。
「だが、もし君が無関係でいたいなら、もう関わるな。――次は、封印の“底”が見えるぞ」
ノックスは唇を引き結び、ぼそりと呟いた。
「……俺、そこまでバカじゃないんで」
「そうだといいな」
アイデンは苦笑したが、その眼差しは真剣そのものだった。
「ノックス。知識は武器になるが、同時に“呪い”にもなる。覚えておけ」
ノックスは返事をせず、静かに立ち上がり、ドアへ向かう。
「……もう関わるなよ」
背後から響いたアイデンの声に、ノックスは振り返らなかった。
ただ、心の中で呟いた。
(“
扉が閉まり、アイデンは無言で報告書に目を落とす。
そして、誰にも聞こえない声で、ぽつりと呟いた。
「……あと、どれだけ封じていられる……?」
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