第6話 女神

(……ん?)

 気がつくとエレノアは真っ白な空間に膝をついて座っていた。その見慣れた景色に彼女は理解する。

(寝てしまったのか……)

 ここは夢の中だ。身体は今も馬車に揺られていることだろう。

 そして寝ている間に精神だけこの真っ白な空間に連れられてきたということはーー、

「お久しぶりね、エレノア」

「……女神様」

 気がつくとエレノアの前には一人の人物が立っていた。

 波のようにウェーブのかかった純白の長い髪は肩へと流れ、その肌も雪のように白かった。そしてその瞳は不思議な虹彩で虹色にきらめいている。

 彼女はまぎれもなく女神アリア。リジェル王国で信仰される女神そのものであった。

「ああ、かわいそうに……」

 彼女はその美しい眉ねを寄せると哀れむようにエレノアのことを見下ろした。

「わたくしの選んだ聖女であるあなたを追放するだなんて……。どうしてあの場でわたくしに祈りを捧げなかったの? 祈りを捧げて魔力を捧げてくれさえすれば、わたくしはわずかな時間とはいえあの場に顕現して彼らに態度をあらためるよう伝えることができたと言うのに……」

 アリアはさめざめと涙を流した。そしてすぐに顔を上げるとぎりり、と唇をかみしめる。

「わたくしの聖女に恥をかかせるなど、それはわたくしに恥を書かせているのと一緒ではないの!」

 その瞳は鋭くとがり、髪は逆立つように浮き上がった。その姿はまるで鬼のようだ。その怒りを鎮めるために、エレノアはゆっくりと頭を下げた。

「申し訳ありません、女神様。わたしが至らないばかりにご不快な思いをさせました」

「ああ、ああ、愛しのエレノア。いいのよ。あなたが謝ることではないわ」

 アリアはすぐに表情を和らげるとエレノアに笑いかける。

「大丈夫。あなたは何も心配しなくていいのよ。すぐにわたくしが彼らに天罰を与えてあげます。そうすれば彼らもすぐに目を覚ますでしょう」

「いいえ、女神様」

 しかしその提案にエレノアは首を横に振った。その言葉を聞いたアリアはしばしきょとんと目を見張り、ついで不機嫌そうに目を細める。

「あなた、わたくしの心遣いを断るというの?」

「申し訳ありません。けれど女神様、その必要はないのです」

 にこにことエレノアは応じる。その笑顔にアリアは毒気を抜かれたように彼女のことを見下ろした。

「あなたには何か考えがあるのね?」

「ええ、女神様。何もあなた様やわたしが直接手を下す必要などないのです。女神様がわたしに与えてくださった聖女の力は本物です。その恩恵が受けられなくなれば彼らは自然と後悔することになるでしょう」

 我ながら心にもないことを、と思いながらもエレノアは笑顔で言い切った。

 実際、女神から与えられたエレノアの治癒の力はたいしたものだ。どんな傷も病もたちどころに治してしまう。しかし治癒術が使えるのはエレノアだけではないし、エレノアがある程度不在でも教会に治療を求める人々が困らないようにと、ある程度の治療体制はすでに整えてあった。

 多少は不便かもしれないが、そのシステムが機能していればそこまで困ることはないはずだ。

(でもこう言っておかないと何するかわからないしなぁ……)

 あれはエレノアが五歳くらいの時のことだ。確かエレノアが家の庭にある花を一輪ほしがったのだ。しかしその花は摘むとすぐに枯れてしまう上にその摘んだ傷口から庭に植わっている方の花も病気になりやすいらしく、庭師にそれを拒まれた。エレノアはその理屈に納得して引き下がったが、その翌日、その庭師の家は火事で燃えた。幸いにも家の中には誰もおらず死傷者はでなかったが、庭師一家が泣き崩れていたのはいまでも覚えている。

 女神が天罰を下したのだとは、その夜の夢で女神本人が教えてくれたことだ。

 それ以来エレノアは何かをほしがることはやめた。少なくとも心は読めないらしい女神は口や態度に出すとうるさいので、表面上は何も求めないよう努めてきた。

(思えばその頃からだったな……)

 元々大人びすぎているエレノアのことを微妙な距離感で接していた家族や使用人達が、明確に避けるようになったのは。

 さもありなん。そんな歩く時限爆弾のような存在に触りたい人間などいないだろう。

 とはいえある程度女神のなだめ方を習得してからはそのようなことは起きていない。実に平和なものである。

 アリアは天罰の対象を『彼ら』と言った。それが一体どの範囲までを示しているのかはエレノアにはわからない。

 もしかしたらジャック王子とアイリーンだけのことかもしれないし、もしくは今こうしてエレノアのことを森に捨てに行く手伝いをしている御者も含まれているのかもしれない。

 いずれにしても、エレノアとしてはそのような真似はやめてもらいたい。

 はたしてアリアはエレノアのその言葉にしぶしぶ納得してくれたのか、

「そうね、わかったわ、エレノア。けれど何かあったら必ず言うのですよ。あなたが祈りを捧げればわたくしはいつでも顕現いたします」

 とうなずいた。それにエレノアは笑顔を崩さぬまま応じる。

「ありがとうございます」

「かまわないわ。ああ、そうそう、確か隣国のアイゼアに行くのだったわね」

 アリアはさもいいことを思いついた、というように手を合わせてみせた。

「そうだわ! あの国でわたくしの信仰を広げてちょうだい! そうすればわたくしの力がより増して、あなたの力も強くなるわ!」

「……可能な限りで尽力させていただきます」

 エレノアは貼り付けた笑みのまま答えた。

 これ、無視してぇな、とは頭の中でのみのつぶやきだ。

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