51. 真夏の夜の悪夢が再びやってくる。なお、白石を甘やかしたオレが悪い模様
51. 真夏の夜の悪夢が再びやってくる。なお、白石を甘やかしたオレが悪い模様
真夏の夜は、容赦なく熱気を放っていた。エアコンは効いているものの、窓の外から伝わってくるようなじっとりとした暑さがある。白石が帰ってから、ちょうど2時間ほど経った頃だろうか。シャワーを浴び、寝る準備をしていた。今日も一日、白石に振り回されて疲労困憊だ。せめて夜くらいは静かに眠りたい。そう思ってベッドに入ろうとしたその時だった。
ピーンポーン、と、突然インターホンの音が鳴り響いた。こんな時間に?誰だ?不審に思いながらも、ある可能性が頭をよぎる。まさか……またあいつか?そう思いながらも、妙な胸騒ぎを覚えつつ扉を開ける。
そこに立っていたのは、予想通り、白石だった。顔は少し汗ばんでいてどこか困ったような表情を浮かべている。
「あっ!先輩、助けてください!」
「……またかよ。帰れ」
思わず、うんざりした声が出た。どうせ、またくだらない理由でオレを困らせに来たのだろう。早く帰ってほしい。
「私の部屋のエアコン壊れちゃったみたいで、今日だけでいいので泊めてください!このままじゃ死んじゃいますよ!」
白石は、大袈裟な身振り手振りを交えながら、そう訴えてきた。エアコンが壊れた?そして、泊めてほしい?確かに熱帯夜にエアコンなしと言うのは危険だろう。
しかし、泊めるというのはさすがにまずい。色々な意味で。
「お前……それはダメだろ。ほら、今から漫画喫茶とか行けよ。金なら貸してやるぞ?」
「もう!意地悪言わないでお願いしますよ!別に、先輩の部屋には毎日行ってるし、私たち付き合ってるんですから」
白石は、オレの腕に抱きついてきて体を密着させてきた。そして、意地悪だの、付き合ってるだの、いつもの台詞を並べ立てる。やめろくっつくな。この暑いのに余計に暑苦しいだろうが。
「付き合ってねぇから問題なんだろ!おい、やめろって!」
白石の腕を引き剥がそうとするが、力は意外と強い。びくともしない。そして、その何をしても諦めない、図々しいまでの行動力に内心で呆れる。こいつ、なんでこんなに力あるんだよ!いや、今はそんなことどうでもいい。なんで、こんなにもこいつは図々しいんだ。人の迷惑を全く顧みない。
「じゃあ私のことめちゃくちゃ抱いていいですから!それならいいですよね!」
「お前静かにしろ!いきなり変なこと言うな!」
「先輩。いいんですか?私が明日、部屋で干からびてても……それこそ本当に死んでも。今日は熱帯夜って、ニュースでも言ってましたし……」
「うっ……」
オレは、何も言い返せなかった。もし万が一、本当に熱中症で倒れたりしたら……そんなことを考えると、さすがに完全に突き放すこともできない。
「それに熱中症で何人も入院して……」
「わかったよ!絶対に大人しくしてろよな!?」
オレは観念した。白石の策略にまんまとハマってしまった。こいつのオーバーな演技と、罪悪感を煽る言葉に結局は屈服した。
「やった~!ありがとうございます!」
白石は、オレの言葉を聞くやいなや飛び上がって喜んだ。そして、また抱きついてこようとするのをオレは制した。その、勝ち誇ったような笑顔を見ていると心底疲れた。
「はぁ……マジかよ……」
ため息しか出ない。ただでさえ、真夏の暑さで疲れてるのに、さらにこの余計な疲労が増えた気がする。よりにもよって、こんな熱帯夜に白石を部屋に上げることになるなんて。
まぁとりあえず白石をベッドに寝かせて、オレはソファーで寝るか。
「あれ?先輩」
「なんだよ?」
白石が小首を傾げ、不思議そうにオレを見つめた。その目は純粋さを装っているが、悪戯っぽい光を宿しているのをオレは見逃さなかった。
「一緒に寝ないんですか?」
「寝るわけねぇだろ」
何を馬鹿なことを言っているんだ。一緒に寝る?冗談じゃない。ただでさえ、この距離感でもう色々な意味で限界に近いのだ。白石の部屋のエアコンが壊れたからという、緊急避難的な理由で部屋に上げただけ。それ以上の何かがあるわけじゃない。絶対に何もない。そう心の中で強く言い聞かせた。オレはあくまで、困っている後輩を仕方なく助けてやっている、それだけなんだ。
「あれあれ?なんだかんだ言って、私のことめちゃくちゃ抱いちゃいそうなんですね!いや~ん!優しくしてくださいね?」
白石は両手で顔を覆い、大袈裟に身をくねらせて見せた。その仕草も、声色も、全てがオレをからかうためだけのものだとすぐに理解できた。ムカつく。本当に図々しいにも程がある。
「そんなわけねぇだろ!」
「なら、一緒に寝れますよね?寝ないなら、そうだと認識しますから私。先輩は本当に素直じゃないな~」
白石はさらに追い打ちをかけるように言った。その言葉の裏にあるのは「違うなら一緒に寝るくらい構わないだろう?それが出来ないなら、やっぱり私のことを抱きたいってことなんだな?」という、悪魔のような論理だった。こいつどこまで人を追い詰めれば気が済むんだ。
……煽るじゃねぇか白石。そこまで言われて引くに引けるか。しかし、ここで折れたらまた面倒なことになるのは目に見えている。
部屋の中は、エアコンのおかげで涼しいはずなのに、オレの額にはうっすらと汗が滲んでいた。それは暑さからくるものだけではなかった。白石という存在そのものが発する、予測不能な熱量にオレは常に当てられているような気がする。
(くそっ……どうすればいいんだ……)
思考が鈍る。この熱帯夜の湿気った空気のように、思考回路も重く淀んでいた。ソファーで寝る。それが理性的な、最も安全な選択肢のはずだ。
オレは、ベッドの上でニコニコとこちらを見ている白石から目を逸らし深く息を吐いた。
この熱帯夜が、多くの人に悪夢を見せているのかもしれない。そして、オレにとっての悪夢は、今、目の前にいるこの後輩だった。この状況をどう切り抜けるべきか。オレの頭は、疲労と混乱で、まともな判断ができなくなっていた。白石の勝ち誇ったような表情が脳裏に焼き付く。オレは、ソファーとベッドを交互に見て、再びため息をついた。
「……絶対変なことするなよな!」
「どっちかと言うと私のセリフのような気がしますけど?」
「黙れ……さっさと寝ろよ。電気消すぞ」
オレの部屋のベッドは、一人用だ。そこに、二人で寝るなんて、狭いに決まっている。白石に寝る場所を指示し、部屋の電気を消した。部屋は、真っ暗になった。白石は、言われた通り、ベッドに入ったらしい。
「はい!お休みなさい」
白石の声が、暗闇の中から聞こえてきた。オレも、自分の寝るスペースを確保し、ベッドに入り目を瞑る。落ち着け……相手は白石だ。ただのウザい後輩だ。変なことは何も起こらない。あんなウザい奴は無視に限る。大丈夫、今日は一日白石に振り回されて疲れている。このままきっと眠れるはずだ。自分にそう言い聞かせる。
どれくらいの時間が経っただろうか。静寂の中で、オレは眠りにつこうとしていた。しかし、なぜか寝付けない。白石の気配が妙に近い気がする。
「せ〜んぱい……」
耳元で甘い声が聞こえた。そして、背中に柔らかい感触がある。体が、白石に触れているらしい。
「こっち向いてくれませんかぁ……」
「うるさい。黙れ。もう寝ろ」
オレは目を閉じたまま、低い声でそう言った。関わると面倒なことになる。
「だって~せっかく先輩と一緒にいるんですよ?しかも同じベッドの中に」
「暑いから離れろ」
「もしかして、もう我慢できなくて私に何かしちゃいそうですか?その……私は……構いませんよ?」
何煽ってきてんだよこいつは。ここは、心を無にして、何も感じないようにしよう。何も考えない。白石の言葉も、体の感触も何もかも無視するんだ。そうすれば、きっとすぐに眠りにつくはず……オレは、意識的に思考を停止させようとした。
しばらくすると、白石の方から、規則正しい寝息が聞こえてきた。すう、すう、と、穏やかな呼吸音だ。よし、やっと寝てくれたのか。これで少しは落ち着いて眠れるだろう。オレは、緊張していた体を緩め安堵のため息をついた。
その、安堵した、ほんの一瞬の後だった。
「先輩。 大好きです……」
白石が、寝息の合間に、かすれた、けれどはっきりと聞き取れる声でそう呟いた。その言葉は暗闇の中、オレの耳に直接響いた。なんで今言うんだよ……よりにもよって、こんな状況で。その言葉が脳裏で反響する。寝言だったとしても、じわじわとオレの意識を侵食していく。
うぜぇ。こいつ寝てもオレに絡んでくるのかよ……起きている時はもちろん、寝ている時までオレの平静を乱そうとするのか。
結局、白石の、たった一言の寝言のせいで、その日は朝まで眠ることはなかった。暗闇の中で、オレは白石の寝息を聞きながら、こいつの言葉と、それによって引き起こされた自分の感情に一人向き合い続けた。
真夏の夜は、熱気だけでなく、白石という存在によって悪夢のような、眠れない夜となった。
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