17. 悲劇というものは世間一般で繰り返されるものだ
17. 悲劇というものは世間一般で繰り返されるものだ
ある日の夜。時間は、白石がいつものように「また明日来ますね」と手を振って部屋を出て行ってから、もう2時間くらい経った頃だろうか。
すっかり落ち着いて部屋の電気を少し落とし、寝る準備を始めていた。パジャマに着替え、歯を磨き、後はベッドに入るだけという、一日の終わりを告げる静かで安穏とした時間だった。部屋の中にはエアコンの稼働音だけが小さく響いている。このまま誰にも邪魔されずに眠りにつけるはずだった。
ところが、事件は突然起こった。ピンポーンと、唐突にインターホンが鳴り響いたのだ。こんな時間、一体誰だ?非常識すぎるだろう。不審に思いつつも、チェーンはかけたまま、扉を少しだけ開けて外を覗いた。
そこに立っていたのは予想だにしなかった人物だった。白石だ。しかも、なんだか慌てた様子で息を切らしている。手には、着替えらしきタオルや下着が、ビニール袋にも入れずにそのまま剥き出しで抱えられている。
「あっ! 先輩、助けてください!」
白石の切羽詰まった声を聞いて状況が呑み込めた。何かトラブルがあったらしい。だが、時間も時間だし正直面倒くさい。
「……帰れ」
「私の部屋のお風呂、壊れちゃったみたいで、お風呂貸してください! シャワーだけでいいので!」
白石はオレの言葉を無視して、状況を説明してきた。お風呂が壊れた?それは災難だが、なぜオレのところに来るんだ。
「あー……なぁ白石。この目の前の道を真っ直ぐ行ってだな、コンビニを左に曲がって、しばらく歩くと……」
なんとかして、白石をオレの部屋から遠ざけたい一心で、近くの銭湯の場所を教えようとした。オレが口で説明しながら、指で方向を示そうとすると白石が露骨に嫌そうな顔をした。
「先輩。まさか銭湯を案内してます?そんな意地悪言わないで、お風呂貸してくださいよ!私たち付き合ってるのに!」
来た。またその言葉だ。この、都合が悪くなるとすぐに出てくる「私たち付き合ってるのに!」というパワーワード。いい加減聞くのも嫌になる。
「だから付き合ってねぇし! それと、せめて持っているものを何かの袋とかにいれてくれないかな? ……着替えの下着とか、丸見えなんだが?」
白石の腕に抱えられたタオルから、レースの縁取りが見えている。なんだか変な気分になる。慌てて視線を逸らし注意した。別に覗き見していたわけじゃない。たまたま目に入っただけだ。そんなオレの様子を見て、ニヤリと笑った。
「え? どこ見てるんですか、先輩ったら!イヤらしいんですから!」
くそっ。ムカつく……。なんでオレが非難されなきゃならないんだ。お前が無防備な荷物で、非常識な時間に押しかけてきたんだろうが。本当に、どこまで人を不快にさせれば気が済むんだ。内心で悪態をつきつつ、しかしこのまま玄関先で揉めても近所迷惑だ。
それに、本当に困っているのかもしれない。仕方なくオレは渋々白石を部屋に上げることにした。
扉を開け、白石を招き入れる。オレはため息を一つついて念を押した。
「いいか?絶対掃除して帰れよ!髪の毛一本も残すなよな?」
「分かってますって!先輩は私を何歳だと思ってるんですか!?」
白石はまた頬を膨らませて抗議するがこれだけは譲れない。次にオレが入るときに、もし白石の髪の毛なんて落ちていたら、それだけで色々想像してしまいそうだ。シャワーを浴びている姿とか、着替えている姿とか……それは絶対に避けたい。
それに、ここで掃除させないとなんだかオレが白石のわがままに完全に屈したみたいで悔しいからだ。これは、オレのささやかな抵抗であり、メンツを守るための戦いなのだ。
「分かったなら、さっさと済ませろよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて失礼しまーす!」
白石はパッと表情を明るくさせ、バスルームに向かっていく。そして、ガチャリと扉が閉まる音。しばらくすると、シャワーの音が部屋に響いてきた。ザアア、という水流の音。その音を聞いているだけで、なんだか落ち着かない。くそっ。変な想像してしまいそうだ……オレの知らない白石が、今この壁の向こうで――いや、考えるな。とにかく、早く終わらないかな。そう願いながら、オレはソファーに座り手持無沙汰にテレビのリモコンを弄った。
それから10分くらい経った頃だろうか、シャワーの音が止まり、やがてバスルームの扉の向こうから、白石の声が聞こえてきた。
「せんぱーい!タオル忘れちゃいました!貸してください!」
「はぁ!?」
何やってんだこいつは! 声を張り上げて思わず叫んだ。
「……絶対見せるなよな!扉から渡すから」
変な期待をするわけじゃないが、万が一ということもある。絶対に、不用意なものを見てしまう事態だけは避けなければならない。
「それは私のセリフなんですけど……」
扉越しに、白石の呆れたような声が聞こえてくる。とりあえず、脱衣所まで行き、棚から清潔なタオルを一枚取った。そしてバスルームの扉を数センチだけ開け、中を覗かないように、手だけを差し入れてタオルを渡す。白石の指先が軽くオレの手に触れたような気がした。
すぐに扉が閉まる音。そして、カサカサと着替えるような音が聞こえてくる。早く終われと心の中で呪文のように繰り返す。
やがてバスルームの扉が開き、白石が出てきた。髪は少し濡れているもののさっぱりした顔をしている。なんだか妙に部屋に馴染んでいるように見えた。そして、開口一番またしてもオレをからかう言葉を口にした。
「先輩。ありがとうございました。もしかして色々想像しちゃいました?私の裸とか?いやーん。」
白石は、自分で言って自分で照れたように両手で顔を隠して体を揺らした。その仕草が本当にウザい。どこまでオレをからかえば気が済むんだ。
「うぜぇ。もう帰れよ」
オレは立ち上がり玄関の方を指差した。一刻も早く、この空間から出て行ってほしかった。
「え? でも、まだお掃除してませんよ? 髪の毛とか落ちてたら、私の裸とか想像しません?」
「いいからもう帰れよ!2度と貸さんからな!」
白石が帰って、部屋に一人になった時、心底疲れた、と思った。ドッと体の力が抜けるような感覚だ。これで、ゆっくりと寝れる。今日の奇妙な出来事を忘れて、ぐっすり眠って、明日にはいつも通りの日常に戻れるはずだ。そう思って、ベッドに入ったのだが――
翌日、白石に聞かされた事実は、オレのささやかな期待を打ち砕いた。部屋のお風呂は週末にしか直らないというのだ。つまりそれまでの間、こいつはまたお風呂を借りに来るということになる。結局、オレは週末まで毎晩のように白石にお風呂を貸す羽目になった。
毎晩、シャワーの音を聞きながら白石の姿を想像しないように努めたが、一度意識してしまうともう駄目だった。頭の中で様々な想像が膨らんでいく。白石がオレの部屋でシャワーを浴びているという事実がオレの心を静かに侵食していくようだった。
そして、その結果――結局オレは連日色々想像してしまい、ろくに眠ることができず寝不足になるのだった。白石は1日の疲れを取り、さっぱりとした顔で帰っていくというのに。全く、どこまでもオレを振り回すやつだよコイツ。
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