07 雷鳴



 その日は朝から風が強かった。

 いまにも滴り落ちそうなほど湿気を纏った分厚い雲が空を覆っている。光の都には珍しい光景。


(降りそうだなあ……)


 どんよりした空気のせいか街全体が薄暗いし、あの大通りでさえいつもより大人しい。これだけ風が強いと夜あたりに台風が来るかもしれないから、念のため窓を補強しておいたほうがよさそうだ。飛来物がぶつかってガラスが割れないとも限らない。

 そんなことを考えている間にも、がたん、と派手な音を立ててガラスが震えた。


「すごい風ですね」


 話しかけてきたのはウィンストンさん。今日もいつもの紅茶を飲んでいる。ちなみに軽食はBLTサンド。

 最近は、気分に合わせた注文をしてくれるようになってきた。毎日クロックムッシュは飽きるだろうと心配していたので、これはありがたい変化である。


「ウィンストンさん、外に出たら気をつけてくださいね」

「それはお互いさまですよ」


 営業後は無理しないようにしてください。

 そう言ってくる彼の目には心配そうな色が滲む。本当に、最初の頃に比べると表情が豊かになった。私が彼の感情に気付けるようになったのもあるけれど。

 嬉しくなってた私は力こぶを作り「任せてください!」と自信満々に返す。台風は初めてだけれど、強風なら経験済みだ。以前マーサさんから教えてもらった対策をして、しっかり備えれば大丈夫だろう。


 ーーそう思っていた時期が私にもありました。


「う、うわあ」


 窓に映る豪雨を、なすすべもなく眺める。

 後日聞いたら、光の都を直撃した台風はここ50年ほどのなかで一番激しいものだったらしい。真っ暗な空から叩きつけるような雨粒が降り注ぐ。外を見ていると、たまに宙を舞う布やら木片やらが見えて背筋が震えた。

 こんななか歩いて帰るなんて絶対に無理だ、店に泊まるしかない。諦めて机を端に寄せる。幸い食料の備蓄も水もあるし火もつく。布団が無いのは仕方ないとして、他はなんとかなるだろう。


(ここまでだと思わなかった)


 閉店前に窓を補強しておいてよかった。ごろごろと響く大きな音は雷だろうか、今夜中に落ち着くといいけれど。


「……大丈夫かなあ」


 声に出すと余計に不安感が募る。そんなはずないと分かっていても、世界にひとりのような錯覚を起こして、足元が不安定になったような心持ちになる。

 いつもあたたかな店内は驚くほど静かで、たまに外では地面を揺らすほどの轟音がすると、心細さが膨れ上がった。大丈夫、と自分に言い聞かせる。

 大丈夫。明日にはきっと終わってる。


 ……でも、本当に明日は来るのだろうか。


 不意に、どんどん、と店のドアを叩く音がした。

 はっと我に返り、驚いてドアに駆け寄ると人影が見える。もしかしてこの台風のなか逃げ遅れたのだろうか。慌ててドアを開け店内に招き入れたのはほとんど反射だった。素早くドアを閉めると声をかける。


「大丈夫ですか!? いま拭くものを持ってきますね!」


 タオルを取りに行こうとしたら、目深にフードを被ったそのひとが「どうぞお構いなく」と返しながら外套を脱ぐ。思ったより冷静な声だ。動揺が見えないその声に妙な安心感を覚えて振り返った。

 騒がしいほど荒れた外とは対照的に、しんと静かな店内に響く衣擦れの音。心臓が跳ねる。


(待って。この声……)


 フードの下から現れたのは灰色がかった深い藍色。見覚えのある姿がそこにあった。


「……ウィンストンさん?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る