第120話 灯火を掲げる者たち

「リナちゃん…あんたの、その『力』が、必要なんだ…!」

行商人マルコの悲痛な叫びは、秋の夕暮れの、静かな村に、決定的な終焉の鐘のように響き渡った。私たちの、静かで、守られた日々は、今、この瞬間、確かに終わりを告げたのだ。


​その夜、私の家の囲炉裏には、この村の、全ての未来を担う者たちが、集まっていた。村長さん、ギンジさん、騎士のレオン、そして、疲れ果て、しかし、最後の希望に縋るような目で私を見つめるマルコ。私の隣には、シロが、その身を固くして、寄り添っている。


マルコが語る外の世界の惨状は、私たちの想像を絶するものだった。穢れは、もはや「立ち枯れの病」という静かなものではない。それは、人々の心にも感染し、絶望と、猜疑心を生み、各地で、小さな争いや、暴動さえも引き起こしているのだという。そして、その混乱の中心で、聖女エリカは、力を使い果たし、倒れた。


​「…レオンが来たときにも言ったが…王都の問題は、王都の者たちが、解決すべきだ。リナを行かせるわけにはいかん」

ギンジさんの言葉は、重く、そして、正しかった。

レオンも、苦渋の表情で、頷く。「今の王都は、罠か、あるいは、既に、闇に飲まれているか…。リナ様を、お連れすることはできません」

村長さんも、深くため息をついた。「我らにできることは、雪が降るのを待ち、この谷を、完全に閉ざすことだけかもしれん…」

​それは、最も賢明で、そして、最も現実的な判断だっただろう。


けれど、私は、首を横に振った。

私の脳裏には、孤独に泣いていた、同級生、高嶺エリカの姿が焼き付いている。そして、森の奥で、魂だけを抜き取られたかのように、冷たくなっていた、あの瑠璃色の小鳥の亡骸が。


(もう、流石に見過ごすことはできない)

​私は、静かに、立ち上がった。そして、囲炉裏の奥の隠し戸棚から、二つの、聖なる宝物を、取り出した。

一つは、月の光を宿す、「銀の雫」の小瓶。

そして、もう一つは、古代の守り手たちが遺した、「螺旋の石板」。

​私は、その二つを、仲間たちの前に、そっと置いた。


「私は、やっぱり王都へは行きません。私の畑は、この村です」


私は、きっぱりと言った。「けれど、私は、この村から、戦います。病に苦しむ者を待つのではなく、病の『根』を、断ち切りに、行きます。マルコさんがくる前に村長さんが言ってたように守っているだけじゃ駄目だった」

​私は、螺旋の石板を、指し示した。

「この石板は、この世界の、大地の力の流れ、『龍脈』を示す地図です。そして、穢れは、この龍脈を汚染し、腐らせることで、世界を蝕んでいる。ならば、私が行くべき場所は、王都ではありません。全ての穢れを生み出している、大いなる源泉…龍脈の『心臓』とも言うべき場所です」

​それは、マーサさんのノートの、最も難解な部分に、示唆されていた、究極の治療法。病んだ体の、末端の症状を抑えるのではなく、その病巣そのものを、癒やすのだ。

「そこへ行き、この『銀の雫』の力で、大地の病を、根源から浄化する。それこそが、今の私にできる、唯一の、そして、最善の道だと信じます」

私のその、あまりにも大胆な、しかし、確信に満ちた言葉に、部屋は、しんと静まり返った。


最初に、口を開いたのは、レオンだった。彼は、静かに立ち上がると、私の前に進み出て、その剣を抜き、床に突き立て、深く、片膝をつく。

「…ならば、その道行き、このレオンの剣が、あなた様の盾となりましょう。どこまでも、お供いたします」


次に、ギンジさんが、その年季の入った鉈を、手に取った。

「…途方もねぇ、大馬鹿な考えだ。だが、マーサさんなら、きっと、そう言うだろうよ。森の道案内は、このわしに任せな」


マルコもまた、震える手で、立ち上がった。

「街道のことは、俺に任せてくれ。あんたたちを、無事に、人の世の果てまで、送り届けてみせる」

最後に、村長さんが、私の肩に、その温かく、大きな手を置いた。

「…リナちゃん。お前さんは、もう、我らが守るべき、か弱い娘ではないのだな。ならば、行っておいで。この村は、我ら残った者で、必ず、守り抜いてみせる。お前さんたちが、帰ってくる、その日まで」


​こうして、私たちの、最後の、そして、最大の旅立ちが、決まった。


癒やし手、リナ。聖なる守護者、シロ。忠誠の騎士、レオン。森の賢者、ギンジさん。そして、世界の案内人、マルコ。


私たちは、それぞれの覚悟を胸に、互いの顔を見合わせた。その瞳には、これから始まる、長く、そして、困難な旅への、恐れと、そして、それ以上の、揺るぎない希望の光が宿っていた。


​秋の最後の夜が、静かに更けていく。

私の辺境でのスローライフは、終わりを告げた。そして、ここから、世界を癒やすための、壮大な物語が、始まろうとしていた。

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