第34話 消えた村[後編]
――気がつけば、梓は夢を見ていた。
けれど、これはただの夢ではない。
自分が“夢の中にいる”と分かる明晰夢の中だった。
辺りは淡い靄に包まれ、断片的な映像が
スライドのように流れていく。
どこかの村、田園の中を走る小川。
畦道を跳ねる子供たち。彼らの楽しげな声は聞こえないのに
不思議と郷愁のような温もりを感じた。
気が付くと、風にそよぐ稲穂の彼方
赤みを帯びた夕景に切り取られた鳥居――。
神社の境内。
その縁に立つ巫女服の女性。
輪郭が照らされて、ただ朱のような明るさとともに
影くっきりと焦がしていた。
(何の夢なんだろう……)
老婆――そして、自分が話を聞いていた巫女である古橋澪。
その名残が、夢の中の景色として流れ続けていく。
梓は自分の意識がぼんやりと現実と夢の間を
揺蕩っていることを自覚しながら、ただ茫然とその情景を見つめていた。
やがて夢の情景が変化した。
今度は夜――村人たちが松明を掲げ、何かを探し回っているようだ。
男衆は木の棒、鍬や鎌のようなものを手にして
鬼気迫る形相で歩き回っていた。
「……尋常じゃない。」
声は聞こえてこない。
しかし、その切迫した空気だけは
まるで肌を剥かれたようにはっきり伝わってくる。
(誰かを……探しているんだ)
次の瞬間、混乱と怒号の渦の中で
一人の若者――いや、少女か――が捕まる。
村人にあちこち引きずられるようにして
神社の本殿へ連れていかれる。
捕らえられている人物がふと空を仰ぐ。
その瞳と目が合った感覚――。
その刹那、自分が夢の外と内を
同時に見ているような不思議な心地だった。
(……助けて……)
叫び声がないのに、“助けて”という感情だけが
はっきり梓に伝わってくる。
必死に梓も手を伸ばしてみた。
だが、何も掴めない。
伸ばした手が虚空に漂い、どれだけ必死にもがいても
距離は縮まらず、視界はみるみる白く、淡く、遠ざかっていく。
「……!」
――意識の片隅で、誰かが自分の名を呼んでいる気がした。
(梓……梓……)
その声に向かって心を集中させた時、ふいに夢が断ち切られた。
「おい、梓。大丈夫か?」
目が覚めると、目の前に佐伯の顔があった。
いつもよりほんの少し心配そうな眼差しだ。
「編集長……?」
梓は呆けた声を返す。
夢のなかの出来事が混線して、意識がはっきりとはしない。
「ほら、水でも飲め」
佐伯は梓の肩を軽く小突く。
ふと周囲を見渡すと
そこは老婆の家の離れにある縁側だった。
畳の上に寝かされていたらしい。
夜気と夢の余韻が背中に張り付いていた。
「随分うなされてたぞ」
苦笑混じりで佐伯が言うと、部屋の奥から志摩の顔がのぞいた。
「起きたか。……大丈夫か?」
「……あ、はい……」
自分の体を起こすと、パジャマが汗でぐっしょりと
濡れているのに気づいた。
冷や汗だろうか。
「悪いけど、お風呂お借りしてもいいですか?」
梓はまだ頭が朦朧としつつも
立ち上がって台所の方へ歩いていった。
廊下を進むと、ちょうど老婆が味噌汁を鍋で温めていた。
「おはようございます……すみません、朝から……」
「まあ、梓さん。おはようございます。
すぐにお湯を張るから、先に身体を温めておいでなさい」
老婆が穏やかに言い、梓は小さく頭を下げ
用意された浴室へ消えていく。
梓が不在の間、居間には佐伯、志摩、矢代、
そして老婆が次々とやってくる。
みな大方、寝不足気味の顔だが
どこか柔らかい空気が漂っていた。
「しかし彼女、どうしてあんな場所で寝てたんですか?」
志摩が訝しげに尋ねると、老婆がやさしく答える。
「昨晩は、梓さんと縁側で少しお話して。
そのあと、一緒にお茶をいただいたんですよ。
夜風に当たっているうちに、そのまま
休んでしまったのかもしれませんねえ」
「なるほど。よかった、事件性はなさそうだ」
佐伯が冗談めかして言い、志摩もほっと息をつく。
矢代も小声で
「昨晩は俺たちも熟睡でしたし……」
ボソリと呟く。
そしてちょうどその頃、入浴を終えた梓が
さっぱりとしたラフな服装で現れた。
Tシャツとジーンズ、タオルを首に掛けている。
「おー、全然雰囲気違うな」
佐伯がストレートな感想を言うと、志摩も
「普段より柔らかい感じ」
悪気なく続く。
「矢代、お前もそう思うか?」
志摩が矢代に振るが
矢代はなぜかぼうっとして返事がない。
「……え? あ、ああ……」
志摩が咳払いをすると、ようやくはっとした顔で
「うん、よく似合ってる」
小さく答えた。
「何のことですか?」
梓は首をかしげて不思議そうな顔をし
場が妙に和やかな雰囲気になる。
「さあさあ、ごはんを運びますよ」
老婆が声をかけ、梓も慌てて手伝いに向かった。
朝食は和やかに進んだ。
濃い味噌汁と炊き立てのご飯、焼き魚や煮物。
家庭的な手作りの温かさが
昨夜の重苦しい空気を少しずつ溶かしていく。
食後、「縁側でタバコを吸ってもいいですか」と佐伯が聞くと
老婆が笑顔で「ええどうぞ」と頷く。
佐伯、志摩、矢代が縁側へ移動し、煙草に火をつける。
煙が夜明けの空に淡く上っていき、三人が互いの顔を確かめあった。
一方、梓は老婆と一緒に台所で食器を片付けていた。
「さっきはごちそうさまでした」
「いいえ、こちらこそ気持ちよく食べてくれて嬉しかった」
やがて、煙草を吸い終わった三人のもとに梓が顔を覗かせる。
「梓、昨夜、縁側でおばあさんとどんな話をしたんだ?」
佐伯が確認する。
梓は首を傾げながら
「普通に、お茶をご馳走になって
それから“もうすぐ分かりますよ”って。
特別なことは本当になかったです」
そう答える。
「だったら本当になかったんだな」
佐伯が、ほっとしたように肩を落とす。
そこでふと梓が
「……そういえば、昨夜は不思議な夢を見ました」
口を開く。
「どんな夢だったんです?」
と矢代が訪ねる。
「うまく説明できないんです。
田んぼや神社、村の人たち……
村人が何かを探し回ってる夜の場面もあって
……でも夢の中で全部をはっきりとは感じられなくて。
最後は女の子が神社に連れていかれて、目が合ったんです。
助けてって言われた気がして、でも手を伸ばしても届かなくて……」
「うーん……」
「それだけだと何が何だかだな……」
佐伯と志摩は困惑した面持ちで互いに顔を見合わせる。
(夢にしては妙にリアルだった……
けど、どこまでが現実でどこまでが記憶、どこからが夢なんだろう)
梓も自分で語りながら要領を得ない内容に首を傾げていた。
居間に戻ると、再び全員が座卓を囲んだ。
志摩が「昨日の続きをぜひ」と話を促そうとするが
老婆が先に口を開いた。
「みなさん、昨日の事でご心配をおかけしてすみませんでした。
実は……昨日は、どこまで話していいか分からずに迷っていたのです」
老婆は、膝の上に両手を揃えて座り直す。
「つい一月ほど前、どこから知ったのか
“とある組織”の方がわざわざ訪ねてきまして。
神篭村に関しては一切口外せぬよう、圧力をかけられたのです」
その言葉に佐伯と志摩が顔を見合わせる。
「組織、というのは――どういった……?」
志摩が静かに尋ねる。
老婆はゆっくりと頷き
「その組織とは――古橋一族とも因縁浅からぬ繋がりがあった
“土御門家”の配下の方です」
静かに低く答える。
その名を聞いて、佐伯と梓がはっきりと驚愕する。
「土御門……家……」
「まさか、あの……」
志摩と矢代が訳も分からず、佐伯と梓を交互に見る。
佐伯が静かに口を開いた。
「土御門家というのは、日本で“陰陽道”の権威として知られる名家だ。
かつては歴代の朝廷や幕府にも仕え、東洋の呪術・結界や霊災対策
五行や風水・星術など、古から異界や災厄を抑える
“陰陽師”の頂点だった家の流れだよ。
明治以降は表の権力からは退いた事になっているが
非公式に今も多くの神社仏閣、そして禁断の祭祀の管理や
特殊な事件に介入する権力を持っていると噂されている」
梓が続けて説明した。
「その末裔や配下は、今でも
“封印”や“異界との境界”が危うくなった
土地の監督を続けているみたいなんです。
私の知る限りでも、戦後に起きた
不可解な失踪や怪異にはたびたび関わっています。
表に出ることは絶対ないので
大半の人はただの都市伝説みたいに思っているみたいですけど」
老婆は小さく頷く。
「その通り……。
古橋家もかつては土御門家と共に
“村の結界”を維持する役割があった、と伝え聞いております」
志摩と矢代はそのやり取りに圧倒されたように見えた。
「つまり、その筋の専門家がわざわざやってきて
神篭村についてこれ以上口外するなと
圧力をかけてきた……ってことですか」
「ええ。だから昨日は、貴方方がもしかしたら
危険な事に巻き込まれるかもしれない。
だから私も迷ったのです。
でも……もう、ここまで来てしまったのですから」
老婆は小さな包みを抱えて席を立ち
やがて一冊の封筒と一枚の古い地図を持って戻ってきた。
その手の甲には皺が深いが
思いが詰まっているのがにじみ出ていた。
「これが、当時の村の位置を記した古いメモと
村の詳細な地図になります」
そっと、それを食卓の上に広げる。
紙は黄ばんで端がかすれ、細かな手書きの地名や
山の形状まで緻密に記されている。
横のメモ書きには、日付や集会記録
住人の氏名や神事の日時
――今は誰も知らない生活の証が、丁寧に書かれていた。
「今ではもう……これだけが村の存在を
証明する唯一の資料となりました」
「……これが……」
梓は息を呑み、地図の上に手を重ねて呟く。
老婆はさらに、据わった目で
梓に向かって話を続けた。
「梓さん、この地図とメモ書きは貴女にお預けします。
……どうかこの地図を頼りに、村のあった場所までたどり着いてください。
きっと、”貴女がそうしなければならない理由”が、そこにあります」
梓は、紙の感触を確かめながら
覚悟のようなものが胸の奥に
ひっそりと灯るのを感じていた。
老婆の眼差し、温かなのにどこか
一種の決意に貫かれている。
それが予感――いや、近づく“必然”を示していた……。
(→ 次話に続く)
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