第19話 弱者の真価
「……いやホント、悪かったって」
林の中に、男のくぐもった声が響いた。
木漏れ日がまだらに差し込むその場所で、セリスは申し訳なさそうに頭をかいていた。
「い、いえ……わかってもらえたら、それでいいんですよ……」
返事をしたヨハンは、見るも無残な姿だった。
服は焦げ、髪はバサバサに乱れ、頬には泥がこびりついている。
そんな彼の体には、治癒魔法の柔らかな光がかけられていた。
「まさか、ここまで弱いとは思わなかったぜ」
心底驚いた様子で、セリスはそう呟いた。
当然だった。
ヨハンは、セリスの一方的な攻撃にひたすら耐え続け、抵抗らしい抵抗を一度も見せなかったのだ。
「それにしても、あれだけボロボロになって、まだ文句の一つも言わねえなんて……。あんた逆にすげえよ」
セリスは半ば感心しつつも、もう一度手をかざしてヨハンの傷を癒す。
その様子を見ていたアウメリアは、もはや呆れを通り越し、戦慄していた。
(ここまで徹底して隠す気? 嘘でしょ?)
ヨハンの“演技”はもはや人間離れしていた。
セリスの怒涛の攻撃を受けながら、一切反撃せず、致命傷を躱し、そこそこの負傷を以て終わらせる。
計算され尽くされた“弱者の敗北”。
常人には到底不可能であると、アウメリアは理解していた。
ヨハンの治療を終えたセリスは、土を払いながら立ち上がる。
「……ま、いいや。オレはお前みてぇな根性ある奴、嫌いじゃねえし。あんたが実力不足なのはよくわかった。悪かったな、疑って」
セリスはすっかり気が晴れた様子で笑う。
「さ、街に戻ろうぜ。俺、腹減っちまったよ」
「そうですね。では帰りましょう」
そしてヨハンたちは、街へと向かった。
◆
到着した三人を出迎えたのは、冷たい風と、切迫したイーシェの声だった。
「セリス、遅かったわね」
駆け寄ってきたのは、イーシェだった。
いつもの沈着冷静な面持ちながら、その声に余裕はない。
セリスはすぐに何かがあったと察する。
「……イーシェ、まさかまたか?」
イーシェはただ一度、力なく頷いた。
「今度は南区の外れ。来て」
ヨハン達は足を速めて現場へ向かった。
現場に着くと、そこにはすでに封鎖されていた。
薄暗い裏路地、街灯も、月の光すらも届かぬ暗がりで、その遺体は眠るように横たわっていた。
そしてその横では、重苦しい気配を纏った男が一人、静かに佇んでいた。
「……ゼルディアさん」
セリスが彼を呼ぶと、男は振り返りもせず、わずかに視線だけを向ける。
一瞬、ヨハンと視線が合う。
二人には、それ以上の会話は不要だった。
イーシェは遺体に近付くと、その惨たらしい胸元に眉間の皺を深くさせた。
「……やはり、心臓です。美しいまでに正確にくり抜かれています。素手でここまで精密に出来るなんて……とても人間技とは思えませんね」
「そう、だな……」
ゼルディアの声は、妙に鈍かった。
セリスは俯き、拳を握り締める。
「すみません、ゼルディアさん。警戒していながら、また被害者が……」
ゼルディアは、彼の震える肩に手を置いた。
「……お前ぇのせいじゃねえさ。だがよ、この借りはきっちり返すぜ。賊には、それ相応のケジメをつけさせねぇとな」
「……はい!」
「ええ、もちろんです」
ゼルディアの言葉に、セリスとイーシェは力強く答えるのだった。
……その場の空気が重くなる中、ヨハンは一歩だけ引いた位置から彼らを観察していた。
視線の奥にあったのは、憐れみでも軽蔑でもない。
ただ深く、深く沈んだ鋭利な光の筋。
(ヨハン……?)
その視線に気付いたのは、アウメリアだけだった。
◆
深夜の街に、冷たい風が吹き抜ける。
石畳をゆっくりと歩く二人の影が、街灯に照らされて長く伸びていた。
「……静かですね」
「ええ。嵐の前って感じがするわ」
ヨハンとアウメリアは、何気ない風を装いながらも、足を止めることなく進み続ける。
だが、その歩みは唐突に、ぴたりと止まった。
五つの黒い影が音もなく近付き、彼らの前後を塞いだのだ。
黒いフードを目深にかぶった者たち。
その手には、禍々しい曲線を描くナイフ。刃は不気味な光を帯び、魔力を吸い込むように脈打っていた。
そして、彼らは声を揃える。
「……しんぞうを、よこせ」
脅しにも似たその囁きに対し、ヨハンもアウメリアも、まるで動揺を見せなかった。
「やっと来ましたね。――教官」
「おうッ! 待ちくたびれたぜッ!」
荒々しい声に続き、空間が軋んだ。
足元に広がったのは、幾重にも絡み合う赤い魔法陣。荒々しくも繊細であり、圧倒的な魔力を含む。
同時に、結界が形成された。
ドーム状の光が空間を包み込み、外界との接続を断ち切る。
「――――ッ!」
思わず後ずさる賊たちの前に、林立する建物の影から、三つの人影が現れる。
先頭は豪腕をぶら下げた大男、ゼルディア。その後ろに、セリスとイーシェが続く。
「この俺特製の結界だ。到底逃げらんねぇよ」
薄く笑ってそう告げるゼルディアに、賊たちは表情に覚悟を見せ、ナイフを構えた。
「おいおい、やる気満々じゃねえかよ。おいてめぇら! 準備はいいか!」
「もちろんっスよ! ゼルディアさん!」
「いつでも」
そしてゼルディアは、アウメリアを見る。
「嬢ちゃんは……どうだ? やれるかい?」
アウメリアは一瞬だけ目を細め、次の瞬間、鼻で笑った。
「誰に向かって言ってるの? こっちはここ最近ずっとストレスが溜まってるし、八つ当たり、したかったのよ。思う存分ギタギタにしてやるわ」
横に立つヨハンは、彼女の言葉に小さく嘆息した。
(とても令嬢の発言とは思えないなぁ、ほんと……)
賊は一気に駆け出し、ゼルディア達は構えを取った。
刹那、ヨハンは指先を光らせる。
「偽りの鎖、理を縫い止めよ――“
光の鎖が路面から現れ、一斉に賊達に絡みつく。
ジャラジャラと音すらも聞こえるそれは、限りなく実体に近く、極めて強固であった。
「な――ッ!?」
ヨハンの魔法に、セリスとイーシェは驚愕した。
彼の魔力は非常に滑らかで、規格外の濃さを持っていたからである。
「今更、隠す必要もなくなりましたので……」
ヨハンは悠然と前に出る。
その背中は大きく、その足取りは確か。セリスもイーシェも、以前から見ていたはずなのに、まるで初対面の相手を見るような錯覚に陥る。
そしてアウメリアはどこか勝ち誇った表情を浮かべ、ゼルディアは、一人、満足そうに微笑んでいた。
「さて、問答の時間です。自らの口で語るか、無理やり吐かせるか……お好きな方を、どうぞ」
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