第12話 慟哭





 

 アウメリア達の前を漂っていた霧喰だったが、興味を失ったかのように顔を逸らし、そのままどこかへ飛び去っていった。


「……逃げた?」


 誰ともなく、声が聞こえた。

 少しだけ、安堵の息が広がる。

 だがアウメリアは腑に落ちなかった。


(本当に逃げたの? なぜ逃げる必要が?)


 誰の目から見ても、自分たちの方が圧倒的に劣勢だった。普通に考えれば逃げる必要などない。それは魔物であっても然りだろう。

 “逃走”という推測への違和感――その理由はすぐにわかった。 

 霧喰には明確な“意思”があった。その“意思”の下、霧喰はその場を去り、どこかへ向かったのだ。

 そしてアウメリアは霧喰が飛び去った方角を見つめ、結論にたどり着き、背筋を凍らせた。


「――……村だ」


「――――ッ!!」


 その瞬間、誰もが戦慄を覚えた。

 もはや一刻の猶予もない。


「む、村へ……村へ行かなきゃ!」


 アウメリアはよろめきながら立ち上がり、懸命に歩を進める。

 彼女の姿は、倒れかけていた騎士たちを叱咤した。重たい身体を引きずるように、彼らは再び立ち上がる。

 その時、アウメリアはエリスがいないことに気付いた。


「エリスは……?」


 後ろを振り返ると、エリスは広場の中心に留まっていた。

 しかし臆しているようには見えない。

 彼女の蒼白な顔に浮かぶのは、無言の重い決意だった。


「私には、やることがある。頼む、アウメリア。一人でも多くの村人を救ってくれ」


 アウメリアは迷う間もなく頷く。

 時間は限られている。信じるしかなかった。


 


 ◆


 


 村へと続く道は、まるで地獄への一本道だった。

 空気が重く、音が消えたように感じられる。村に近付くにつれ、無造作に地面に転がった動かぬ人影が目に入るようになっていく。


「くっ……!」


 アウメリアは歯を食いしばる。

 まだ終わっていない。まだ誰かが生きているかもしれない。

 祈るような気持ちで村の中心へと駆け込んだ瞬間、彼女の足は、無意識に止まる。


「いやあああああっ!!」


「助けてぇ! 誰かぁぁ!」


「痛ぇぇ! 痛ぇよおお!!」


 終焉が広がっていた。

 裂かれた家屋、血の海、食い荒らされた死体……。

 穏やかで長閑だった村は、阿鼻叫喚溢れる混沌に堕ちていた。


「そ、そんな……こんなのって……」


 絶望は彼女の全身から力が奪い始めた。

 だが直後、背後から強く肩を揺さぶられ、彼女の体はビクリと震えた。


「まだだ! まだ終わっていない!」


 騎士の一人だった。


「生存者はまだいる! 一人でも多く助けるぞ! 手分けして負傷者を救助しよう! 霧喰がいたら逃げろ! 俺たちじゃ太刀打ちできん!」


「わ、わかってるわよ!」


 汗と絶望を手で拭い捨て、彼女は村の中を駆け出していく。

 どこを走っても光景は変わらない。動ける者もいるが、到底助からない者が圧倒的に多かった。

 少し走ったところで、その声が聞こえた。

 フロロロロ……――奴だ。

 アウメリアは強く足を踏み出し声の下へ向かう。


「キャアアアア!!」


 その叫び声に聞き覚えがあった。

 彼女が村を訪れた時、話しかけてきたあの少女――。


「――リラ!!」

 

 倒壊した建物の角を曲がると――見えた。霧喰だ。

 そしてその真下には、恐怖で座り込むリラの姿があった。

 霧喰は楽しむかのように大口を少女に近付け――。


「やめなさい化物ッ!!」


 アウメリアは咄嗟に魔力を練る。


「守護の輪、侵し手を拒め! “障壁魔法サクトバリル”!!」


 魔法陣が瞬時に生成され、霧喰と少女の間に光の壁が張り巡らされる。

 霧喰は障壁に阻まれ、動きを止めた。

 間に合った――。

 そう思ったのも束の間、アウメリアに異変が起きる。


「は……ぁっ、ぐ……ッ」


 アウメリアは膝をつき、地面に伏した。

 全身が震え、視界が歪む。鼻からは血が滴り、口内に鉄の味が広がった。


(魔力限界!? 体が……動かない……!)


「お姉ちゃん!」


 虚ろな視界でリラを見る。

 少女は涙を流しつつも、心から安心したように笑っていた。


(リラ……良かっ――)


 バリィィン――。

 障壁は、ガラスのように破られた。

 霧喰の冷たく、感情のない瞳がリラを捉える。


「だ、だめ――ッ!!」


 アウメリアは最後の力で叫ぶ。

 身体は動かない。限界まで酷使した魔力は、既に彼女の四肢から力を削ぎ落していた。


(逃げて! 早く走って!!)


 アウメリアは地面を這い、手を伸ばす。

 例え無様でも、彼女にはそれしかできなかった。

 無情にも、霧喰の顎が開く。

 ずるりと、生々しい咀嚼音が響き渡った瞬間、霧喰の巨大な口がリラを包み込み、そのまま、呑み込んだ。


「……っ……あああああああああッ!!」


 アウメリアの悲鳴が曇天に響く。

 声を震わせ、地面に拳を打ちつける。


「ああああああああッ!! なんで……もっと早くっ……ああああああああッ!!」


 無力さが全身を貫いた。

 心臓が締めつけられ、胸の奥が空洞になっていく。

 体の痛みなどとうに忘れていた。それ以上に心が、気持ちが、未だかつて経験したことのない程の痛みを放つ。

 顔から滴る体液が、もはや涙か涎かわからない。


「……殺してやる……絶対に、殺してやる!!」


 アウメリアの口から漏れ出る憤怒が、目を熱くさせる。けれど体はもう動かない。魔力は枯れ果て、視界さえも霞み始めていた。

 少女を堪能した霧喰は、ゆっくりとアウメリアへと顔を向ける。血染めの口を半開きにし、迫って来た。

 その時である。

 絶望が満ちる空間に、強い光が差し込んだ。

 眩い輝きが村を、アウメリアを、霧喰を照らし出す。


「遅くなってすまなかった」


 その声はエリスだった。


「エリ、ス……?」


 エリスの手に握られたもの……それは、一本の光り輝く剣だった。清廉で透き通った刃は美しく、力強い。

 だが、アウメリアはすぐに気付いた。

 エリスの両目は閉ざされ、瞼の隙間からは血涙が流れていた。


「エリス……あなた、目が……」


「ああ、何も見えない。――だが、問題ない」


 エリスは微かな笑みを浮かべた。

 穏やかで、けれど決意に満ちた笑顔。

 彼女は霧喰を真正面から見据える。姿ではなく、気配を。


「フロロロロ!!」


 霧喰が雄叫びをあげエリスに向かい滑空する。空気が震え、猛烈な風切り音がこだました。

 だがエリスは動じない。

 両脚を踏みしめ、光の剣を横一文字に構える。

 

「終わりにしよう、霧喰」


 大蛇はうねりながらエリスに迫る。

 そして獰猛な牙が間もなく届く頃、エリスは、剣を横に振り抜いた。


「閃刃――」


 その一閃は、余りに静寂だった。

 無音のまま光の筋が通り抜けると、霧喰の巨体は、風に散る霧のように両断されていた。

 霧喰の断面が音もなく崩れ、地面に沈んでいく。


「…………」


 アウメリアは声を出せなかった。

 剣を光の礫にして消し去り、ふらつきながら近寄ったエリスは、手探りでアウメリアを探していた。


「アウメリア? そこにいるのか?」


 その問いに、アウメリアは震えながら彼女の手を握った。


「ここ、ここにいる」


「ああ、良かった。気配が弱くて掴めなかった。どうやら相当に消耗しているようだな。大丈夫か?」


「あなたこそ、目が……」


「“聖剣”の代償だ。呼べば五感の一つを喰われる。今回は目だったが、なに、永遠にというわけではない。半年もすれば戻る」


「半年って……」


「今は私のことはいい。それより、村を……」


 そしてアウメリアは、戦いが終わった村を見渡す。

 朝日が、悲劇の全てを晒していた。平穏な日常は“かつて”となり、失ったものは数え切れない。

 その光景に、アウメリアは言わずにはいられなかった。


「……霧喰は倒した。でも、これは“任務達成”なんて言えるの? これじゃ、まるで……ッ……」


 声が震える。

 それ以上の言葉は心が持たず、アウメリアは、下唇を噛み締めた。

 届かなかった手、守れなかった命、崩れた村、心に残る喪失、絶望、憤怒……。

 途方もなく重く、アウメリアの心を蝕んでいた。

 

「アウメリア……」


 エリスは俯いた。

 顔は見えない。だがアウメリアの痛みは伝わってくる。

 それは幾度となく、エリス自身が経験したものでもあるのだから。

 



 ◆




 モルス大森林――その最奥部。

 人の手が届かぬ深い森の中、ヨハンは一人、荒れ果てた地に立ち尽くしていた。

 泥と汗にまみれ、息も絶え絶え。服は破れ、所々に血の痕さえある。


「まったく、想定外にも程があるよ。まさか、これほどの数がいただなんて……」


 彼の周囲には、見るも無惨な光景が広がっていた。折れ曲がった巨木、引き裂かれた大地、そして……いくつもの、異形の骸。頭部は美しい女性の形の、巨大な蛇の化物。霧喰である。

 その死骸が、辺り一面に転がっていた。

 それも一体や二体などというものではない。或いは十を超えているかもしれない。

 これだけの数をただ一人で討伐したヨハンだったが、無事で済むはずなどなかった。

 ズタボロの体は石像のように重く、ヨハンは膝をつきかけたが、歯を食いしばって立ち上がる。


(この魔力濃度……おそらく、もうすぐあるはずだ)


 限りなく確信に近い推測を頼りに道なき道を進み、そして、ようやく見つけた。

 森の中央、数多の枝と葉が空の光すらも閉ざす場所。禍々しい気配を放つその場所に、それはあった。

 真新しい石の祭壇。

 誰かの手によって築かれた人工の構造物。

 その中央に置かれていたのは、拳大ほどの黒いクリスタルだった。

 鈍い光をヴェールのように纏い、そのクリスタルは、何食わぬ顔で祭壇に鎮座していた。

 ヨハンはそれを見下ろし、低く呟く。


「……やはり、これのせいか」


 躊躇いはなかった。

 ヨハンはそのクリスタルを手に取ると同時に、一息に握り潰す。魔力を込めた掌から鈍い音が響き、黒い破片が地に散った。

 更に彼は右手を振り上げ、魔力を練り上げる。


「二度と……こんなものが、森を穢さぬように」


 詠唱とともに放たれた光が爆ぜる。

 祭壇は轟音と共に粉砕され、影すら残さず、辺り一帯が閃光に包まれた。

 爆煙の中、ヨハンは背を向けて歩き出す。


「……時間をかけすぎた。早く、戻らないと……」


 疲労の重みに膝が笑う。だが、立ち止まるわけにはいかない。村の方では、おそらくアウメリア達が戦っているのだから。

 ふと、彼は振り返る。

 吹き飛んだ祭壇の跡をしばし睨みつけ、再び前を向いた。

 目には怒り。そして、静かな誓いが宿っていた。






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