『#02 ただいま即変身!深夜の推し活開幕』《前編:脱》…スーツを脱いで本性解放!

『#02 ただいま即変身!深夜の推し活開幕』

《前編:脱》…スーツを脱いで本性解放!



「……ふぅ」


駅の改札を抜け、混雑を避けるように歩く冴子のスーツ姿は、やはりどこにも隙がない。

ピンヒールの音が静かな住宅街にリズムを刻み、肩掛けのジャケットは一糸乱れず。

誰が見ても、仕事帰りの“デキる女”そのものだ。


だが――彼女が自宅マンションのドアを閉めた瞬間、その“完璧な嬢王”は一瞬で霧散する。


 

「おっっっつかれっっっしたぁあ~~~~~!!!!」


 

ガチャッとヒールを脱ぎ捨て、投げるようにソファへ倒れ込む冴子。

仰向けになったまま、半脱ぎになったスーツのジャケットをばさりと床に投げた。


 

「ふひぃ~~っ……今日はもう、集中力の限界だったのです……っ」


 

ブラウスの袖をまくった腕をぶんぶん振りながら、冴子はぐでんとソファに沈む。

一見くたびれたOL、だが次の瞬間――


 

「しかぁぁぁしっ!! ここからが本番なのですっ!! 夜の変身タイムっ!!」


 

起き上がった冴子は、バッと髪をかき上げ、自室のドアを開く。


 

そこに広がるのは――

アニメグッズがぎっしり詰まった、まさに“推しに生かされた空間”。



壁一面のフィギュア棚。

棚の上には、『ステラ・ルミナス』の初回限定BOX、抱き枕、アクリルスタンド、缶バッジが整然と並び、

その奥には、キラキラとライトアップされた魔法少女の決めポーズフィギュアが微笑んでいた。


 

「ステラちゃん、ただいまなのですっ!! 今日も可愛すぎでは……???」


 

その声は完全に“仕事モード”の低音とは別人だった。


テンションは爆上がり、語尾は高く、目元は潤んでいる。


 

「うぅぅっ……もう……神……っ! ただそこにいるだけで……ありがとう……」


 

冴子はそのままカーテンを閉め、部屋着に着替える。


着脱の早さはプロレスラー級。

スーツはきっちり畳み、部屋着に選んだのは“ステラ・ルミナス×ルームパーカー”の限定コラボデザイン。

そして下はもこもこ素材のルームパンツ。


さらに、メガネをかけ、髪をポニーテールに――


 

「……って、髪ゴムどこいったの!? あっ、飛んだ! あれっ、えっ、どこいった!?」


 

ベッドの下に転がったゴムを見つけたときには、息が上がっていた。


 

「もうっ! そういうとこなのです、わたしぃぃ~~!!」



「さーてっ! 今日はね! “第18話”なのですっっ!!」


 

冴子がリモコンを手に、TV前の座椅子へ。


 

『ステラ・ルミナス』――

それは、魔法少女×宇宙戦記×人間ドラマが融合した伝説のアニメ。


冴子がどハマりして以来、彼女の人生は“ステラ基準”で回っている。


 

「さぁ、変身して……ステラ・エミッションッッ!!」


 

画面の中のキャラと一緒に、冴子もポーズを取る。


 

「はぁぁ……尊い……。光の粒子が心の傷を癒すのです……」


 

そして変身バンクが始まると――


 

「ちょっと待って待って、今のとこ一時停止!!! この足のライン……作画っっっ!!」

 

「尊いぃぃぃぃ!! 作画班、全員表彰なのですっ!!」

 

「いやこれは……“一時停止→巻き戻し→もう一回”のループ案件っっ!!」


 

5分視聴するのに15分かける女、それが冴子。


気がつけば、横にある棚からステラのフィギュアを取り出していた。


そして、抱きかかえるようにして呟く。


 

「……ステラちゃん、今日も最高だったね……わたし、あなたにずっと救われてるよ……」

 

「でもねステラちゃんっ! 今日の尊みは異次元だったのですぅぅ~~っ!!」


 

フィギュアをぎゅっと抱きしめ、ゴロゴロとベッドの上を転がる冴子。


 

「変身バンク3秒目のウィンク!! あれはアニメ史に残る神作画なのですっ!!」


 

テンションは既に天元突破。語尾も語彙も崩壊寸前。


 

「ちょ、あの瞳のハイライト見た!? わたしだけじゃないよね!?ほんと……ほんっと……神作画に感謝しかない……しんどい……尊い……無理……!」


 

ステラのぬいぐるみを両手で持ち、見つめながら語り出す。


 

「この角度、このほっぺ……好き。好きすぎて……語彙が迷子なのです……っ!」


 

目を潤ませ、頬を染め、足をパタパタさせて転げ回る姿。

昼間の冷静で完璧な“嬢王”の影は、どこにもない。


いや、むしろ逆方向に振り切れている。


 

「はぁぁ~~~……も、もっかい……もう一回だけ変身バンクだけ見せてください……尊い神よぉ……!」


 

ソファに崩れ落ちたまま、リモコンを手にもう一度再生。

巻き戻し、一時停止、再生、もう一度。

そのループは、気づけば深夜の始まりを知らせていた。


だけど冴子にとっては、ここからが本番。


 


 

リングライト、点灯。

カメラ、オン。

マイク、テスト中。

チャット欄、準備完了。


カーテンの隙間からは星空。

そして、もうひとつの“ステージ”に立つ準備ができた。


冴子がそっと息を吸い、口元に笑みを浮かべる。


 

「こんばんはーっ! 夜空しずくです☆ 今日も語らせてください、ステラの神作画についてっっ!」


 

その声は明るく、楽しげで、心から推しを愛している。

そして、職場の誰も、その正体には気づいていない。


今夜も、誰にも見せない“舞台”が、幕を開ける。


 

(つづく)

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