お菓子作りが得意な悪役令嬢は、領地民のヒーローになります!~ほろ苦い過去はスパイスに、お菓子と笑顔で繋がる優しい領地再生~

虹湖🌈

第一章 聖女スイーツ令嬢誕生編

第1話 悪役令嬢の絶望と、小さな決意

 降り注ぐシャンデリアの眩い光が、今はただ憎らしい。


 きらびやかな装飾が施された伯爵家の舞踏会場。集まった貴族たちのドレスや宝飾品が反射する光は、まるで私、マティルド・フォン・グリュースを断罪するために焚かれた篝火のようだ。


「聞きなさい、悪役令嬢マティルド!」


 甲高い声がホールに響き渡る。声の主は、この乙女ゲーム『クリスタル・ラビリンス~愛と宝石の迷宮~』のヒロイン、リリアーナ男爵令嬢。桜色の髪を揺らし、潤んだ瞳で私を糾弾する彼女の隣には、攻略対象である王子や騎士団長たちの姿があった。彼らもまた、冷ややかな、あるいは侮蔑に満ちた視線を私に向けている。


「貴女はその悪しき心で、リリアーナ様を陥れようとし、あまつさえ領地の財政を顧みず私腹を肥やし、民を苦しめた! その罪、万死に値する!」


 王子の言葉が、追い打ちをかけるように突き刺さる。違う、私はそんなつもりじゃ…! 言い返そうとしても、声が出ない。まるで、予め用意された舞台の上で、決められたセリフしか許されない人形のように、私の身体は意思に反して震えるばかりだ。


 周囲からは、「そうだ、追放しろ!」「グリュース侯爵家の恥さらしめ!」という罵声が容赦なく浴びせられる。ああ、これが、私が何度も夢で見てきた『クリスタル・ラビリンス』の断罪イベント。悪役令嬢マティルドの、確定された破滅の瞬間。


(嫌だ…こんな結末…!)


 前世――日本でパティシエ見習いをしていた頃の記憶が、こんな状況でも不意に蘇る。お菓子で人を笑顔にしたかった。自分の手で、何かを生み出し、誰かの幸せに繋げたかった。そんなささやかな夢を持っていた私が、なぜこんな異世界で、悪役令嬢として石もて追われる運命を辿らなければならないのか。


 悔しさと絶望で視界が滲む。豪華なドレスの裾を握りしめ、耐えようとしたけれど、無駄だった。次々と投げつけられる糾弾の言葉に、心が耐えきれず、膝から崩れ落ちる。冷たい大理石の床が、妙に生々しく感じられた。


「マティルド・フォン・グリュース! 貴様の国外追放を――」


 王子の非情な宣告が響く。ああ、終わった。私の人生も、何もかも…。


 意識が、急速に遠のいていく。シャンデリアの光が歪み、人々の声がノイズのように掻き消えていく。まるで深い水の底に沈んでいくような感覚の中、最後に思ったのは、やり直したい、という叶わぬ願いだった。もし、もう一度チャンスがあるなら、今度こそ――。


 ***


「……ルド様、マティルド様?」


 柔らかな声と、身体を優しく揺さぶられる感覚に、私はゆっくりと意識を取り戻した。


 瞼を開けると、そこには見慣れた豪奢な舞踏会場ではなく、淡い陽光が差し込む、懐かしい子供部屋の天井が広がっていた。ふかふかの天蓋付きベッド。壁には可愛らしい刺繍のタペストリー。そして、心配そうに私を覗き込んでいるのは、メイドのエマだ。


「…エマ?」

「はい、マティルド様。魘されていたようですが、大丈夫ですか?」


 エマの優しい声に、まだ混乱した頭で頷く。状況が、全く理解できない。国外追放されたはずでは? なぜ私は、幼い頃に過ごした侯爵家の自室にいるのだろうか。


 恐る恐る自分の手を見る。白魚のような、と形容された覚えのある19歳の令嬢の手ではない。小さく、ふっくらとした、子供の手だ。慌ててベッドから降り、姿見の前に立つと、そこに映っていたのは、腰まで届く長い金髪を揺らし、まだあどけなさの残る10歳頃の自分だった。


「嘘…でしょ…?」


 これは、夢の続き? それとも、また別の悪夢? 記憶が混濁する。断罪された悪役令嬢としての未来。そして、日本で生きていた、雨宮(あまみや)ひなというパティシエ見習いの記憶。二つの記憶が、まるでパズルのピースのように、頭の中で組み合わさっていく感覚。


 そうだ、思い出した。私は、乙女ゲーム『クリスタル・ラビリンス』の世界に、悪役令嬢マティルドとして転生したのだ。そして、先ほどの断罪シーンは、このまま何も知らずに生きていけば訪れる、確定された未来の姿。


(私は…戻ってきたんだ…)


 あの絶望的な未来を知った上で、過去に。10歳の、まだ何も始まっていない頃に。


 恐怖が背筋を駆け上る。またあの結末を迎えるかもしれないという恐怖。しかし、それと同時に、心の奥底から小さな、けれど確かな光が灯るのを感じた。


(やり直せる…?)


 窓の外に目を向ける。そこには、緑豊かなディルフィアの領地が広がっていた。ゲームの中では、私の浪費と悪政によって、この美しい土地は荒れ果て、領民たちは苦しむことになっていた。ヒロインのリリアーナが聖女としてそれを救済し、私は断罪される――それが、本来のシナリオ。


(でも、本当にそれでいいの?)


 前世で、お菓子を通じて人を笑顔にしたいと願っていた私が、この世界で人々を不幸にする役回りなんて、絶対に嫌だ。それに、ゲーム知識がある私なら、もっと上手くやれるはずだ。破滅を回避するだけじゃない。この領地を、そこに住む人々を、私の手で豊かにできるかもしれない。


 ぎゅっと小さな拳を握りしめる。心臓が、期待と不安でドキドキと音を立てている。


(悪役令嬢なんかじゃない)


 断罪される未来は、もうごめんだ。前世の知識――お菓子作りのレシピと技術――を活かせば、きっと道は開ける。


(私は、このディルフィアの領地で、領民たちのヒーローになる!)


 まだ幼い顔に、精一杯の決意を浮かべる。それは、絶望の淵から拾い上げた、小さくても確かな希望の光だった。


 これから始まる、甘くて、そして少しほろ苦いかもしれない私の新たな人生。まずは情報収集からだ。この世界のこと、グリュース侯爵家のこと、そして、美味しいお菓子の材料になる、この土地の恵みのことを。


 マティルド・フォン・グリュース、10歳。二度目の人生の幕が、今、静かに上がった。


(第一話 了)

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