抗争は避けられない①

 東京湾岸のとある埠頭。巨大なコンテナを改造して作られたDr.貞子ドクターさだこの研究所に、クマムシが入る。以前、鮟西あんざい ミナトにナイフを突き立てられた胸の傷は、すっかり癒えていた。


 コンテナの中には五人の男女。そのうち二人は知っている。死軍鶏組ししゃもぐみ組長の鮟西に、研究所の主人あるじであるDr.貞子。残りの三人とクマムシが顔を合わせるのは初めてだった。



「初めましての人たちがいるな。どちらさんだい?」



 クマムシの質問に、鮟西が答える。



「全員、死軍鶏組の構成員ですよ。彼らはクマムシさんのことをよく知っています。僕と同じく、ファンです。アナタは有名人ですからね……一人ずつ紹介しましょう。まずは僕の右腕的存在、若頭の鯨川くじらかわ



 鮟西がグレーのスーツを着た男性を指差した。無造作な茶髪のウルフカットで口髭を生やしており、見た目の年齢は鮟西よりいくつか上。三十歳前後といったところ。



「お初にお目にかかります、クマムシさん。若頭の鯨川です。以後お見知り置きを」



 鯨川と名乗る男性は軽く会釈し、右手を差し出した。その手に応じるように握手をするクマムシ。鯨川の握力は、手の骨を砕きそうなほど強い。「この男も自分と同じく常人ではない」と、クマムシは一瞬にして悟った。


 固い握手を交わす二人を見ながら、鮟西が口を開く。



「鯨川もDr.貞子による人体改造手術を受けています。が、彼の能力が真に発揮されるのは、事務仕事です。僕を含めた組員のスケジュール管理、あらゆる情報の収集と伝達、経費計算、確定申告、他所の組との折衝……裏方の作業は何でもこなせます。ある意味、超人です」


「死軍鶏組に入る前は、IT系のベンチャー企業で事務員をしていました。人数が少ないんで、人事も経理もその他の庶務も何でもやらされていたんですよ。なので、ヤクザになった今でも現場に出るよりバックアップのほうが向いてるんですよね、俺は。まぁ、カチコミになったら戦いますが」



 鯨川は照れくさそうな表情で後頭部を掻いた。続いて鮟西は、鯨川の左隣でヤンキー座りをして電子タバコを吸う若い女性を指差す。長い赤髪をツインテールにし、迷彩柄のツナギを着ている、「少女」と評したほうが適切そうな華奢な女性。



「彼女は特攻隊長のアユナさん。敵対組織にカチコミをかける際、先陣を切るのが彼女の役目です。僕は『強さ』に関して、彼女に全幅の信頼を置いています。ちなみにアユナさんは喫煙者ですが、おそらく未成年だと思います。あくまで『おそらく』であり、彼女の本当の年齢は知りません。知らないほうが良いと、僕は判断しました」



 鮟西の紹介を受けたアユナは、口から白い煙を吐き出しながら立ち上がった。特攻隊長の肩書きを持っている割には小柄だが、その目つきは間違いなく「人間の殺し方を熟知している者」のそれである。飢えたハイエナのように鋭い。



「アンタとり合えないのが残念だよ、クマムシのおっさん。浜栗組はまぐりぐみに入ってくれりゃ良かったのによぉ……組長ボス、浜栗組をぶっ潰したらさぁ、クマムシさんと戦っても良いかぁ?」


「ダメだよ、アユナさん。僕たちの目的は鮮魚会せんぎょかいを滅ぼすこと。浜栗組はその手始めに過ぎない……クマムシさんは鮮魚会を打倒するために不可欠な戦力だ。これから長い付き合いになるだろうから、仲良くしてね」


「……わかったよ。つーことで、よろしくなぁ、クマムシのおっさん。一応、仲間として接するが……組長ボスの許しが出たら話は別だ。そのときは、どちらかが死ぬまでり合おうぜぇ」



 アユナはそう言い放つと、再び電子タバコを咥えた。「受けて立つ」と、口角を緩めながら答えるクマムシ。長い刑務所暮らしで忘れかけていた、クマムシの殺人衝動が疼き出す。アユナは自身の欲求を満たすのにふさわしい相手だと、体が感じ取っていた。


 しかし、ふと我に返ったクマムシは、大きく息を吐いてその衝動を鎮める。四十を超えたおじさんが、娘くらい年が離れている少女を相手に欲情している有様に、嫌悪感を覚えたためだ。この場に居合わせている鮟西、Dr.貞子、鯨川の視線も、どこか冷たく感じる。自分の欲求を最優先にして後先考えず行動するのではなく、状況を客観的に判断できるようになったのは、刑務所生活を経験して性格が幾分か丸くなったことが影響しているのかもしれない。


 クマムシが落ち着きを取り戻したのを見て、鮟西は最後の一人の紹介を始めた。身長は二メートルを優に超えている、筋骨隆々の巨漢。いな、巨「漢」という表現は適切ではない。その衣服は、女性ものの黒いスカートスーツであり、見た目から性別を判断することは難しい。



「この人の名前は、ブラックバス鱒野ますの。元々は中学校の社会科教師で、囲碁・将棋部と美術部の顧問をしていました。その恵まれた肉体がほとんど活用されない仕事をし続けるのはあまりにもったいないと感じ、僕が死軍鶏組にスカウトしたんです」


「鮟西組長のおかげで、私の新しい道が開けたって感じがするのよね〜。本当に感謝しているでごわす。身長二メートル二十八センチ、体重二百十キロの我が巨体は、人を殺すためにあったのだと実感できたってばよ」



 ブラックバス鱒野の喋り方を聞き、クマムシはなおさら性別がわからなくなる。疑問の言葉が出かけたが、「人には尋ねてはならぬ事情というものがある」と思い直し、口の外に出る寸前で飲み込んだ。


 鮟西がパンッと手を叩き、紹介タイムを打ち切る。



「これで死軍鶏組が全員揃ったことになります」


「……ちょっと待て。全員って、六人だけか?」



 クマムシは両目を大きく開き、鮟西に質問を投げかけた。浜栗組だけでも百人前後、鮮魚会に至っては数千人のヤクザが所属している。死軍鶏組はその全員を始末することを目的としているのに、たった六人というのはあまりにも少ない。


 驚くクマムシを見て、鮟西は薄く笑みを浮かべた。



「そう仰ると思っていました。たしかに僕たちの頭数は極端に少ない。しかもDr.貞子は研究者であって戦闘員ではないので、前線に立つことはありません。実質的に五人で鮮魚会と戦うことになります。ですが、僕たちは全員、改造手術を受けた超人……一人ひとりが千人力だと言って良いでしょう」



 鮟西の言葉を聞き、口をつぐむクマムシ。鮟西の言うとおり、死軍鶏組の全員がクマムシと同じ人智を超える力を持っているとしたら、ヤクザが何人揃おうが怖くない。現に、クマムシが浜栗組に所属していた頃、自身に匹敵する殺し屋は誰もいなかった。鮮魚会でナンバーワンの武闘派組織である浜栗組ですらその程度の力だったのだ。他の組の戦力などたかが知れている。


 クマムシが次の言葉を発する前に、アユナが会話に割り込んだ。



「一昨日までは、七人だったんだけどなぁ。一人いなくなっちまった」



 アユナが言葉とともに口から白煙を吐き出す。その煙が顔にかからないよう左手で扇ぎながら、鯨川が続けた。



「ああ。浜栗組の組長・ミキホを暗殺しに向かわせたキモロン毛と連絡が取れない。十中八九、られたんだろう。キモロン毛もDr.貞子の手で手術を受けた超人だ……それを返り討ちにできるだけの猛者が、浜栗組に与していると見て間違いない」



 神妙な顔つきで語る鯨川を、アユナは「はっ」とバカにするように笑った。



「キモロン毛はウチらの中で最弱。アイツを殺せる人間がいるとしても、何も驚きやしねぇよ。私ならあんなヤツ、ミートソーススパゲティ食べながらでも始末できるぜぇ」



 アユナに賛同するように、ブラックバス鱒野が必要以上に大きな声で喋り出す。



「そうよ。キモロン毛ちゃんになんて最初から何も期待してないわ。浜栗組の強さを測るための捨て駒に過ぎない……そうでござんすよね? 鮟西組長?」



 ブラックバス鱒野に話を振られた鮟西は、くくくと笑う。



「キモロン毛くんのことを悪く言わないでやってくれよ。彼も僕らと同じ、Dr.貞子が愛してやまない、可愛い子供だったんだ」



 鮟西の右隣に立つDr.貞子は、メガネを外し、両目からこぼれ落ちる涙を白いハンカチで拭う。Dr.貞子を慰めるように右肩に手を置く鮟西。そして続ける。



「もちろん、キモロン毛くんの死を無駄にはしない。浜栗組には、僕ら超人に匹敵しうる戦力がいる……その想定で、次は総力戦を仕掛けるよ。浜栗 ミキホを襲撃し、彼女を守るために動くであろう組員どもを全員抹殺する」



 鮟西の瞳に、静かな炎が灯る。殺意という名の炎。それを感じ取り、Dr.貞子を除く他の組員たちは微笑んだ。



「襲撃時刻は明後日の十七時。ミキホが通う市目鯖しめさば高校に全員で乗り込む。ミキホは僕が殺す。他の組員がいた場合、ソイツらはキミたちに任せた。一人殺すごとに二十万、ボーナスを出す。そして最も多く殺した者には、追加で三百万だ」



 鮟西が提示したボーナスが、組員たちの瞳にも炎を灯した。クマムシの心もたぎる。しかし、他の組員と違ってクマムシは金にではなく、因縁ある浜栗組を壊滅させる機会を得たこと自体に高揚していた。


 鮟西が右手の拳を前に突き出す。それに続くように、鯨川、アユナ、ブラックバス鱒野、Dr.貞子、そしてクマムシが順番に拳を突き出し、ゴツンとぶつけ合った。死軍鶏組による浜栗組襲撃の号砲が今、鳴ったのである。

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